第7章 それぞれの理由
「最初は、武村くんから誘われたんです……」

ぽそぽそと沖田が話しはじめる。

地下生徒会本部の、取調べ室を思わせる小さな部屋。
ちっぽけな机を沖田と挟んで座ったゆかりは、沖田が意外にもあっさりと口を開いたことに驚き、隣に座る有子と顔を見合わせた。

ゆかりは小声で、

「有ちゃん、この子、催眠術には?」

有子も、ゆかりの耳に口を寄せる。

「それが、沖田くんには何の精神操作もされてないんです。おかしいとは思うんですけど、本当なんです」

ゆかりが沖田に向き直る。

「武村くんっていうのは、あなたと同じ、的場の仲間ね。どんなふうに誘われたの?」
「いい話を持ってきた人がいるから、協力すれば彼女もできるって……」
「彼女?」

沖田の顔が下を向き、ゆかりからは見えなくなる。

「僕、今まで彼女できなくて、だから……」
「それで、あんなことしたって言うの?」

ゆかりに少し語気を強められ、沖田はびくっと身を縮めた。

「し、知らなかったんです! ぼくはただ、ファンクラブを作るだけだって言われて、売春だなんて全然知らなくて、そんな、売春だなんて……」

知らなかったんです、という語尾は、かすれてしまって聞こえない。

ゆかりの表情が沈んだ。正直言って呆れているのだ。
自分たちが必死で追い掛けて、やっと捕らえた犯人グループの一人が、こんな腑抜けだとは思っても見なかった。だが、沖田は生徒会側がつかんだ数少ない情報源なのだ。何としても役立てねばならない。

「そのことは、もういいわ。でも、的場くんたちのことは話してもらわないと困るの。彼らの戦力、目的、奥の手でも何でもいいから、あなたが知っていることをみんな教えてほしいの。……お願い」

ゆかりの真摯な目に射すくめられて、沖田が抵抗できる訳がなかった。

沖田は、自分が知る限りのことを、促されるままに話した。しかし、生徒会にとって、新しい情報はひどく少なかった。せいぜいが、愛美の通信機を壊したのは、沖田が持たされたちっぽけな機械だろうという推測と、犯人グループの核になるのが、的場、武村、沖田の三人であるという確認を得られた程度である。

的場がなぜ、未紀に協力を強いることができたのか。また、的場の目的は本当に売春組織を作ることにあるのか。そして今、的場は<どらぐーん♪>の部室を離れてどこにいるのか。これから生徒会にどう対抗するつもりなのか。そういった疑問は、一つも解決しなかった。

ゆかりが席を立った。有子も続く。「ここで待っていてね」という一言を残して、二人は部屋を出た。

一人、小さな部屋に残された沖田は、ぶはあっ、と息の塊を吐き出して、机上に突っ伏した。

「裏切り者……」

そう。自分は武村を、的場を裏切り、生徒会に情報を与えてしまった。これで彼らが捕らえられたとしたら、それは自分の責任だ。

 ……そうだろうか?

あのゆかりという生徒会役員の様子からして、自分が与えた情報は、たいして役に立っていないようだ。事実、的場が売春組織を作ろうとしているなどということは、彼女に言われて初めて知ったのだから。生徒会は自分よりもはるかに多い情報を持っているに違いない。

その考えに至った時、沖田は言いようのない絶望感にとらわれた。

 自分は、本当に犯行グループの「核」なのか?

ゆかりの話では、的場の要請で動いていた報道委員がいたということだ。彼は的場から詳しい話を聞いておらず、ただ指示にしたがっていただけらしい。どんな報酬が用意されていたかは分からないが、おそらく女生徒をあてがうとでも言われたのだろう。自分と同じように。

それでは、自分はただの駒ではないか。真の目的も知らされず、計画における自分の位置付けも示されず、何一つ分からないまま捕われてしまった。そして、捕らえられたとしてもたいした情報は漏れない。まさに、使い捨ての駒だ。的場にいいように利用されたというわけだ。いわば被害者とも言える。

