第4章 死への歩み
愛美が、意識を失った信吾を担いで戻ってきたのを目にした役員たちは、さすがに平静ではいられなかった。
中でも、特に色を失ったのは、美咲である。

「どうしたんですか!? 鬼堂さん、どうなっちゃたんですか!?」
「分からないわ。でも、熱がひどいの。早く原因を調べないと……」

宗祇が、ノアのコンソールに飛び付いた。

「ノア! ここには、それなりの医療設備が整ってるはずだな。検査のための準備をしろ。それと、叶の使ってるICU(集中治療室)もだ」
『了解しました。しかし、検査や治療には、医師が必要になると思われますが……』
「……私で良ければ、やらせてもらえないかしら……?」

やや遠慮がちに進み出たのは、ゆかりだった。

「まだ未熟だけれど、それなりに心得はあるつもりよ」
「そうね。ノア! 鬼堂くんのこと、ゆかりちゃんに任せるわ」

蒼明病院の医師に今の信吾を診せるのは、事情の説明などの手間も含めて、とても効率的とは言えなかった。

「鬼堂くんの検査、さっそく始めるわ。みんなにも、いくつか手伝ってもらうと思うけど、お願いするわね」

ゆかりの言葉に、皆、真剣な面持ちでうなずいた。いつのまにやら復活した八雲でさえも、例外ではなかった。
しかし、彼の真面目な表情に込められた想いは、役員たちのそれとは大きくずれていた。

(このまま鬼堂が死んだとしても、それまでに収拾される検査結果は、改良版ショタコニンX作成のための貴重なデータになるだろう。もし万一、鬼堂が持ちこたえたならば、奴はこれ以上ないほどの研究素材となりうる! ふははははははは! 鬼堂信吾よ! 我が偉大にして崇高なる研究の礎となるがいい!)

 すぱーん!

愛美の扇子が、迅雷の速さをもって八雲の額を直撃した。

「……あんた、独り言は、もう少し小さな声でしたほうがいいわよ」

愛美の言葉に、皆、真剣な面持ちでうなずいた。

その後、信吾には様々な検査が行なわれた。
全身のレントゲン、同じく全身のCTスキャン、血液検査、尿検査、etc……。
その全データを元に、ノアは医療データバンクを引っ繰り返し、信吾を苛む病の正体を暴きだそうとしていた。
そして、ノアが辿り着いた結論は……。

『鬼堂風紀委員長が抱えている疾患は、まず、腎う腎炎が挙げられます』
「じんうじんえん?」

有子が小首を傾げた。隣で、分厚い医学書を開いたゆかりが、重い口調で説明する。

「細菌が腎臓に入り込んで、腎うと腎実質中に炎症性病変を起こす疾患よ」
「症状は?」

宗祇が尋ねる。

「急性と慢性では症状に違いが出るんだけど、信吾くんのは急性ね。症状は、悪寒、突然の高熱、側腹部あるいは腰の疼痛。彼の場合、膀胱炎は伴ってないみたい」
「治る病気なのかい?」

紀家の顔にも、余裕が見えない。ゆかりは、紀家に小さな笑顔を返した。痛々しさが前面に出ていたけれども。

「普通の急性腎う腎炎は、一般に治りやすい病気なの。大抵は一週間以内に症状が消えるから、二週間くらいの化学療法で充分なんだけど……」

それを聞いて、有子が嬉しそうに隣にいた美咲の手を握った。

「良かったですね、美咲先輩! 鬼堂先輩、大丈夫なんですって!」
「え、ええ……本当に……」

心底ほっとしたように、目尻に光る涙を拭う美咲。しかし、その喜びに氷水を差したのは、例によって佑苑だった。

「喜ぶのは、まだ早いでしょう。鬼堂くんの病気は、それだけじゃないようですから。……それに、都筑さんが『普通の』と前置きを入れたのも気になりますしね……」

有子が、ムッとして佑苑を睨んだ。

「そんな言い方ないと思います。わざわざ人を不安にさせるような……」
「有ちゃん」

愛美が、そっと有子の肩に手を置いた。愛美の目には、有子を諌めるかのような厳しい光が宿っていた。

「鬼堂くんについての話は、まだ終わってないわ。ノア! いいから続けて。この際、隠し事はナシよ」
『了解。佑苑催事実行委員長のおっしゃるとおり、鬼堂風紀委員長は、もう一つの疾患を抱えています。病名は、中毒性肝炎』
「それって、何なんです?」

