第5章 確かめる絆 取り戻せない絆
高等部の国語教師、菅原未紀が呼び止められたのは、職員室で今日一日の荷物をまとめて帰路に着こうとした、その時だった。椅子ごと振り向いた未紀は、自分の顔から血液が逃げ出すのを知覚せずにはいられなかった。そこには、高等部生徒会の保健委員長と図書委員長、そして、会計監査委員長が立っていたのだ。彼女らが、決して古文についての質問を携えてきたわけではないことは、三対の目が雄弁に語っていた。質問したいのは、もっと別のこと。
それを正確に洞察しながらも、未紀は尋ねた。

「あ、あら、どうしたの三人とも。授業で何か分からないところが?」

高等部トップクラスの学力を備える三人は、それには答えなかった。
ゆかりが、前に出る。

「未紀先生……。先生が顧問をしていらっしゃる、オカルト研究会と万能科学部のことについて、お尋ねしたいことがあります。……お時間、よろしいですか?」

水晶のように固くこわばったゆかりの言葉に、未紀はゆっくりとうなずいた。未紀は知っていた。自分が、生徒会によって尋問されようとしていることを。そして、この時が必ず訪れるということも知っていた。
未紀が椅子から立ち上がる。その動きは、それまで彼女が持っていたみずみずしさが一切感じられない、枯れた挙動だった。

……未紀が案内されたのは、生徒会役員執務室。いわば、生徒会の表の活動拠点である。
スチール製の机に座らされた未紀の正面に愛美。その両隣にゆかりと有子。少し離れたところでレコーダーを傍らに置いたべるなが書記を務め、未紀の背後には宗祇と佑苑が、威圧的な視線で未紀を突き刺しながら立っている。

「これを見てください」

サングラスの端を光らせ、愛美は、数枚の写真をデスクに広げた。

「先週土曜日の午後五時半以降の、オカルト研究会と万能科学部に設置された防犯カメラの映像から取ったものです」

写真には、ロッカーや金庫から薬品のケースを取り出す未紀の姿が封じ込められていた。
未紀はオカルト研究会から二つの薬品を持ち出した後、万能科学部の部室にも現れたのだ。

「あなたが持ち出したのは、万能科学部から生物幼化剤『ショタコニンX』、オカルト研究会から成長促進薬『育ちすぎα』、そして、速効性睡眠薬『ゆめうつつΣ』の三つ。……間違いありませんね」

未紀は、緩慢な動作で首を縦に動かした。
愛美が詰問する。

「これらの薬品を持ち出して、いったい何をするつもりだったんですか? 何のために鬼堂くんを子供に戻したんですか?」

愛美は、わざと核心を突いていった。それまでうつむいていた未紀の顔が、わずかに跳ね上がる。しかし、未紀は何も言わなかった。
愛美は、デスクの引き出しから、いくつかの小さなビニール袋に包まれたものを取り出し、未紀の目の前に並べていった。ボタン、腕時計、校章、生徒会役員バッジ、ロザリオ、そしてピアス……。

「……これらは、宝生院生活委員長と佑苑催事実行委員長が、今日、校舎裏の植込の中から見付けたものです。これらの持ち主は、清美委員長、天草龍之介。……先生。とある一般生徒から、『天草清美委員長が授業後に、校舎前であなたと立ち話をし、その後校舎裏に走っていくのを見た』という証言を得られました。あなたなら、これらの遺留品が何を意味しているか、お分りになるはずです」

未紀は、何も言わなかった。愛美は続ける。

「これも見ていただけますか」

彼女が出したのは、しわくちゃになった大学ノートの一ページである。それは、武村が信吾を校舎裏に呼びだすのに用いた果し状だった。愛美たちはそれが武村自筆の物であることまでは知りようがなかったが、信吾の拉致を目的に作られたものであることは容易に察知できた。

「答えてください! 鬼堂風紀委員長を子供にして、天草清美委員長を拉致して、あなたはいったい何を企んでいるんですか!」

愛美の右手が、デスクに叩きつけられた。サングラス越しに突き刺される愛美の視線を、未紀はわずかに潤んだ瞳で受けとめた。
そして、口を開いた。

「ごめんね。何も話せないの……」

その反応に愛美は絶句したが、すぐに頭に上った血液をねじ伏せ、左右に座るゆかりと有子に視線を走らせた。しかしそれは、さらなる絶句を生む結果になった。
ゆかりは視線を落としてわずかに首を振り、有子は困り切った目ですがるように愛美を見ていた。
愛美は、この二人に未紀の心を読んでもらっていたのだ。
ゆかりには《読心》の魔法で。有子にはテレパシー能力で。しかし、この卓越した能力者二人の力をもってしても、未紀の心を読み取ることはできなかったのだ。
愛美の意識に、有子からのテレパシーが流れこんできた。

(ごめんなさい愛美先輩。でも、変なんです。未紀先生の意識には、いくつも防壁が張られてます。それも、未紀先生自身が展開してるものじゃなくって、どうも外部から添付されたものみたいで……)

必死に驚きを表面に出すまいとする愛美に、有子はさらに思考を転送した。

(それに、この防壁、こっちの侵入だけじゃなくて、未紀先生の言動にも制限をかけてるみたいなんです。間違いないです。未紀先生、誰かから精神操作を施されてます。そうでなきゃ、こんなこと、考えられませんっ!)

有子の見解が正しいとするならば、未紀はただ薬品の運搬に利用されただけで、裏にはそれを命令した黒幕が控えていることになる。その黒幕が何者なのか、今の段階で断定することはできそうにない。
未紀が、哀しげに呟いた。

「ごめんね。あたし、この件については、何も言えないのよ……」
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