第8章 覚悟
(どうする!?)

紀家の脳裏に、めまぐるしく思考の電流が走りまわる。

傷ついた宗祇のこと。
武村の次の動き。
いまだ姿を見せない的場のこと。
人質に取られている龍之介のこと。

考えることはいくらでもあるが。

(考えてる暇なんて)

武村に向かって走る。

(無いッ!)

大きな動作で跳び蹴りを見舞った。しかし、その隙の大きさが災いしてか、武村にはあっさりとかわされた。後ろに大きく下がり、間合いを計りなおす。

それでいい。

武村が離れた隙に、叶と佑苑が、倒れた宗祇を後方へ引きずっていった。紀家は、そのために距離を取らせたかったのだ。

一応、事態は紀家の狙ったとおりに動いている。
しかし、情況が好転したのは生徒会側だけではない。

武村が、にたりと笑った。
四対一とという絶望的な状況から、とりあえず一対一に持ち込めたのだ。多少は余裕が出てくる。

「どういうつもりだ? まさか、お前一人でやろうってんじゃねえだろうな」
「それが、何か?」

紀家は、わざと不敵に答えた。

「僕たちもそうそう暇じゃないんだ。君の相手は、僕一人でも務まるよ」
「ほおう」

武村はゴルフバッグの中に手を突っ込んだ。
そして引きずり出したのは、一本のゴルフクラブ。特に、3番アイアンと呼ばれるものだ。
先ほどの薙刀に比べれば、失笑さえ出かねないスケールダウンではあるが、紀家は表情を硬くした。

その速さ、そして取り回しの良さは薙刀の比ではない。加えて、重心が先端近くにあるため、薙刀に及ばぬまでも充分な殺傷能力を持っている。
頭に直撃でも食らおうものなら、取り返しのつかない事態になるだろう。

紀家は、緊張に息を呑んだ。
しかし、決して怯えてはいない。
彼とて、生徒会の役員である。この程度で怯んでいては、曲者ぞろいの報道委員を束ねることなどできはしない。

紀家の足が、まるでリズムを取るような軽快なステップを踏み始めた。

「…カポエラって、知ってるかい?」
「…なんだあ?」
「TVとかで見たことないかな。足だけで戦う、ブラジルの格闘技さ」

武村が眉根を寄せ、身構えた。その態度とは裏腹に、口からは軽口が出る。

「へっ、何かと思えば曲芸かよ」
「曲芸かどうかは……」

紀家の目が剣呑なものに変わった。

「見てから決めるといい!」

ぼっ!

紀家が地を蹴った。
間合いが一気に詰まる。

拳で殴るのにも近すぎるような距離まで肉薄し、
そこからまっすぐ、武村の顎をめがけて踵を突き上げた。

思わずのけぞった武村の鼻の頭を、ぢっ、と音を立てて蹴り足がかすめていく。

わずかにたたらを踏んだところを、紀家は速やかに蹴り足を引き込み、ぐるりと地表で回転しざまに武村の腹に第二撃を叩き込んだ。

「うがあっ」

五、六歩下がった武村の喉から、獣のような声が漏れる。
だが、紀家の表情に喜びはない。

(今の感触……)

明らかに、蹴った時の感触が異質だ。武村も、さしてダメージを負っているようには見えない。

このとき、紀家は宗祇のトンファーが大した効果を出せなかった理由に行き着いた。

(防具……しかも、軽くて丈夫な、相当高性能なものを仕込んでる)

紀家は唾を吐き捨てたい衝動に駆られた。

(どこまで厄介ごとを持ってくるんだ、コンテナ施設!)
「抜くわよ、いい!?」

紀家が武村を抑えている間、他の者たちは、後方で宗祇の手当てに当たっていた。
愛美がナイフを抜くために柄を握ると、それだけで新たに血が噴き出した。

むっとする匂いに、愛美は顔をしかめる。

「抜いたらすぐに傷口を押さえて。下手すると、出血性のショックが出るわ。そうなったら、魔法でも間に合わないかもしれないから…。お願いね」

ゆかりはそう言うと、《大治癒》の魔法のための集中に入った。もう一人の癒し手である有子は、すでに一度、宗祇の体力を少しだけ回復していた。

一気に傷を癒してしまうと、刺さったままのナイフと肉体が癒着してしまいかねないのだ。有子はすでに、次の治癒のための準備をしている。

「いくわよ。3、2、1!」

号令とともに、愛美が一気にナイフを引き抜いた。

ばっ!

