第7章 それぞれの理由
地下コンテナ区域と呼ばれる場所がある。
主に各種サークルによって利用されるそこは、飾り気の無い、平べったい建物が一つ立っているだけだ。
しかし、それは地上のこと。
地下には百近いの貨物用コンテナが並べられた、浅いが広大な空間が広がっているのだ。
地上のコントロール施設からの操作で、地下のコンテナを一つずつ地上に搬出することも可能である。
その地下のコンテナの中で、二人の男女が何やらモゾモゾと動いていた。
男子生徒が呆れた様に言う。
「……これ、猫の着ぐるみか? こっちはカエルの着ぐるみ……。なんで吹奏楽部が使ってるコンテナにこんなものがあるんだ?」
記録用のノートを持った女子生徒が冷たく答えた。
「いちいち不思議に思うことないじゃない。そんな暇があったら、さっさと仕事進めなさいよ」
男子生徒、坂本勇太が敏感に反応した。
「そんな言い方はないだろ!」
女子生徒、河合ゆり子も負けてはいない。
「あたしが間違ったこと言ってる!? あんたがノロノロしてるから、さっぱり作業が進まないじゃない! こんなつまんない仕事、さっさと終わらせたいのに!」
「だからって……」
勇太が腕時計を見る。
「もう六時半過ぎてるぞ! この頃ずっとこんな時間までだ」
「言ったでしょ。こんな仕事抱えたまんまで、あんたと一緒に新学期迎えたくないの。もうすぐ三月よ? 追い込み掛けなきゃ、春休みに間に合わないかもしれないじゃない!」
「元はと言えば誰のせいだと思ってるんだ!」
「あんたも同罪でしょう!?」
『ハムスター暴走事件』と聞いて、人々は恐怖と笑いとがない混ぜになった、複雑な表情を浮かべる。
去年の秋、蒼明祭を間近に控えたある日のこと、このコンテナの一つで飼われていた数百匹のハムスターが脱走し、学園中を荒らし回ったのだ。
事件は愛美たち生徒会役員の活躍で解決したものの、宗祇が軽いハムスター恐怖症に陥るなど、各所に深刻な影響を与えた。
その事件の中心人物こそが、勇太とゆり子の二人なのである。
生徒会長である朱凰克巳は、二人に対して、ある罰を与えた。
「ハムスターによって汚された地下コンテナ施設の清掃と、各コンテナ内の収蔵物の整理」である。
案外軽い処分だと二人は安心したものだが、その認識は甘すぎた。
清掃はすぐに終わった。
問題は収蔵物の整理である。
一応、大半のコンテナは各種サークルが一つずつ使用しており、その点では整理しやすいと思われたが、中に入っている物は種々雑多で
「どうしてこれがここに?」
という訳の分からないものも多く、いちいち確認が必要になってしまうのだった。
中には処分に困った物が無責任に放りこまれていることもあり、その場合の確認はまず無理である。
サークル用のコンテナでそうなのだから、誰でも自由に利用できるコンテナの場合は推して知るべしだ。
できることなら投げ出してしまいたいが、二人の作業は管理コンピュータの収蔵物リスト作成を兼ねているので、手を抜く訳には行かなかった。
二月の末になってもまだ終わる気配の無いこの地道で面倒な作業は、二人の間の溝を物凄い早さで掘り深めていった。
かつてはゆり子に想いを寄せていた勇太も、今では彼女のことをハムスターマニアの生意気な女としか思っていない。
無論ゆり子が抱く勇太のイメージも、ハムスターの愛らしさを理解しない粗暴な低能男というところまで落ちている。
二人は今や、ちょっとしたことで衝突し合う、犬猿の仲となっていた。
勇太は猫の着ぐるみを蹴飛ばし、ゆり子をにらみ付けた。
「全く、おまえがこんな女だって知ってりゃ、ハムスター騒ぎなんぞに関わらなかったのによ。馬鹿なことしたぜ!」
「あら、ようやく気付いたの? あたしは最初から分かってたわよ。あんたが馬鹿だってね!」
「何だとぉ!」
「何よ、やる気!? アルジャーノン!」
胸元から、一匹のハムスターがゆり子の肩まで駆け昇ってきた。戦闘体勢を整えている。
