第5章 確かめる絆 取り戻せない絆
(探偵って、こんな感じかしら?)

愛美は、建物の蔭に身を隠しながら、ふと、そんなことを考えた。しかし、彼女の印象はサングラスのせいで、探偵というよりもギャングかマフィアの一員のようだ。

(これで、トレンチコートでも着てたら完璧だけど)

そう。さらにマシンガンでも持っていれば、完璧である。

愛美は、簡易クラブハウスの蔭から顔を出した。彼女の視線の先には、未紀の後ろ姿がある。的場の看破したとおり、生徒会は未紀の拘束を解き、その後の動きを秘かに追っていたのだ。

開放されてからここに来るまで、未紀は幾人かの生徒と会話を交わしているが、それらには別段怪しい点は無く、単なる世間話で終わっている。何かを渡したりした様子もなかった。うまくすれば、泳がせているうちに事件の共犯者と接触するのではないかと期待していたのだが……。

「っくしゅ」

くしゃみが出た。あわてて口元を押さえ、壁にさらに体を押しつける。二月の寒空の下である。体が冷えるのも当然であった。どうやら、未紀はくしゃみに気付かなかったらしいが……。

寒気を感じて体を震わせながら、右耳に仕込んだイヤホンの位置を直す。このイヤホンは、未紀が交わした会話を聞き取るためのものである。未紀の上着のポケットには超小型マイクが潜ませてあるのだ。さらにバッグに仕込んであるのは小型カメラである。無論、これらの音声と映像はリアルタイムでノアに送信され、記録されている。

(接触さえしてくれれば、なんとでもなるのに……)

「うまく犯人と連絡を取ってくれるでしょうか?」

不安げな口調で愛美の気持ちを代弁したのは、彼女に寄り添っていた<正義>だった。彼女も愛美と一緒に未紀を追っているのである。愛美だけでは、たとえ未紀が共犯者である三人の男子生徒と接触を持ったとしても、そうと判別できない。それが確実にできるのは、鬼堂がさらわれた際、直接犯人の顔を見ている<正義>だけなのだ。

<正義>は信吾が拉致されようとした時、本来の姿を現して犯人を捕らえようとしたが、その前に信吾にかけられた催眠ガス・・・おそらくは<ゆめうつつΣ>・・・に触れ、眠りに引きずり込まれてしまったという。しかも、その前に確かに聞いていたと思われる犯人たちの名前を、どうしても思い出すことができなかったのだ。どうにか記憶を取り戻そうと、佑苑に催眠術をかけてもらったが、<正義>の強靭な精神力ゆえに失敗している。
その雪辱を何とか晴らそうと、<正義>は愛美との同行を志願したのである。

ちなみに、<正義>の服装は袴姿から、セーターとスラックスに変わっている。さすがにあの和装では目立ちすぎるし、かと言って武器の姿を取ってもらうわけにもいかない。どんな状況の変化から、変身を解く必要が生じるか分からないのだ。

<正義>の言葉に、愛美は重い口調で返した。

「そう願うしかないわね」
「申し訳ございません。私の描いた似顔絵、お役に立てることができませんでした……」

<正義>が、心底すまなそうに謝った。

「あれを利用できれば、こんな手間をお掛けすることもありませんでしたのに……」
「……気にしなくたっていいわよ。誰にでも、得手不得手ってものはあるんだし……」

と言いつつも、愛美は<正義>と目を合わせることができなかった。

(言えない。彼女の描いた似顔絵を最初に見た時、「くらげ」にしか見えなかったなんて、とても言えない……っ!)

参考までに、宗祇は「肉まん」に、べるなは「ヒンズースクワットをしているグレイ」に見えたそうである。

「愛美さま!」

一人苦悩していた愛美の袖を、<正義>が引っ張った。
<正義>に促されて顔を向けると、そこでは未紀が立ち止まり、クラブハウスの二階か三階あたりを見上げていた。
背を向けているため、表情までは読めない。

