第7章 それぞれの理由
夢がかなう。あともう少しで、夢がかなう。
一人、薄暗い地下コンテナ施設の通路を歩く武村は、湧き上がる高揚感を止めることができなかった。

彼らを取り巻く状況は、決して良くはない。生徒会役員たちに計画を看破され、実際に襲撃も受けている。

こうなれば、もはや役員たちとの直接対決に持ち込んでこれに勝利し、的場の催眠術で役員を操る以外に道は無い。

単純な数の差と、役員の持つ異能力のことを考えれば彼我の戦力差は歴然であるが、武村はあまり深刻になっていなかった。

なんと言っても、こちらには三枚の切り札があるのだ。

信吾の体を元に戻すための<育ちすぎα>。
偶然捕らえた坂本勇太。
そして、生徒会役員でもある龍之介。

それに加えて、今的場が調整をしている得体の知れない機械の力があれば、生徒会とも十二分に渡り合えるだろう。

獣じみた凶悪な笑みを浮かべ、肩に掛けている大きめのゴルフバッグを揺すり上げた。
ガチャガチャと耳障りな音が立つ。
バッグの中からは何やら長い柄のものが何本も突き出していて、そのために蓋の部分はだらしなくブラブラと垂れ下がっていた。

夢がかなう。あともう少しで、夢がかなう。

武村が、今となっては学園を追放されかねないこの危険な計画にいまだ乗りつづけているのは、ひとえに彼の夢のためだった。

女を抱ける。

夢とは、それだけのことだった。我ながら、馬鹿馬鹿しいとは思う。
しかし同時に、それは切実な願いでもあった。

武村は17歳になったこれまで、母と祖母以外の女性に触れたことが無かった。もちろん、女性に興味が無いわけではない。何度か恋もしたし、勇気を振り絞って告白したこともある。

だが、結果はすべて同じだった。

彼のお世辞にも美男とは言いがたい容貌と、粗暴な性格を受け入れてくれる女の子など、誰もいなかったのだ。

恋人はできなくとも、彼の抱える性欲は際限なく大きくなっていった。
しかし、それを処理するための手段は決して多くない。

彼が生活するこの巨大学園都市、蒼明学園では、生徒たちの生活を支える一般の人々が住む市街でさえ、成人向けの雑誌やビデオを購入、またはレンタルする場合、身分証明書の提示が条例によって義務付けられている。

よって、高校生以下の少年たちがそういった雑誌やビデオを入手するには、休日にわざわざ他市まで出て行くか、友人などを通じて手に入れるしかない。

その抑圧された状況の中、いつしか武村は、女性を恋愛の対象とは見なくなっていった。

女を抱ける。

今、彼を動かしているのは欲望の充足に向かう純粋な想いだった。

的場が作業をしているコンテナの前で、武村は足を止めた。このコンテナの中には、的場と龍之介がいる。沖田を失った今、武村の仲間はこの二人だけだ。

正直言って、この二人のことはあまり好きではない。
どうも的場は武村のことを不当に低く見ているようだ。直接は言わなくとも、その雰囲気が雄弁に語っている。そろそろ自分の力を見せ付けてやらねばならない。そして、生徒会との決戦はその絶好のチャンスになる。

龍之介はといえば、武村がいくら望んでもついに手に入れられなかった女子からの人気を苦も無く一身に集めている男である。かつてはその人気を妬み、憎んだこともあったが、しかしその龍之介も、今や武村たちの手駒に成り下がっている。

そう。
彼は武村が抱く女を集めるための、餌にしか過ぎない。
そう考えると、急に気分が良くなった。

コンテナの扉を開ける。中ではやはり、的場が奇妙な機械をいじっていた。その傍で、龍之介が壁にもたれながら、つまらなそうに的場の作業を眺めていた。人質である勇太はガムテープで拘束され、ご丁寧に猿ぐつわまでされて転がっている。

「どうよ的場? 進んでるか?」

額ににじんだ汗をぬぐい、的場が振り返る。

「ええ。調整はすぐに終わりますよ。しばらく放っておいたんで不安でしたが、大丈夫。八時には慣らしまで終わらせられます」
「勝てるな?」
「もちろんです。……さて、これで終わりです。早く慣らしに入りましょう」

最後のケーブルを繋ぎ、各種スイッチを入れていく。蓋のように開かれた外装の下にあるちっぽけな液晶画面に光が点り、小さな文字が目まぐるしく入れ替わる。
途端に、人間の体より二回り以上大きいその機械は、まさに命を吹き込まれたように低い唸りを上げた。

初めて戦える喜びに打ち震えるその姿を見て、的場は満足げにうなずいた。

的場は気づかなかった。この瞬間を、物陰でじっと待ち構えていた者がいたことを。

「彼」はすばやく視線を走らせた。出入口のドアは、武村が支えるように立っているので、まだ開いている。あの機械の方は、まだ起動したばかりのデリケートな状態だ。そして、三人の人間はまだ自分の存在に気づいていない。