コンテナの中で二人が通算四度目の激突を(今までは勇太が三連敗している)見せようとした、その時だった。
コンテナの外を男三人が慌ただしく通り過ぎた。
直後、隣のコンテナが開く、重い音が響く。
そこは、確か万能科学部が使っているコンテナだった。
「あ、ちょっと!」
ゆり子が、今までにらみ合っていた勇太の脇をするりと擦り抜け、隣のコンテナへと走った。
新たに収蔵するというならまだしも、何かを持っていくとなればその前に確認をしておかねばならない。
「すいませーん、今コンテナの整理してるんですけど、何か出すなら確認させてもらいたいんで……きゃっ!」
隣のコンテナに入った瞬間、ゆり子はいきなり襟首を捕まれ、壁に押しつけられた。目の前に武村の凶悪な顔を見付け、ゆり子は身の危険を感じて息を飲んだ。
武村が、にやりと笑う。
「おう、どうするよこの女。……見られたからにゃ……」
問われた的場は、コンテナの奥に積まれた段ボール箱を注意深く脇にどけていた。箱の奥には、シートを被せられた何やら大きな物が鎮座している。
的場はちらりと顔を向けて言った。
「そのまま押さえておいてください。人質に使えます」
「だ、そうだぜ。せいぜい、おとなしくしてるんだな。でねえと……」
武村の大きな手が、ゆり子の細い首をつかんだ。
ゆり子の顔から血の気が退く。
「ひっ」
「この馬鹿野郎!」
その声が弾けたかと思うと、武村は腕に手刀の一撃を受け、ゆり子からもぎ離された。
龍之介が割って入ったのだ。
刺すような視線が、武村を射る。
「女の子に乱暴するたぁ、どういうつもりだ? ファンクラブの幹部の座が欲しいんなら、最低限のマナーくらい覚えときな! 山猿が!」
「何だとぉ?」
「やる気か? 俺の力は話したよな? その気になりゃ、てめーを死体に変えるなんざ簡単なんだぜ」
龍之介と武村の間で、危険な視線が交錯する。
緊張の持続に堪えきれなくなった武村が激発しようとするのを、的場の声が制した。
「やめておきましょう、武村くん。何もその子を使わねばならないという理由はありません。そのために天草くんを失うのは馬鹿馬鹿しいですからね。……ああ、そうだ。解放する前に」
ゆり子に歩み寄った的場は、彼女が持っていたノートを取り上げた。
中を確認し、満足そうにうなずく。
「あなた、マスターキーは持っていませんか?」
首を振るゆり子。
「……マスターキーは、勇太って人が……」
「近くにいますか?」
うなずくゆり子。と、その時。
「さっきから何ドタバタやってんだよ」
そこに現れたのは、隣の様子をいぶかしんだ勇太だった。
コンテナの中に龍之介の姿を見付け、たじろぐ。
的場が命じた。
「武村くん!」
勇太が身の危険を感じた時には、すでに武村に組み伏せられていた。
ジタバタともがく勇太の上で、武村が笑う。
「天草、男だったら文句ねえんだな?」
「とーぜん」
涼しい顔で受け流す。そしてゆり子に向かい、
「あ、君はもう帰っていいよ。恐い思いさせてごめんね」
と、龍之介は手を振った。
しかし、的場が呼び止める。
「ああ、ちょっと待ってください。あなたには、生徒会に伝えてもらいたいことがあるんです」
そのあと的場から教えられたことを、ゆり子は一字一句逃さずに記憶にたたき込んだ。
とにかく、一刻も早くこの異様な空間から逃げ出したかったのだ。
捕まった勇太のことなどどうでもよかった。
マスターキーとノートを武村に預けた的場は、再び段ボール箱をどけ、シートに手を掛けた。
「この施設に収められているものの中には、使えるものも多いでしょう。それに、これを加えれば生徒会に対抗することも可能なはずです。調整は、必要でしょうがね」
的場は、ほこりを被ったシートを勢いよくはぎ取った。
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