8. 幻の愛に……
「駄目……二人ともどこにもいないよ」

校舎中を走り回った後では、さすがに息も乱れてしまう。だが、それでも由美は苦しさを抑え込んでいた。

「まったくぅ……罰として、風斗には、グラウンド10周くらい……走ってもらわないと、ね……」
「ごめんなさいね、由美ちゃん」

助手席の麗子が優しく言葉をかけた。その彼女にしても、表情は冴えない。
そんな女性二人の重い雰囲気を打ち砕くように、瀬川が運転席のドアを勢いよく閉めた。エンジンの低く唸る音が響く。

「瀬川くん……」
「最悪の状況だが、まだ遠くへは行っていないだろう。何としても捕まえてやるさ」

眠そうな瞳には力強い光が宿っている。彼は決してあきらめていない。

「助ける手だても、ないわけじゃない」
「ほ……本当なんですか?」

震える声で尋ねたのは、葉沢克彦だ。
彼を同行させることは正直ためらわれた。再び取り込まれないとも限らないのだから。

忘れさせることもできた。壺の付喪神――長年大切に扱われ続けた器物が妖怪になったもの――である野牟田広ならば、記憶を壺に封じてしまえる。
正体を公にできない彼ら妖怪は、大抵そうしてきたのだ。

しかし――。

「忘れさせてはいけないわ。二度と同じ過ちを繰り返させないためにも」

結局、折れたのは瀬川の方だ。余計な議論で疲れたくはなかったし、麗子には勝てないと悟っていたせいもある。
何より、彼なりの策を考えていたから。おそらく麗子もそのつもりだろう。

だが――瀬川は舌打ちしたい気分に駆られた。こうなると克彦を連れていくのは、少々危険が伴うかもしれない。

「――行こう。時間が惜しい」
「ちょっと待って!あたしも行く!」
「こらこら」

たちまち瀬川の顔が渋面になる。

「学校はまだ終わっていないだろう?」
「あのねー!こんな非常時に風斗みたいなこと、言わないでよ!」
「駄目なものは――」

駄目だ、と言いかけた瀬川を真剣な眼差しが射抜いた。

「瀬川さん。あたし、絶対に行くよ。風斗を起こす役は誰にも譲れないから」

興奮しているのか。それとも――頬を赤く染める少女が、瀬川には眩しく思えた。

彼女も決してあきらめない。

「だから……お願いします!」

由美は頭を下げたまま動かない。そんな二人を克彦は交互に見つめている。

確かに彼女は。風斗を説得できる唯一の人物だ。衝突してしまった自分や麗子では反発を招くだろう。
ハンドルを小刻みに叩いていた瀬川の指が急に止まり、ため息が車内に流れた。

「……まったく、人間ってやつは」
「勝負あり、かしら?」
「いいの!?」

麗子はゆっくり頷くと、さり気なく視線で瀬川に圧力をかける。
彼はもう一度ため息をついた。

「……まったく、リーダーとして適性があるんだか、どうだか」
「あらあら、だから瀬川くんがいるんじゃなくて?」

苦し紛れの皮肉も、麗子の微笑みの前には通用しない。

「……分かってたさ」
「何が?」

車に乗り込んだ由美に答えず、瀬川は乱暴に発進させた。
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