第5章 確かめる絆 取り戻せない絆
自称、天才科学者にして天才魔道士、ドクトルKこと八雲和郎は、シャーレの菌床に培養液を吹き付けながら、忌ま忌ましげに鼻息の塊を撃ちだした。

「ええい、このドクトルKが、奴らにいいようにこき使われるとは……。やつらめ、身の程というものを知らん」

毒突きながら、八雲はつい先程の記憶を反芻してみた。
……オカルト研究会と万能科学部の部室に、国語教師、菅原未紀が侵入したことを確認した生徒会役員たちは、未紀の拘束、および尋問のために慌ただしく動き始めた。
その様子を余裕たっぷりに傍観していた八雲は、不意に後頭部を扇子で叩かれたのである。

「なっ、何をするか江島っ!?」
「何ぼーっとしてるのよ! あんたも働きなさい!」

その言い草に、八雲は白衣の裾を無意味にひるがえして反論した。

「何をぬかすか! 私はあくまで情報提供者であって、生徒会の役員ではない! 何の理由があって、この私が貴様らに付き合って走り回らねばならんのだ?」

 すぱーん!

問答無用の一撃。

「美咲ちゃんじゃないけどね、この事件の責任の一端は、あんたにも間違いなくあるんだからね!」

愛美は、八雲の胸ぐらをつかみ上げた。

「あんたに走り回れなんて言わない。でもね、あんたには、あんたにしかできないことをやってもらうわ」
「ふっ、なるほど。やっと貴様にも、私の偉大さが……」
「大きな口を叩くな! この誇大妄想狂がっ!」

罵声という形を取った怒りの爆発が、したたかに八雲の精神を打った。襟首をつかむ手に、愛美はさらに力を込める。

「あんたには、鬼堂くんのためにショタコニンXの解毒剤を作ってもらうわ。もちろん、タダとは言わない。今までノアが蓄積した、鬼堂くんの症状に関するすべてのデータをくれてやるわ! だから、あんたはさっさと象牙の塔にでも篭もりなさい!」

この時、天才科学者にして天才魔道士たるドクトルKは、愛美の異様な迫力に不覚にも気圧され、首を縦に振ってしまったのだった。
……八雲は、記憶を反芻したことを後悔した。記憶を飲み下した後に残ったものは、怒りと屈辱だけだったのだ。
いっそ、愛美からの要求など放り出して、信吾が死ぬに任せてしまおうかとも考えた八雲だったが……。

「うっ」

背筋に言いようのない悪寒を感じた八雲は、その現象に理論的な回答を導きだせぬまま、シャーレに培養液を吹き付け続けた。
その時だった。かん高い電子音が、八雲の耳を打ったのである。八雲は、睨みつける視線の先に転がっている、小型ではあるが無骨なデザインの通信機をむしり取ると、受信ボタンを押した。

「……江島か! 何の用だ。別にさぼってなどいないぞ!」

言ってしまってから、これは天才科学者にはあるまじき余裕の無い態度ではないかと思ったが、言い直すのも何なので、結局沈黙した。通信機の向こうでは、愛美が呆れたような声で言った。

「何言ってるんだか。そんなことより、ちょっと聞きたいことがあるのよ。さっき、未紀先生の尋問をしてみたんだけど、事件のことは何も話してくれないし、様子もちょっと変なの。佑苑くんの話によると、『誰かに催眠術でもかけられてるんじゃないか』ってことなんだけど、あなた、心当たりある?」
「催眠術、か……」
「何か知ってるの?」

八雲は、一呼吸分の沈黙を置いて、答えた。

「いや、心当たりは無いな」
「そうなの……。また連絡するわ。……くれぐれも、さぼらないようにね!」

無線が切れる。

「ふんっ! 一言多いというのだ!」

八雲は、苛立ちもあらわに、通信機をデスクの上に投げ出した。しかし、投げ出した無線機からは目を離さず、八雲は両腕を組んで表情を固くした。

「少しずつ追い詰められていくな……。さて、どこまでやれるか……」
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