第6章 暴きだされる野望
寒風の吹きすさぶ銀杏並木。秋には鮮やかな黄色の葉を付けていた銀杏の木々も、今や素裸となって、見る者とてない淋しさと、冬の寒さを強調している。
津山秀司は、やっと満足できる場所に辿り着き、安堵の息を吐いた。
すでにほとんど日は落ち、辺りは急激に暗くなりつつある。ますます好都合だ。
助手席の小娘を見る。車に乗せたときは虚ろな目をしていたが、今では静かな寝息をたてている。

(的場め……。なかなかの上玉をよこしたものだ。奴が教えてくれたこの場所も、この季節では人通りがない。くくく……奴との協力も、悪くはないか……)

津山はエレキカーのエンジンを止め、<恋人たち>の座席のリクライニングを倒した。

(この前は落ち着いてできなかったが、今回は……)

自分の席のリクライニングも倒し、津山は上着を脱いだ。
座席に膝をつき、<恋人たち>に覆いかぶさる。

 ごくり。

津山の喉が大きく上下した。熱を帯びた眼球が見る見るうちに血走り、呼吸が乱れる。震えながら伸びた右手が<恋人たち>の上着をはぎ取り、ブラウスのボタンを一つ一つ外していく。やがて<恋人たち>の白い肌と下着があらわになった、その瞬間。

 ずかっ!
 がろんっ!

津山のわずかに残った貴重な頭髪が、二月の風に乗って何本か舞い散った。

「な……なんだっ?」

思わず<恋人たち>から身を離した津山は見た。車体後部のトランクの上に立つ黒い人影を。

「な、ななな……」

(嘘だ! どうしてこんなところに人がいる? いや、私は幻を見ているのか? 今の時代に日本刀など……。それに、いくらそんなものを持っているからといって……)

目に映るものが信じられなかった。円く目を見開いたまま、辺りを見回す。銀杏並木がよく見える。視界をさえぎるものが無い。

(奴は、あの女は、車体の上半分を斬り飛ばしたとでも言うのか!?)

風が人影の長い髪を吹き散らした。白い月の光が、刀身に冷たく跳ね返る。
津山は驚きと恐怖に身を縛られながら、やっと次の一言をひねり出した。

「だれ……だ……?」

しかし反応は冷たく、痛烈だった。

「貴様ごときに名乗る名などない」

この時初めて、人影が女であることが分かったのだが、津山にとってはもはやどうでもいいことだった。

「まさか、まさか私を殺そうなどと……」
「言うな! 命乞いなど聞くつもりはない!」

女は刀を構えた。鋭い切っ先が、ピタリと津山の眉間に狙いを付ける。

「教師という聖職にありながら、抵抗できぬ婦女子を手にかけようなど、万死に値する。私が裁きを下そう。<正義>の名のもとに!」
「ま、待て! たすけ、たすっ……!」

<正義>が動いた。左足がトランク上を蹴り、右足が一気に踏み込む。足と完全に連動した上体が流水のごとく刀身を運び、切っ先が完璧な正確さで津山の眉間に襲いかかる。

「待って! <正義>!」

 どすっ!

後ろから、エレキカーを飛ばして追い付いてきた愛美の制止も、<正義>の一撃を止めることはできなかった。

「遅かったか……!」

エレキカーの運転席から降りた宗祇が嘆息する。外からでも、津山が手足をぴくぴくと痙攣させているのが見えた。
愛美がエレキカーから飛び降り、津山のエレキカーの中で立つ<正義>に詰め寄った。

「何も殺すことはなかったじゃない! 確かに津山はどうしようもないクズみたいな奴だけど、殺しちゃったら……!」

しかし、<正義>は淡々と答えた。

「はい。彼の所業は、とても許されるものではありません。しかし、私が彼の命を絶つことも、また許されることではないでしょう」
「だったらどうして……!?」

顔を真っ赤にしている愛美の様子を見て<正義>はクスッと笑い、「ご覧ください」と愛美たちを促した。

「あ……」

愛美たちは目を円くした後、すぐに苦笑した。
<正義>の持つ刀は、エレキカーのダッシュボードに突き刺さっていたのだ。津山のこめかみから髪一本分ほどを隔てて。当の津山は、そのあまりの恐怖からか、白目をむいて失神している。
<正義>が、いたずらっぽい笑顔で言った。

