第8章 覚悟
「あれをどう見る?」
「なにやら物々しいですね。弁慶のつもりとでも言いたいんでしょうか?」

宗祇は、佑苑の答えに満足しなかった。

「そういうことじゃない。あいつが本当に一人で、俺たちを相手にするつもりなのかってことだ」

宗祇の視線の先には、街灯の白い光に照らされた武村の姿があった。そのほかに、人影は無い。てっきり総力戦を仕掛けてくるものと覚悟していた
だけに、正直、拍子抜けの感は否めなかった。

「どうでしょうね。罠か、それとも時間稼ぎをするつもりなのか…」
「どちらにしても、当たってみなければはっきりしないな」
「…だったら、始めから聞かないでください」

一行は、罠の存在を気にかけながら、ゆっくりと歩を進めていった。何かが隠れているとしたら、建物の陰くらいだが、今のところ不審な影などは見当たらない。巧妙に隠されているのか、それとももともと罠などないのか。後者だとしたら、慎重さは逆に仇となる。

彼我の距離が10メートルほどにまで縮まった時。

「待ちな!」

武村の声が、生徒会の足を止めさせた。

「それ以上近づくんじゃねえぞ。こいつがどうなってもいいのか?」

と、武村がポケットから取り出したのは、なにやら透明な液体の入った薬瓶だった。ラベルに何か書いてあるが、この距離では読むことができない。

しかし、この局面で出してくるということ自体が、その正体を如実に語っている。

「<そだちすぎα>か!?」

宗祇が苦い声で言った。武村は満足そうにうなずき、

「そうよ。手前らが喉から手が出るほどに欲しがってる薬さ。さあ! おとなしくしねえと、こいつを叩き割るぞ!」

生徒会の動きが止まった。

武村が持っているのが本物の<そだちすぎα>なのだとしたら、それを壊されては、鬼堂はもうもとの姿には戻れない。

「こいつが欲しけりゃよぉ…そこでおとなしくしてろよぉ…」

武村の視線が、ちらりと自分の腕時計に落ちた。
まだ八時を一分と超えていない。

後四分……。
それだけの時間、生徒会の八人をこの場に釘付けにしておかねばならないのだ。

再び、視線を生徒会のほうに戻す。

そのとき、彼が見たものは、武村に向かって猛然とダッシュを始めた生徒会メンバー四人の姿だった。

宗祇、佑苑、紀家、そして叶は、なにも自棄になったわけではない。
彼らはずっと探っていたのだ。武村の意図が、どこにあるのかを。

武村が<そだちすぎα>だという薬品を出してきた時、それが本物であるとは誰も考えていなかった。人質になっている龍之介と同等の重さを持つ切り札を、こんなところで使ってくるとは思えなかったからだ。

もしこの場で<そだちすぎα>が奪取されてしまえば、極端な話、生徒会はここから引き返しても良くなってしまう。
そして武村たちを待っているのは、後日、復活した鬼堂を加えた、さらに強力な生徒会の追撃である。今この場で決着を付けたがっているはずの的場が、そんな愚を犯すとは思えなかった。

残るは罠の危険だが、それは武村の
「おとなしくしてろ」
の台詞で消え去った。罠であれば、武村は生徒会を誘い込むように動くはずだからだ。

そこまでわかれば、生徒会がとるべき方針は唯一つ。

時間稼ぎをしている武村を速やかに倒し、まだ準備が整っていないのであろう的場を急襲するのみである。

逆に、それさえ見越した上での誘いだとしたら、もはや打つ手はないが、そんなことを言っていては一歩たりとも進めなくなってしまう。

行くしかないのだ。

対する武村は、

「ちいっ! さすがにバレたかよ!」

薬瓶を投げ捨て、持っていた長物から覆いを取り払った。
街灯の光が、白刃をさらに白く輝かせる。

薙刀。

それも、どこかのコンテナから見つけてきたのだろう、真剣である。

しかし、一瞬の驚きが、致命的な遅れを招いていた。
すでに、宗祇と佑苑、二人に肉薄されていたのだ。

「うわあっ!」

薙刀を振ったが、まともに狙いもついていない一撃が当たるわけもなく、宗祇は身をかがめてそれをやり過ごした。そしてそのまま…

武村の脇をすり抜けた。 佑苑も同様に,武村に触れもせずに通り過ぎる。
てっきり一撃を入れられるものと思って身構えていた武村は拍子抜けしたが、その次の瞬間、ぞっとした。

(まさか、こいつらの狙いは…!)

