第5章 確かめる絆 取り戻せない絆
万能科学部やオカルト研究会などの部室が収められている高等部用クラブハウスよりもさらに離れた場所に、同じような五階建ての建物が数棟並んでいる。
ここは、学園からの部費の下りない弱小サークルがひしめきあう、高等部用簡易クラブハウスと呼ばれる建物である。
その三号棟の二階に、天草龍之介ファンクラブ「どらぐーん♪」は存在する。そしてその部室の中には、あの的場と武村の二人がいた。いや、それだけではない。その二人を期待と猜疑の目で見守っている二人の女生徒がいる。そして、拉致された龍之介と〈恋人たち〉も。
女生徒の一人が、恐々と的場に声をかけた。

「あの、的場さん……。本当に大丈夫なんですか?」

的場は、眠ったまま椅子に座らされている龍之介の正面に立ち、振り返ることなく女生徒に声を返した。

「何がです?」
「りゅ、龍之介さんとこの女の子、その、まるで誘拐みたいに……」
「文句でもあるんですか?」
「いえ! そんなこと! でも……」

的場は、苛立った様子もなく、むしろ素っ気ない口調で言った。

「いいんですよ、別に。あなたがたの他にも、天草くんの公認ファンクラブになりたいというサークルはあります。僕のやり方が気に入らないというなら、そちらに乗り換えるだけのことですから」
「そんな……」

それきり、女生徒は沈黙し、隣の友人と不安げな視線を交わしあう。
椅子を引き、龍之介の正面に座った的場は、まるで服の埃を払うかのように、

「さ、邪魔ですから、あなたがたはここを出てください」
「えっ……?」
「聞こえませんでしたか? ここを出てください」
「でも、ここは私たちの部室で……」
「武村くん」

武村がその巨体をゆっくり椅子から持ち上げ、獣のような目で女生徒たちを睨み付けると、彼女らは的場に聞こえないように小声で愚痴をこぼしながら、足早に部室から逃げ出した。少々残念そうに、武村が一つ息をつき、次いで納得しかねるといった表情で的場に向き直った。

「天草の催眠なら、もう終わったんだろ? なんか、ずいぶん手間取ってたけどよ」

的場は武村を軽く睨むと、いかにも面倒臭そうに答えた。

「彼への暗示は、万全を期しておかねばなりませんからね。少々の手間は仕方ありません」

的場は傍らに置いてあった小さなスプレー缶を手に取って軽く振った。缶の中身は、振ってもほとんど音がしないほどに減っていた。的場は表情を曇らせ、自分のポケットにねじこんだ。
缶の中身は、『ゆめうつつΣ』。そう。国語教師の未紀がオカルト研究会から盗みだした秘薬であり、そして龍之介と<恋人たち>を一瞬にして眠りの淵へ放りこんだものの正体である。
皮膚吸収により、対象の生物を即座に眠らせるこの秘薬。しかし、的場は少々異なる使用法を知っていた。
「ゆめうつつΣ」の吸収量を微妙に調節することによって、対象を就寝時レム睡眠、つまり半覚醒状態に陥らせることができるのである。この効果を利用し、龍之介に催眠術をかけることで、自分の意のままに操ろうというのが、武村の知る今回の的場の計画であった。

催眠術。
的場がこの怪しげな術に通じていると本人から話された時、武村は正直、半信半疑であった。そんなものを当てにして、的場の計画に乗るのは自殺行為であると。しかしその疑問は、的場の招きでこの簡易クラブハウスの一室を訪れた時に氷解した。
「どらぐーん♪」の部室で武村を待っていたのは、的場の催眠術によって武村に好意を寄せるようになった二人の女生徒だったのだ。その柔らかい体を武村にすり寄せ、甘い声で愛をねだる二人の女生徒。残念ながら、武村が彼女らの肉体を貪ろうとしたその瞬間、的場のキーワード一つによって催眠は解け、二人は悲鳴を上げて武村から飛び離れてしまったけれども。欲望の行きどころを失い、悔しがる武村に、的場は言った。

「僕の計画に協力してくれれば、この程度のことはいくらでも提供できます。今度は、最後までね」

その一言が、武村に腹を決めさせた。この「どらぐーん♪」を再編成し、会員を集めてその実権を握ろうという、的場の計画に加わる決意を固めたのだ。
しかし、ついさっき気付いたのだが、今の的場の行動は、少々納得がいかない。いずれ自分たちはこのファンクラブの実権を握り、女たちを支配下に置くことになるのだが、あくまで地盤は「どらぐーん♪」であり、その構成員である。当然、彼女たちは計画に参加させねばならない。では、なぜ的場は彼女たちを追い出したのか……?