「どうしたんでしょう?」
「気になるわね……」
「ほう、何が気になるというのかねぇ?」

突然背後から声をかけられ、二人は身を硬直させた。

この、糸を引くようなねとついた調子の声は……。

愛美は、自分の予想が外れていることを切実に願いながら、ゆっくりと振り向いた。しかし、悪い予想というものは概ね的中するものだ。

「ほうほう、誰かと思えば江島くんではないかね」

いつのまにか愛美たちの背後にいた人物、高等部の数学教師、津山秀司は、半ばまで禿げあがった頭をてらてらと光らせながら、黄色く汚れた歯を見せてニッタリと笑った。そして、例によって愛美の身体を、その欲望に染まった視線で上から下まで舐め回す。愛美は、一刻も早くシャワーを浴びてしまいたい衝動に駆られた。

この時、愛美が少々動転していたことは否定できない。
そうでなければ、クラブハウスの蔭からおどおどと姿を現し、未紀の側を足早に通り過ぎていった沖田を見逃すはずがなかった。

津山の視線が、新たな獲物に向けられる。標的となった<正義>が、びくっと身体を震わせた。

「おやおや、君は見ない顔だねぇ。大学部の学生かね? んぅ〜、さすがに大学生ともなると、色気も違うもんだねぇ」

津山の鼻が、ふんかふんかと<正義>の匂いを嗅ぐ。視線が、<正義>をべろべろと舐め回す。

「いやいや、今日は運がいい。生徒会の綺麗どころばかりか、君のような美人とも顔を合わせられるとは……」

津山はヌルリとした動作で二人の間に割って入ると、
<正義>の秀麗な顔に、自分の顔を近付けた。ツンとする口臭が、彼女の鼻を刺す。<正義>の顔が、恐怖と嫌悪に歪んだ。

「どうだね。大学生といったら、どうせ暇な身分なんだろう? 後で、私と食事にでもつきあいたまえ。うん?」

<正義>の細い腰に、津山の手が回される。<正義>の口から、「ひっ」という小さな声が漏れる。さらに津山の手は、腰から下の方に滑っていった。

その時だった。

「嫌ぁっ!」

悲鳴と同時に<正義>の身体が一瞬沈み込み、次の瞬間、

 ごっ!

しなやかに伸びた<正義>の右手が、津山の細い顎を痛烈に突き上げていた。

「ひゅぶっ!?」

津山は唾液の飛沫を撒き散らしながら、もんどりうって倒れた。<正義>は卓越した体さばきで、飛沫を全てかわしきる。

(やったぁ!)

愛美は心の中で快哉を叫んだ。しかし、当の<正義>は呆然とした様子で、倒れた津山を見ている。その目には、恐怖と驚きが渦を巻いていた。

「あの、私、私……」
「もういいから! こっちへ!」

愛美は<正義>の腕を取ると、彼女を強引に引っ張って、その場から逃げ出した。津山を殴り倒してしまった以上、あの場に留まることはできない。

「も、申し訳ございません愛美さま……っ」

走りながら、<正義>は懸命に詫びた。

「でも、私、私、あの程度のことで平静を失うだなんて……。愛美さま、あの御仁はいったい何物なのですか? 魔宝である私の心をああまで揺るがすなど、並みの人間にはできようはずが……」
「あれのこと? そうね、化け物とでも思ってればいいわ。『女の敵』って名前のね。だから」

愛美はサングラス越しに、いたずらっぽく笑った。

「気にすることなんてないわよ。えへへ、実はね、私もあいつにはいい加減頭にきてたところなの。あなたがやってなかったら、私が一発食らわせてたわ。こいつでね!」

そう言いながら、扇子をパンと鳴らす。

<正義>は愛美の心遣いに深く礼を言った後、津山のいる方向に顔を向けた。

「どうしたの? やっぱり津山が心配?」
「い、いえ、そう言うわけではありません。ただ……あの御仁、ここまで車で来られた様で……。それがちょっと気になったものですから」
「車?」

愛美も、<正義>と同じ方向に目を向けた。たしかに、転がっている津山の近くには、エレキカーが停まっていた。
愛美たちがここに来た時には、あんなものはなかったのだから、津山が乗ってきたものと見て間違いない。
しかし、なぜ? ここから校舎までは、離れているとはいえたいした距離ではない。そもそも、何の用で津山がここにいるのだろう?

「……まあ、いいか」

疑問ではあるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。未紀の監視を、早く再開せねばならないのだ。
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