5. 戸惑う心
「もうっ、風斗ってばまだ怒ってるの?」

由美が呆れた顔をしながら、風斗お手製のお弁当のご飯を頬張った。

「ちょっとした好奇心なんだから、ね♪」
「あ、そ」

風斗の言葉と視線が思い切り冷たい。由美のごまかし笑いもさすがに引きつる。

「……あれだけ不必要に事件に関わるなって言ってるだろ?」

由美が三上市議について情報源を持っているというのは、事件に関わりたいがための嘘だったらしい。
おかげで、風斗は何の手がかりも得ることができなかった。

「頼むから、もう関わらないでくれよ」
「えぇ〜」
「えぇ〜、じゃない」

幼い表情に翳りが帯びる。

「もう二度とあんな思いはしたくない……だから……」

はっ、と由美の顔が強ばる。詳しいことは聞いてないが、風斗の母が妖怪絡みで亡くなったということは知っていた。

「……ごめん」
「よし。じゃあ、早く食べよう」

笑顔を見せるものの、無理してるなと風斗自身そう思った。
いつもそうだった。母に関わる話になると、自分の気持ちを素直に表せなかった。普段は嘘などつけない自分なのに。
そして我慢すればするほど、風斗は心の奥で締め付けられるような痛みを覚えた。

何かが消えていくような気がする。

けれどそれが何なのか、風斗にも分からないのだ。
その時、二人の頭上に影が差した。考え込んでいた風斗より早く由美が反応し、少し驚いた表情を浮かべる。

「詩織……どうしたの?」
「あ、うん……」

スケッチブックを後ろ手に持ち、葉沢詩織がうつむき加減に立っていた。気弱そうな雰囲気はいつもと変わりなかったが、今は何かに怯えているようにも見えた。

風斗はそんな彼女の姿に既視感を覚えた。

――ああ、そうか……似てるんだ、俺に。

図書館で会ったときの彼女の瞳も、幼い頃の自分と同じだった。

母親を失った頃の自分と。

詩織はしばらくためらっていたが、ようやく決意したのか、二人を交互に見た。

「あの……壬生くんたちに相談したいことがあって……」
「相談?」

二人の声が期せずして重なり合う。

「うん……駄目かな?」
「別に駄目ってわけじゃないけど……ね、風斗」
「まあね……でも、由美に相談事は良くないよ。話を脱線させるのが得意だから」
「どういう意味よ」

容赦なく風斗の足を踏みつける。

「とにかく椅子持ってきて、座りなよ。話はそれから」

意識はしていなかったが、由美の口調はどことなく弾んでいた。

「幽霊?」

言ってから、由美は慌てて辺りを見回した。昼時に不釣り合いな話題のせいで、何となく気を遣ってしまったらしい。
どうやら、クラスメートたちはそれぞれの会話に夢中のようだ。ほっと一息ついて、再び詩織へ視線を向けた。

「見たの?」
「ううん……実際見たわけじゃなくて、そんな気がするだけ……」
「気のせいじゃないの?」
「それだったら、わざわざ俺たちに相談なんかしないよ。だろ? 葉沢さん」

由美を軽く睨みながら詩織に話を振った。

「うん……」

詩織は何度か言葉に詰まったが、ここ数日起きている妙な出来事を語った。
内心、彼女は由美が笑いながら「幽霊だったらもっと陰湿なことしてるわよ」などと言ってくれることを期待していた。父の雰囲気があまりにも異様で、誰かに今までのことを否定してもらわないと家に帰れそうもなかった。

「ねえねえ、他には?」
「あとは……昨日、お父さんの部屋から聞こえたの……お母さんの声が」
「お父さんにはそのこと聞いた?」

風斗の問いに詩織は首を横に振る。

「聞けないの。最近のお父さん、何か様子が違いすぎて……」

不安を押し隠すようにスケッチブックを抱きしめる詩織の瞳が涙で潤んだ。

「何だか私までお母さんが生きているみたいに思えて……怖いけど、そうであってほしいとも思ってる……」
「そういう気持ちは……分かるよ」
「壬生くん……」

重々しい雰囲気に耐えかね、由美は勢いよく立ち上がった。

「二人とも暗くなりすぎ! そんなの真言唱えて十字架吊り下げとけば、朝日の彼方へGotoheavenよ」
「……和洋折衷にすればいいってもんじゃないぞ、由美」
「要は気持ちの問題だってことをあたしは言いたかったの」

風斗はわざとらしくため息をついた。

「……さっきの言葉からどうやってその意味が出てくるのか、俺にはよく分からないんだけど」
「風斗はいちいち細かすぎるのよ!」

二人の言い合いに、詩織は思わず吹き出してしまった。それを見て風斗たちの口喧嘩も止まってしまう。

彼女がこんなに笑っているのを見るのは初めてだった。普段から物静かで内気な彼女にも、こんな一面があるのだ。

――あって、当然なんだよな。

詩織の笑顔につられて微笑んでいる風斗の腕を、何かが叩いた。

由美だ。
どうするの?――彼女の瞳がそう告げている、二人にとっては、こうした意志の疎通もごく自然なものだ。
軽く頷いた風斗に心得たとばかり、由美もウインクする。

今回の事件に関係があるのかもしれない。――そんな考えもある。だがそれ以上に、風斗は詩織の苦しみを取り除いてあげたかった。

――由美もあれで結構お人好しだし。

「ねえ、詩織。おいしいクッキーと紅茶をタダで出してくれるお店があるの。今日、行ってみない?」

由美のそんな言葉を聞いて、風斗の身体ががくっと揺れた。

「……前言撤回」
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