新たに大量の血が散った。
佑苑と叶が、急いで傷口を押さえる。しかし、それでも出血は止まらず、押さえた指の間から、とめどなく溢れてきた。

「早く!」

血の臭気と、意外な熱さにたまりかねたか、佑苑が声を上げる。

「は、はいっ!」

有子がすぐに手を押し当てた。見る見るうちに、出血が収まっていく。
さらにゆかりが重ねて治癒の魔法をかけ、宗祇の傷は完全にふさがった。
宗祇が小さくうめく。
意識こそ戻らないようだが、顔色は目に見えて良くなり、危地は脱したようだった。

「ふう……」

愛美が安堵の息をつく。
こんなところで死人を出すわけにはいかない。
叶が、宗祇を見下ろしながら言った。

「しかし……彼らも意外とやるものだね。正直、驚きだよ。ねえ佑苑くん?」
「……」

佑苑はハンカチをもみくちゃにしながら、べっとりと血に濡れた手を必死にぬぐっている。
その顔は真っ青だ。

対する叶は、どういうわけか手にも服にも一滴の血さえついていない。

叶は諭すように言う。

「しっかりしなよ佑苑くん。取り乱してる場合じゃない」
「仕方ないわ。男の子は、そんなに血に慣れていないもの」

と、意外な声が飛んできた。
その場にいる全員が振り返る。

そこにいたのは、確かにエレキカーに閉じ込めてきたはずの未紀だった。
その後ろには、まるで隠れるように身を縮めている沖田がいる。

「あなたたち! どうして外に……!?」

愛美が問いただそうとした時、

 しゅぼっ!

向こうのエレキカーが、異様な音を立てて炎を吹き上げた。
バチバチと、白い火花が派手に散る。

「なんとか開けてもらえたわ。もう少しで死ぬところだったけどね」

大して感情も込めずに、未紀はそう言った。
このとき初めて、愛美は、腕の通信機がずっと振動を続けていたことに気づいた。
ノアからのコールである。
宗祇への処置に必死で、気づかなかったのだ。
今更ながら通話ボタンを押すと、気のせいかすまなさそうなノアの声が響いた。

『申し訳ありません。エレキカー内にて火災が発生したため、江島委員長にコールをしたのですが応答がなかったので独断でエレキカーのドアを開放しました』
「……いいわ。正しい判断よ……」

事実、あのまま放置されていれば、未紀と沖田は焼死していたか、立ち込める煙で窒息していただろう。
愛美は、自分の視野がひどく狭くなっていたことに苛立ちを覚えた。
その苛立ちは、やがて未紀たちに向く。

「ところで、どうして出てきたんです? エレキカーの中で待っていてと言っておいたのに」

未紀は、

「あのままじゃ死んじゃうもの。」

愛美の顔に朱が走る。

「火事にしたのは未紀先生でしょう!?」
「江島くん!」

叶の声が、愛美をさえぎった。

「今はそんなことをしてる場合じゃない。ちゃんと状況を見極めたらどうだい?」
「わかってるわよ!」

吐き捨てるようにそういうと、愛美は、すう、と大きく息を吸った。
そして吐くと同時に、頭に上っていた熱が冷めていく。

「とにかく、武村を早く排除しないといけないわね。叶くん、佑苑くん、早く紀家くんに加勢して。ゆかりちゃんと有ちゃんは宗祇くんの回復と覚醒をお願い。それから……」

 ぱぁん!

愛美の横を、武村に向かって駆け抜けようとした沖田が、扇子に鼻を打たれた。

「そこの二人、妙な動きをしないように!」

沖田が、目に涙を浮かべて鼻を押さえる。

(なるほど、立ち直りも早い)

叶が、小さく笑った。そこへ、

「何をしてるんです、早く紀家くんの加勢に向かいますよ」

そう言った佑苑がハンカチを投げ捨て、駆け出した。
叶は笑いを押し殺すのに苦労した。
こちらの立ち直りも、そう遅くはない。
しかし……。

(余計な時間を取られた。これが後々響かなきゃいいけど…)
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