「私とて、自分の身を汚い血で汚したくはありませんからね」
「そりゃそうね!」

愛美も笑った。宗祇は、車体の上半分を斬り落とされたエレキカーから目を離し、

「さて……あとはネズミの始末か……」
「な、何なんだよ、あれは……?」

銀杏並木を足早に通り抜けようとする蒲田吉則(かまたよしのり)は、赤外線暗視機能付きのデジタルビデオカメラをつかむ手の震えを止めることができなかった。
先ほど自分の目の前で展開した光景を、にわかには認めることができなかったのだ。津山の所業もそうだったが、どこの世界に、何もない空間から突然現れ、エレキカーの上半分を日本刀の一閃で斬り落とす人間がいるというのか?

「とにかく、仕事は終わりだよな……」

たとえ自分の見たものが信じられなくとも、手元の愛機は真実をつかんでいるはずだ。何が写っていようとも、この中身をあの男に渡せば全ては済む。
蒲田は愛機をバッグの中に注意深くしまうと、寒さにぶるっと身を震わせて足を早めた。

「何をしてるんだい、蒲田くん?」

その声と同時に、背後から肩をつかまれた時、蒲田の心臓は確かに一瞬停止した。声の主は、彼が所属する報道委員会を統べる男だったのだ。

「き……紀家委員長……!」

動揺する蒲田にかまわず、紀家がさらに間を詰める。

「出版部のみんなが困ってたよ。カメラマンの君が来なくちゃ、打ち合せもできないってね」

紀家の声は、あくまで柔らかだった。しかし、街灯の光の下に浮かび上がる彼の表情に、甘さはない。そのただならぬ雰囲気を敏感に察知した蒲田は、早々に退散することに決めた。

「あの、俺、用がありますんで……」
「その証拠映像を届けに行くのかい?」
「!」

言葉に詰まり、後ずさる蒲田に、紀家はさらに詰め寄った。

「おかしいとは思ったんだ。いくら津山にとって女生徒の身体が魅力的な報酬でも、発覚の可能性や、発覚した後の身の処遇を考えれば、そのうち尻込みするに決まってる。それでも組織に縛り付けておくには、脅迫するしかない。……君が持ってる、その証拠映像でね。蒲田くん、同じ報道委員の君が犯人グループの一人だったなんてね……」
「な、何を言ってるんですか。訳の、分からないことを……」
「言い逃れは、無理だと思います」

その声は、紀家の背後の闇から聞こえてきた。蒲田が驚いて目を向けた時、初めて気付いた。そこには、生徒会用のエレキカーと、小柄な図書委員長がたたずんでいたのだ。
後ろの有子に紀家が、

「有ちゃん、どうだった?」
「彼の心にも、やっぱり防壁が張られてます。でも、未紀先生のほど強固じゃありませんし、今の先輩の言葉でかなり揺らいじゃってるから……大丈夫。抜けられます」
「そう、じゃあ、もう少し壊しとかないと……」

と向き直った紀家に、蒲田は脂汗をじっとりとにじませて、あえぐ様に言った。

「いったい、いったい委員長たちは何なんですか! 俺に何をしようってんですか!」
「君に真実を話してほしいだけさ。君たちの首謀者、的場響一の、本当の狙いをね」
「し、知らない……」
「君は、自分が何をしているのか知ってるのかい?」
「知らない! 俺は何も知らないんです!」

紀家が語気を強めた。

「的場は、売春組織を作ろうとしてる。そして、君はその片棒を担いでいるんだ!」
「う……」

有子が、紀家に駆け寄ってきた。

「先輩。防壁、抜けました」
「ありがとう。どうだった?」

 その問いに首を振る有子。

「この人、何も知りません。先日、的場って人に頼まれて、ここで撮影してただけみたいです。ここに来るのが津山先生だってことも知らなかったみたいですから」
「……そうか。残念だね」
「でも、この人が向かおうとしてたのは『どらぐーん♪』の部室ですから……」
「うん。叶くんと佑苑くんに任せようか。有ちゃん、蒲田をお願い」

訳の分からない会話に挟まれておろおろしていた蒲田に、有子が触れた。

「え、なに、えっ?」
「ごめんなさい。今、記憶消しますから」

哀れな蒲田は、何が何だか分からないまま、本当に何も分からなくなってしまった。
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