「……」

たとえ駒でしかなかったとしても、この事件に関わった事実は処罰の対象になる。売春組織の設立に協力したとなれば、停学、いや、退学は間違いない。そのことを両親が知ったとしたら……。

 ぶるっ

鳥肌が立った。躾には厳しかった両親のことだ。二三発殴られるのは当然として、下手をすれば勘当もあり得る。いや、何より嫌なのは、「躾がなっていなかった」と、親自身の不明を嘆かれることだった。別に「躾なんか関係ない。僕は自分の意志でここまで来た」などといきがるつもりはない。今の自分があるのは、両親のおかげだと本気で思っている。しかし、だからといって、子のしたことは何でも親の責任、などと言われたくはなかった。騙されたとはいえ、自分のために自分で決断したことなのだ。

 (自分で決断……)

沖田は顔を上げた。

そうだ。もともとは、沖田自身が、自分のために計画に賛同したのである。

沖田には、深刻な悩みがあった。自分が、周りから必要以上に子供扱いされることである。彼の体躯は、同年代の男子の平均よりもずっと小さく、小学生に間違われることがよくある。変声期は終わったものの声は子供っぽいままで、顔立ちも整ってはいるものの、やはり童顔である。そこに気弱な性格が加わったのだから、周囲の対応が違ってくるのも当然だった。

中学生時代には、それが原因で何度かいじめを受けた。ホームルームで問題に挙げられたこともある。その時、担任の教師が放った言葉は、どんないじめの言葉よりも鋭く、沖田の胸に突きささった。

……「自分よりも弱いものをいじめるのは卑怯だ。そんな奴は、ウサギやインコを殺すような奴と同じだ」

……沖田は、ウサギやインコと同列に置かれたのである。

幸い、沖田は自殺を考える前に中学を卒業し、この蒼明学園高等部に入学した。そこで待っていたのは、いじめではなく、女子生徒からの「かわいいっ」という嬌声だった。沖田は、いじめの被害者から一転、クラスのマスコットに変身したのである。しかし、彼はそれを喜べなかった。

 マスコット……。

ある友人は沖田のことを、女子に人気があって羨ましいと言っていた。沖田には、彼の言っていることが分からない。おもちゃ同然に扱われて、嬉しがる馬鹿がどこにいるというのだろう。沖田の人気は、あくまでマスコットとしてのものである。対等の存在、ましてや恋愛の対象として見てくれる女子など皆無だった。沖田をからかう彼女らの想いは、ペットを相手にする時とさほど変わるまい。

沖田は、その状況を打破したかった。だから、的場の計画に乗ったのだ。龍之介のファンクラブの幹部として、自分をマスコット扱いした女生徒たちの上に君臨したかった。そして、彼を恋愛の対象として見てくれる女子を待ちたかったのだ。

彼は、その望みが、かつて自分をいじめた者たちと大差ない動機によって成り立っているということに気付いていない。沖田にとって、自分はあくまで被害者であり、不当に落としめられた自らの地位を回復するのは当然の権利なのである。

しかし、その権利も、もはや奪われた。自分は捕われ、処分を待つ身。武村や的場も、そのうち捕まることだろう。そうすればこの事件は終わりである。あとには、三人の退学者が出るだけだ。

その時、ふと、武村のことが気になった。彼も、的場に騙されているだけなのではないだろうか。彼を助けなくてもいいのだろうか。

武村とは、高等部に入学してからの仲である。沖田とは正反対のタイプなのに、不思議とウマが合った。沖田は何かあると、武村に相談することが多かった。しかし武村の答えは、たいてい全くの的外れか、乱暴すぎてとても実行できそうにないものばかり。それでも、武村なりに考えていてくれる様子が見て取れて、沖田は嬉しかった。逆に、定期テストが近付いてくると、決まって武村が沖田を頼ってきた。沖田は、自分を当てにしてくれる者がいることが、とても嬉しかった。

 (よし)

武村を助けよう。それができるのは自分しかいないはずだ。どうやるのかは、これから考える。生徒会の役員が再びここに戻るまでは、もう少し時間があるだろうから。
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