武村はその旨を的場に尋ねた。今、ファンクラブの会員たちと不和を起こすのは得策ではないのではないかと。
的場はそれを聞くと、まず呆れきった顔で武村を眺め、続いて、彼には珍しく凄味のある笑みを見せて言った。

「ファンクラブですって? あなたは、僕が本気でそんなものを目的に、計画を進めてきたとでも思っているんですか?」
「あ?」

武村は惚けたように目を丸くし、次の瞬間、激昂した。

「何言ってやがんだ! ファンクラブ作って、女たちを操ろうってのが計画だろうが!」

だが、的場の調子は変わらない。

「馬鹿馬鹿しい。たかがファンクラブ一つ作ったくらいで女どもが意のままになるはずがないじゃありませんか。たとえ催眠術を使ったところで、限界はすぐです。机上の空論にもならない。この点が分かっていたあたり、天草くんも、ただの女たらしではなかったわけですね」

そう言ってから、的場は校舎裏での天草との騒動を思い出し、苦々しく表情を歪めた。
的場は自分でも信じていない台詞を口にしていたとはいえ、あの誘いの言葉は、相応に練りあげたつもりの自信作だったのだ。それを真っ向から跳ねつけられ、あまつさえ馬鹿呼ばわりまでされたのである。しかし、その龍之介も、今や計画の駒となるべく、ここにいる。
勝利は、目前。
的場は、ねとつくような笑みを浮かべ、自分の前髪を撫でた。

「あなたには、そろそろ話しておいたほうが良いでしょうね。僕の、真の目的を……」

・・・・……ごめんね……
・・・・僕じゃ、僕じゃダメなの!? 
・・・・なんでもいい! でかいことをやれ! 
    世の中引っ繰り返すような、どでかい事を
    やって、あいつを見返してやれ!

「……でかいこと、やりましょう」

沖田聡は、その小学生にも見まがう小さな体躯を懸命に動かして高等部用簡易クラブハウスに飛び込み、階段を駆け昇って「どらぐーん♪」のノブにすがりついた。

「武村くん、的場くんっ!」

叫びながら、ドアを引き開ける。狭い室内では、的場が<恋人たち>の正面に座っており、武村はその様子を、さも面白そうに眺めていた。
的場が振り向く。

「ああ、遅かったですね沖田くん。どうでした? 生徒会の動きは分かりましたか?」

沖田は乱れた息を整えながら、

「う、うん。あ、いや、そうじゃなくて、大変なんだよ! 先生が、未紀先生が捕まって……」

的場は少し眉をひそめ、「喚くならドアを閉めてからにしなさい」と文句を言ってから、両腕を組んだ。

「……そうですか。生徒会もそこに辿り着いたわけですね。いや、問題ありません。これは予定どおりの展開ですし、彼女には三重のプロテクトを仕込んでおきました。間違っても、僕たちの情報が漏れることはありませんし、これで少々時間も稼げるでしょう」
「だから、そうじゃないんだよっ!」
「だったら、何だと言うんですか!」

律儀にドアを閉め、的場の方を向いた沖田の顔は、今にも泣きだしそうに歪んでいた。
そして、叫ぶように言う。

「その未紀先生が、こっちの方に向かってきてるんだよ!」

一瞬、沈黙が場を支配する。そして、

 ざっ。

的場が無言で立ち上がった。鋭い舌打ちの音が鳴る。

「沖田くん。あの女は今、どれくらいの距離にいるんです? あと、バッグなどを持っていませんでしたか?」
「バッグ? うん、小さいのなら持ってたけど。それに距離は、えっと、あそこの辺で追い抜いたんだから……あと五、六分で、ここの下に着いちゃうんじゃないかな。……どうしよう! 僕たち捕まっちゃうの?」
「落ち着きなさい!」

うろたえる沖田を、的場は鋭く一喝した。

「生徒会の連中、案外とやります。彼女を尋問しても情報が得られないので、釈放して泳がせようというのでしょう。……しかし、思ったよりも動きが早い……!」

未紀に催眠術が掛かっていることが看破されたのは、まず間違いない。まさか、これほど早く見破られるとは思っていなかった。生徒会役員の中に催眠術に詳しい人間がいるのか、それとも……。

(彼か……?)

