6.彼方の絆は
気まずい沈黙が目の前に横たわっている。風斗にはそれが見えるような気がした。
彼の目の前の人物が優美とも言える仕草でティーカップを手に取り、口元へ運ぶ。今日の紅茶はアールグレイらしい。もっとも、風斗にはよく分からないのだが。
「風斗くん、飲まないの?おいしいわよ」
目の前の人物――麗子が硬い表情のままの風斗に微笑みを向ける。
「それとも、お腹が痛いの?」
「いえ、別に……」
子供じゃないんだから、と内心苦笑しながら紅茶に少しだけ口をつけた。
「真樹さん、何で俺を呼んだんですか? 瀬川さんは俺に……」
「あら、瀬川くんはこう言ってなかったかしら」
麗子は風斗に最後まで言わせず、言葉を続けた。
「もう、この件には関わるな――つまり、大社堂に来て私と話をするのは禁じられていないのよ」
「無理な言い訳って気もしますけど」
「そう? じゃあ、別の理由を考えなきゃいけないわ。あらあら、困ったわねえ」
真剣に考え出した麗子を見て、風斗は全身の力が抜けそうな気がした。いや、実際半分くらいは抜けていたかもしれない。
「……真樹さん、俺をどうして呼んだんですか?」
二度目の質問の声にも、何となく勢いがなかった。彼女のペースに巻き込まれまいとしているのだが、やはり年季が違うのだろう。
しかし、風斗は持てる力を総動員して、心を奮い立たせた。詩織への想いがそうさせたのかもしれない。
なぜそこまで肩入れしてしまうのか、分からないままに。
「呼んではいけなかったかしら?」
麗子の物言いからとぼけた雰囲気は消えなかったが、表情はぎこちない。
「俺には瀬川さんのような考え方はできません。葉沢さんたちの気持ちだって考えてほしいんです!」
「……それは、同情かしら?」
「え……?」
麗子の声がひどく冷たく響いた。
「それは、同情かしら? 母親を亡くした者への」
「真樹……さん……?」
ついさっき紅茶で湿らせた口が、からからに乾いていた。麗子の言葉が頭の中で何度も繰り返されている。
「風斗くん。あなたは優しいわ……幸穂に似て……」
麗子の口調が一転して暖かなものに変わる。その瞳はかすかに潤んでいた。
「でもね、余計な優しさは人を不幸にしてしまうわ。水を与えすぎた草花のように」
「俺のは余計な優しさなんですか?」
わずかな沈黙がその場を支配した。挑みかかるような視線を向ける風斗にも、彼女は目を逸らさなかった。
「……風斗くんは、優しすぎるわ」
その時。
麗子は風斗の瞳に宿る色を見た。
赤。血の色をした、赤。
だがそれはほんの一瞬のことだった。麗子が不審に思う間もなく、風斗は立ち上がった。
「……俺、帰ります」
「待って」
そのまま居間を出ようとする風斗の背に向けて、麗子は言葉を投げ掛ける。
風斗は背を向けたままだ。こちらに顔を見せないのは昨日と同じ。しかし何かが微妙に違っていた。
それまでの風斗と。
「……あなた、風斗くんよね?」
そう言って彼女に向けた瞳は困惑に彩られてはいたが、赤い色はかけらもない。
――目の……錯覚?
麗子は静かに安堵のため息をついた。
「何でもないわ……気のせいね」
「? それじゃあ、失礼します」
礼儀正しく頭を下げると、風斗は大社堂を出ていった。
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