第8章 覚悟
地下生徒会本部。
その大型モニターには、生徒会と武村との戦闘が映し出されていた。現場に置かれたエレキカー搭載の高感度カメラによる映像だ。だが、そのモニターの前には誰もいない。本部に残っている美咲と信吾は、ICUにこもっているのだ。見る者とてない映像が、ただ垂れ流しになっている。音声は届いていない。
しかし、その静寂は突然破られた。
「ノア!」
メディカルルームへと繋がる扉が開き、飛び出してきた人影が二つ。
「ノア!」
「鬼堂さん、まだ寝てなきゃ!」
それは、ICUにいた信吾と美咲だった。もちろん、信吾は小さな子供の姿のままだ。ノアが落ち着いた声で言う。
『鬼堂風紀委員長、あなたの健康状態は、いまだ回復したとは言えません。すみやかにICUにお戻りください』
だが、もとよりそんな言葉を聞く信吾ではない。
「そんなことしてらんないよ! みんなを助けなきゃ!」
『しかしあなたの体は…』
「もう元気だよ!」
小さな信吾は、握り締めていた木刀を真横に振るった。
しかし木刀の重さに引きずられ、よたりとよろける。
「鬼堂さん、やめましょう。いくら毒が抜けたからって、その体で戦いに行くなんて無茶です!」
止める美咲の声は悲鳴に近い。
確かにドクトルKから提供された解毒薬で、<ショタコニンX>の成分は排出された。しかし、それは症状の進行を一応止めたというだけで、完治を意味しているわけではないのだ。
事実、鬼堂の顔色は、いまだに黄色がかっている。肝機能障害による黄疸である。
だが鬼堂は構わなかった。
「ノア! エレキカーを一台回して! 僕も戦う!」
『承諾できません』
ノアの声は冷たい。
『あなたの状態は、いまだ危険域にあります。戦闘は不可能です』
「それでもやるんだ!」
信吾もまた譲らなかった。
「みんなが必死でがんばってるんだ。なのに僕ひとり寝てらんないよ! 早く出して!」
しかし、どこまでもノアは冷淡であった。
『危険すぎます。例え戦場に辿り着いたとしても、あなたが戦力になりうるとは思えません』
「お願いだよノア!」
叫ぶように声を張り上げる。
「僕だって生徒会の一員なんだ! みんなのために戦わなきゃいけないんだ! だから……だから……!」
信吾は、木刀をまっすぐに、コンソールに向けた。
「僕を行かせてよノア! でないと……ノアを壊しちゃうから!」
『……』
ノアは答えない。
別に、信吾の脅迫を恐れたわけではない。
例えコンソールを破壊されたからといってノアの機能が停止するわけではないし、必要とあれば防御機能を作動させることも出来る。
しかし、ノアはそこまで冷徹な判断を下せずにいた。
カメラ越しに、信吾の姿が映る。
安定しない息遣い。
震える手。
頼りなくふらつく足元。
しかし、彼の瞳から、光は消えていなかった。
そこにあるのは、強い使命感と、それを後押しする自負。
そして、その最奥に光る、ゆるぎ無い何か。
機械であるノアが、その時確かに、気圧されたのだ。
「あの……ノアさん……」
横から声を出したのは美咲だった。
「鬼堂さんを、行かせてあげてくれませんか……?」
『美咲さん……?』
先ほどまで信吾を止めようとしていた美咲が、今では信吾の味方になっている。
彼の勢いに押されてのことだろうが、それにしても変わり身が早すぎる。
ノアは、美咲の人格評価に若干の修正を加えることにした。
美咲は、どこか悲しげな声で言った。
「鬼堂さんを、行かせてあげたいんです。私からもお願いです。鬼堂さん、私がちゃんと見てますから、無茶なんてさせないですから! お願いします!」
ノアのモニターに向け頭を下げる。
奇しくもその時、モニターの中では、宗祇が武村の凶刃に倒れていた。
それを見た信吾が泣きそうに顔を歪める。
がしゃん!
ついに、信吾がたまりかねて、ノアのコンソールに木刀を叩き付けた。
キーボードが悲痛な音を立て、キーがいくつか跳ね飛ぶ。
「ノア! ノア! ノアあっ!」
「おやめなさい、お館さま」
木刀を握り締めていた信吾の両手は、いつしかしっかりと握りしめられていた。木刀は一人の女性にその姿を変えていたのだ。
22の魔宝が一、<正義>。
「お気持ちは分かります。しかし、ノア殿に乱暴をしても、何の解決にもなりません」
「でも!」
「お館さま」
<正義>はまっすぐに信吾の目を見つめた。
「乱暴を振るわれて、喜んで頼みを聞いてくれる者が、はたしているでしょうか? お館さまは、それが分からぬお方ではないはずです」
「うー……」
信吾は黙り込んだ。
どうも、思い当たるところがあったようだ。
「失礼いたしました、ノア殿。しかし……」
<正義>は、力強い瞳でノアのモニターカメラを見た。
「わが主の想いを、どうか汲んでいただきたいのです。私からも、どうか、どうかお願いいたします…」
深々と頭を下げる<正義>。
「ノアさん、お願いします!」
美咲も同様だ。
それらを見た信吾も、同じように体を折り曲げる。
しかし、はやる気持ちを抑えきれないのは明白だった。
しばしの沈黙が続いた後。
ノアのモニターに、新たなウィンドウが開いた。
エレキカーのオートパイロット機能が立ち上がっている。
『先ほどの衝撃により、誤作動が生じたようです。復旧まで、十数分を要します』
三人の顔が、ぱっと明るくなった。
現場までは、五分とかからない。
「ノア……!」
『誤作動の影響は深刻ではありませんが、鬼堂委員長の責任は軽くはありません。復旧が済んだら相応の処分が下るものと思われます』
「うん! 百叩きでも逆さ吊りでも、何でもいいよ!」
屈託なく言う信吾に、美咲と<正義>は苦笑を禁じえない。
モニター上のウィンドウが、エレキカーの準備が済んだことを伝えた。
待ちきれない信吾が、出口へと走る。
『美咲さん、<正義>さん、くれぐれも鬼堂委員長をお願いします』
「はい!」
「承知しております。一命に換えても」
二人は一礼し、信吾を追って出て行った。
しかし、その表情は複雑なものだ。
二人は自分の言葉を信じきれていない。
信吾は、すでに覚悟を決めてしまっている。
現場に辿り着けば、間違いなく信吾は突撃を敢行するだろう。
その時、はたして自分たちは彼を止めることが出来るだろうか?
いや、考えるまでもなく、止めねばならない。
小さな少年である信吾が、激しい戦闘に耐えられるはずがないのだ。
だが、それでも二人は、その時信吾を止められるという自信を持てずにいた。
いや、止めたくなかったのだ。
信吾の覚悟を信じてみたい。
その先にあるものを見てみたい。
しかし……。
本部のドアを抜け、エレキカーに乗り込んでも、答えを出すことはできなかった。
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