奇想天外な超科学と魔術を身につけ、高笑いとともに世界制覇の野望を語る男。的場が唯一、「天才」と認める、あの男が生徒会についていたとしたら……?

的場は首を振り、その考えを打ち消した。彼は先日、生徒会と衝突しているし、そうでなくとも、あの男は生徒会ごときに唯々諾々と従う器ではない。それに、もし彼が協力をしていたとしたら、的場はすでに捕縛されていることだろう。
それでもなお残る不安を何とか振り払い、的場はドアを開けて外を見た。まだ、未紀の姿は見えない。彼は上着のポケットをまさぐり、単三乾電池によく似た形の黒い物体を取り出して沖田に投げ渡した。電池のプラス極にあたる位置には、小さな赤いボタンが出っ張っている。

「彼女の相手は僕がしましょう。沖田くん、それを持って、外で待機してください。あの女がこの棟の近くにきたら、そのボタンを押して彼女とすれ違うんです。可能なら、尾行している生徒会の奴らの位置を確認してからにしてほしいのですが……、そうですね、出るタイミングは、僕が携帯電話で指示しましょう。僕からの連絡がすんだら、すぐに電源を切ってくださいね。……それから、武村くん。あなたも、携帯電話は持っていましたね。 ちょっと出してください」
「ああ? どうするつもりだよ」

武村が携帯電話を取り出すと、的場はそれと自分の携帯電話を交換した。

「そろそろ、お客から連絡があるはずです。僕があの女の相手をしている間に連絡が来たら、さっき言ったとおりにお願いします」
「分かった。任せろ」
「……頼みましたよ」

信頼しきれぬとでも言いたげな視線をちらりと武村に向け、的場は外に出た。続いて沖田も彼の後を追おうとしたが、ふと振り向き、武村に尋ねた。

「ねえ、『お客』って、何のことなの?」
「ああ、あれか」

武村は、歯茎まで剥き出して、獣のように笑った。

「沖田ぁ。こいつは、単なるファンクラブ作りじゃ終わんねえぜ。へへへ、女だけじゃねえ。この学校、みんな俺たちのもんってえわけだ……」

武村の目に、狂熱の炎が暗く燃えている。沖田は何だか恐くなって、質問の答も聞かずに部室の外へ逃げだした。
一人残される武村。彼の視線は、ゆっくりと、椅子に座ってうなだれている<恋人たち>に向けられた。彼は座った姿勢のまま、椅子を引きずって<恋人たち>の前に来る。

「へへ、いい女じゃねえか……」

武村は<恋人たち>の肩を掴んで引き寄せ、顎をつまんで正面を向けさせた。<恋人たち>はまったく抵抗しない。薄く開けた瞼の奥で光る、少し潤んだ瞳と、形のいい艶々とした唇が、武村を妖しく誘う。手の平越しに伝わる女の身体の柔らかさが、否が応にも彼の心拍を上昇させる。そして、<恋人たち>のわずかに漏れる吐息が武村の鼻腔をくすぐった時、今にも弾けそうだった理性のタガは、音を立てて一斉に吹き飛んだのだった。

「か、かっ、構うこたぁねえ! 客だろうが何だろうが知ったことか! あんな野郎にくれてやるこたぁねえんだ。お、おれが、俺が、や、や、やってやるっっ!」

武村は<恋人たち>の腕を掴み、引き寄せて一気に抱
きすくめた。

(うわぁっ、やわらけぇっ……)

その感触を充分に堪能する余裕もなく、今度は自らの唇を<恋人たち>のそれと合わせようとする。先程の勢い込んだ台詞とは裏腹に細かく震えながら、ゆっくりと顔を近付けていく武村の視界で、<恋人たち>の顔が、唇が、少しずつ大きくなっていく。

ついに、二人の唇が触れる・・・その直前、携帯電話がけたたましく鳴った。

「うわっ!」

武村は飛び上がらんばかりに驚き、<恋人たち>の身体を引き離した。そのまま、鳴り続ける携帯電話を虚脱したように眺める。

「……ど畜生がぁっ!」

突然、腸の煮え立つような悔しさを覚えた武村は、立ち上がり、壁を殴り付けながら携帯電話を睨み付けた。
しかし、その悔しさの奥で、わずかな安堵が芽生えていたことを、武村は否定しきれなかった。何故なのかは、まったく分からなかったけれども。
携帯電話は、まだ鳴り続けていた。
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