今しかない。

「彼」は意を決し、物陰から飛び出した。全力で助走をつけ、一気に跳躍する。今的場がつなげたばかりのケーブルに噛み付き、力任せに引っこ抜いた。

乱暴に抜かれたプラグから青い火花が散り、液晶画面から光が消えた。
獣じみた唸り声も、むなしく霧消する。

「何!?」

的場が気づいたときにはもう遅かった。
「彼」は引き抜いたコードをさらに噛みちぎり、武村が開けたまま支えるドアへと走る。

「ネズミだとぉ!?」
「こいつは……っ!」

龍之介は「彼」に見覚えがあった。忘れるわけが無い。
蒼明祭直前の、あの忌まわしい事件の原因。
学園を恐怖と混乱に叩き込んだ張本人。

「アルジャーノン!!」

そう。
「彼」は、河合ゆり子が飼っているハムスターのアルジャーノンだった。とてもハムスターとは思えない高い知能を持つ彼は、単身このコンテナに残り、的場を妨害する機会を狙っていたのだ。
的場に大きなダメージを与えられると同時に、確実に脱出できるこの瞬間を。

別に、アルジャーノンは生徒会に協力するつもりなど無かった。ただ、主に苦痛を与えたものに対しての報復をしたかっただけなのだ。

しかし結果的に、彼の行動は生徒会にとって大きな助けとなった。

「てめっ……!」

武村が捕まえようと動き出すよりも早く、アルジャーノンは彼の股下を抜け、ドアの隙間から外に飛び出した。そのまま通路の先を曲がり、姿を消す。

残された人間たちは、ただ唖然とするばかりだった。

的場がつぶやく。

「やられましたね。まさかあんなネズミが、しかもここを狙ってくるとは……」

指を髪の中に差し込んだまま、龍之介が、

「ま、ネズミだけどよ、ただのネズミじゃねえからな。それより、その化け物の方はどうなんだ? 直るのかよ?」
「今見てますよ」

ケーブルを繋ぎ直さないまま、電源を入れる。
液晶画面が点灯し、文字の羅列が躍る。
それを見ていた的場の顔は、どんどん苦味を帯びていった。

「……まずいですね。いきなりケーブルを抜いたせいで、さっき調整した電気系統の一部がショートしたようです。このままでは、動かすことすら出来ません」

腕時計を見る。

「修復するにしても、八時には間に合いそうにありません。……くそっ、よりにもよってこんな時に!」

 がしゃん!

耳障りな音が、的場の意識を武村へと吸い寄せた。
揺すり上げたゴルフバッグを叩いて、武村がニヤリと笑う。

「時間を稼ぎゃいいんだろ?」
「……どういうことです?」

歯をむき出して、武村は笑った。

「俺が奴らを止めてやるって言ってんだよ! で、どれだけ足止めすりゃいいんだ?」

的場は明らかに戸惑っていた。これまで嫌々ながら命令に従ってきた武村が、今初めて、積極的な協力を申し出てきたのだ。意外な展開に若干混乱しながら、的場の口をついて出たのは否定の言葉だった。

「馬鹿な! あなた一人で、生徒会を相手取るつもりですか? 無謀です!」
「俺の質問に答えろ馬鹿野郎! てめえはその機械が無きゃただの木偶の坊じゃねえか! その、電気の修理ってのは、いつになったら終わるんだ?」
「……しゅ、修理なら、おそらく、8時を五分ほど回ってしまうと……」
「わぁかった!」

武村が踵を返す。

「5分だ! 5分だけ時間を稼いでやる! 直ったら、俺の携帯にかけてくれ。俺だって、あの人数相手に勝てやしねえのは分かってるからよ。それを合図に逃げ帰ってくるぜ」
「な、何を呑気な! かっ、勝てないどころか、確実に半殺しにされますよ! 生徒会には傷を治せる人間がいます。逆に言えば、死にさえしなければどんな怪我でもためらわずに与えてくるということです! 事実、彼らにはそれを見極めるだけの実力がある!」
「グダグダ言ってんじゃねえっ!」

武村の一喝が、ろれつの回りきらない的場の舌を止めさせた。

「文句抜かしてる暇があるなら、さっさと修理しちまえ! てめえがモタモタしてたら俺が迷惑すんだろが! 急げよ!」

そう言って、武村はコンテナを出た。
「待ちなさい!」
という的場の声も無駄だった。ただ、足音だけが遠ざかっていく。

龍之介が鼻で笑った。

「へっ、あの無茶っぷりは、まるで鬼堂みたいだな。案外、おちょくると面白そーだ。……おい的場。実際、あのヤローを当てにするのか? 5分どころか、5秒でズタボロにされるぜ」

的場が手早く修理を進めながら応じる。

「……おそらく、そうでしょう。しかし、今の僕達は、彼を頼るしかありません。武村くんが少しでも時間を稼いでくれるなら、その時間は非常に貴重なものになります」
「なんだか、急に言うことが素直になったな。気色の悪い」
「ば、馬鹿なことを言わないでください。僕はただ、目的のために最善を尽くしているだけです。今は、一秒でも早く修理を終えなければ……」

正直、的場は自分自身に戸惑っていた。彼は、時間を稼ぎに出て行く武村の背中を見て、 「頼りになる」と思ってしまったのだ。今まで、単なる暴力担当の駒の一つでしかなかったのに。
「仲間」だなどとは、一度たりとも思ったことがないのに。

(僕は、そこまで追い詰められているというのか?)

何でもないプラグの一本が、どうしてもうまく差し込めなかった。
←prev 目次に戻る next→

© 1997 Member of Taisyado.