武村の後ろには地下コンテナ施設がある。そしてその奥には、いまだ準備を終えていないであろう的場が…。

「やべ…」

的場を狙われては元も子もない。武村は二人を追うべく、急いで振り返った。
と、そこには武村に正対した宗祇と佑苑がいた。そして、武村の後ろから、紀家と叶の殺気がすぐそこまで迫ってくる。

武村の背筋が凍る。

(はめられた!)

武村はようやく気づいた。
四人の狙いははじめから武村だったのだ。

先の二人が後背に回りこみ、後の二人はそのまま攻撃に入る。先の二人に対応して振り返るにしろ、後の二人を迎え撃つにしろ、どうしても二人に対して背を向けねばならなくなるのだ。

この窮地を脱するには…。

武村は、四人がまだ距離を詰めきっていないのを幸いに、横っ飛びに跳んだ。少なくとも、四人に四方を固められるのだけは避けたかったのだ。

しかし、慌てた武村の跳躍は、著しくバランスを欠いたものだった。着地を誤り、片ひざを突く。
それを見逃す生徒会ではない。

宗祇が、腰に差していた一対のトンファーを引き抜き、武村に襲い掛かった。トンファーによる、みぞおちへの一撃。充分に体重の乗った、会心の一撃のはずだった。

しかし。

「!?」

宗祇の手に伝わる手ごたえが妙だ。少なくとも、人間の肉の手ごたえではない。その奇妙さが、一瞬の逡巡を生み、武村にチャンスを与えた。
さしたるダメージを受けた様子もなく、武村は宗祇を突き飛ばし、間合いを離す。そして間髪いれず、絶好の間合いから薙刀を打ち込んだ。

狙いは、まっすぐに首。

がっ!

鈍い音が響いた。

薙刀の一撃は、宗祇の首を捕らえることなく、二本のトンファーにがっちりと受け止められていた。しかし、その刃は、トンファーを両断寸前まで追い込んでいた。

強靭を誇る、赤樫製のトンファーをである。

宗祇の首筋に、嫌な汗がにじむ。
もう一瞬遅ければ、誇張抜きに頚動脈を切り裂かれていたことだろう。そうなれば、もはや有子たちの回復能力でさえ追いつくまい。

「ええいっ!」

宗祇は力任せに薙刀を振り払った。
両のトンファーが、ぺきり、ぺきりと音を立て、半ばから垂れ下がる。

トンファーを捨て、武村に突進する。武村もまた、この至近距離では役に立たなくなった薙刀から手を離す。

だが、この距離は完全に宗祇の間合いだった。
生徒会でもトップクラスの戦闘能力を持つ信吾でさえ、密着に近いこの距離では、宗祇の柔術の前になすすべも無い。

武村の襟首と、右そでが掴まれた。そのまま、宗祇は巻き込むように背負いあげた。

必殺の背負い投げ。

そのまま落とされれば、衝撃と呼吸困難でまともには動けなくなる。たとえ受身を取ったとしても、そこに続く宗祇の寝技と、残る三人の攻撃にさらされる。

勝負は決したかに見えた。

だが。

宗祇は、武村を背負ったまま、押しつぶされるように崩れ落ちた。

「!?」

そこにいる生徒会すべてが驚愕した。
もし相当な体重差があったとしても、宗祇の柔術をもってすれば投げられないことはない。現に、武村の足は浮いていた。

宗祇を押しつぶした武村が、のろのろと立ち上がる。
宗祇は動かない。

「はあっ、はあっ」

武村の息は荒く、その手は震えている。

震えている、その左手。

彼の左手は、真っ赤な血に濡れていた。

残された佑苑たちは、その左手を見たときにようやく、宗祇のわき腹に突き立っているナイフに気がついた。

「決めてんだよ。覚悟はよぉ…」

武村のその声は、血まみれの左手同様、歯の根も合わぬほどに震えていた。荒い息が、二月の空気に白く流れる。

宗祇は動かない。

血だまりは、広がっていく。

「…宗祇くん!」

紀家が声を出せたのは、その時ようやくのことだった。
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