「――ご苦労さん」

風斗を見送った麗子が居間に戻ると、瀬川が両足を無造作にテーブルの上へ乗せてソファーに腰掛けていた。
普段と変わらない眠そうな目が、麗子を見やった。

「あらあら、随分とご機嫌斜めのようね」
「そうでもないさ」
「どうかしら?いつもの瀬川くんならそんな風にお行儀の悪いことはしないし、目つきももっと眠そうだわ」
「……やれやれ、全部お見通しか」

脚をテーブルから下ろし、ばつの悪そうな笑みを浮かべる。麗子もそれに応じるように微笑みを見せた。

「それにしても風斗の頑固さは誰に似たんだ? まったく、困ったもんだな」
「風斗くんも戸惑っているの。自分がどうすればいいのか」

そう言いながら、麗子は彼の隣に腰掛けた。

「仕方ないな、気分は悪いが事件を先に解決しよう」
「関わるな、なんて言うから……」
「お前だって止めなかっただろ?」

むきになる瀬川が妙に子供っぽく、麗子はまた微笑みを浮かべてしまう。

「ところで、ネットからの情報は?」

照れ臭かったのか、話題の変え方も瀬川らしくなく不自然だった。

「正体は分かったのか?」

麗子が首を横に振るのを見て、瀬川は軽く肩をすくめた。

「……参ったな」
「どうも生まれたばかりの妖怪らしいわ。似たような事件はなかったようだし」

妖怪とは縁のないように思える現代でも、新たな妖怪は生まれている。むしろ人口が増えた分だけ想いが注がれるスピードも速くなり、その誕生に必要な時間が短くなっているという。

そうでなくても生命エネルギーの通り道とも言える"産道"が近くに存在すれば、 ただ一人の思いからでも妖怪は誕生するのだ。
つまるところ、妖怪が生まれてくる条件は誰にも分からない。

「そうなると……今回の奴は葉沢家の人間の想いから生まれたってことか。妙な義務感を持ってる可能性があるな」
「ええ……確かに厄介かも」

麗子は目を閉じて考えを巡らせるが、それほど判断に時間はかからなかった。

「……そうね。私も手伝うわ」
「それは……心強いな」

さらりと言った台詞だったが、瀬川は内心驚きを感じていた。
麗子の実力はかなりのものだ。純粋な殴り合いではクロや舞花よりはるかに劣るが、一撃の大きさだけなら彼女が大社堂の中で最も強い。
だがそれ故に麗子が表に出ることは滅多にない。過去に戦いを嫌う原因となった事件があったことを含めても、彼女が自分の力を抑制しようとしているのは間違いないのだ。

「……幸穂への償い、か……」

瀬川の呟きは麗子の表情を一瞬だけ凍りつかせた。

「そう……そうね。私はあの時、幸穂を守ることが出来なかった……」

あの時。
麗子たちには妖怪に乗っ取られた彼女を救うことも、自ら死を選んだ彼女を止めることもできなかった。

「私は幸穂と約束したわ……風斗を必ず守ってみせると……」
「ああ、そうだな。ある意味では立派に母親役を務めていたよ、お前は」
「瀬川くん!」

麗子が珍しく声を荒げた。風斗のこととなると、彼女は少々取り乱すことが多い。

「冗談だよ。だが、さっきお前が言ったように余計な優しさは人を不幸にする」
「……私も優しすぎるかしら?」

その問いから逃げるように、瀬川の目が窓の外に向けられた。

「さあな……ただ……」
「ただ?」
「いや……何でもない。明日、決着をつけよう」

なぜだか瀬川はひどく照れたように、乱暴な仕草で頭を掻いた。
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