おずおずといった様子で、べるなが尋ねた。常に無駄なまでに元気のいい彼女が、今はまるで、怯える子犬のようだった。

「四塩化炭素、クロロホルムを含む市販の溶剤や燐、水銀、金、蛇毒、毒きのこなどの毒物や、その他の感染でも起こりうる肝臓疾患よ。症状は、食欲不振、吐き気、全身の衰弱感、頭痛、発熱、悪寒、感冒様の呼吸器症状、下痢、上腹部の痛みなどがあるわ。あと、黄疸が徐々に進行してくるの」

努めて起伏の無い声で説明するゆかりに、今度は、誰も口を挟まなかった。

「この症状は、自然に回復するウイルス感染の流行性肝炎に似たものなんだけど……こっちは遥かに重傷で死亡率も高いわ。それに……」

ゆかりは言葉を切り、分厚い医学書を閉じて皆から顔を背けた。その瞳が、小刻みに揺れている。

「ごめんなさい……私……」
『都筑保健委員長。そこから先は、私がお答えいたします』
「ノア……」
『鬼堂風紀委員長には、重度の肝障害による肝性昏睡が発生しているのです。今の鬼堂風紀委員長の肝臓は、消化管から門脈血を通って運ばれた過剰のアンモニアを、適切に処理することができません。その結果、全身の循環血液中に過剰のアンモニアその他の有毒物質が急速に送り込まれてしまうのです。それが、昏睡発生の原因……』
「講釈はいい」

宗祇が、氷の冷たさを持った声でノアの報告を切断した。

「俺たちは、医者の研修を受けてるわけじゃない。知りたいことは、鬼堂の治療の仕方と、回復するかどうか。それだけだ」

ノアは、宗祇の要求に忠実に答えた。

『……治療にあたっては、通常、熟練した看護が必要です。ブドウ糖、ビタミンの静脈注射などを適切に行なわねばなりません。また、腸管内の細菌数を減少させ、アンモニアや有毒物の産生を抑えるために抗生物質を用います。しかし……肝性昏睡を併発した肝障害は、重傷で治らないことが多いのです。患者は重態になり、死亡することもまれではありません……』

皆の間に、重い沈黙が降りた。互いに、言いようの無い不安をたたえた視線を交わしあう。その視線はやがて、顔色を失った美咲の元に集まった。その視線と沈黙の重圧に耐えかね、美咲は叫ぶように声を絞り出した。

「でも、でも、大丈夫でしょう? ここにはちゃんとした設備もあるし、こんなにすごいコンピュータもあるし、それに、都筑先輩もいるし……! 治らない病気なんて……」
「違うの。そうじゃないのよ、美咲ちゃん……」

美咲の言葉をさえぎったゆかりの瞳は、熱い涙が層を重ねていた。

「信吾くんの病状は、とても普通の腎う腎炎や、中毒性肝炎とは思えないの。潜伏期間が短すぎるし、何より症状の進行が早すぎるわ。この病名だって、症状に一番近いものを暫定的に当てはめただけなのよ」
「どうして、鬼堂くんはそんなことに?」

紀家が尋ねた。

「たぶん、感染源に問題があると思うの。腎う腎炎と中毒性肝炎、この両疾患は、それぞれ細菌感染と有毒物質との接触が主な原因となっているの。鬼堂くんの場合、同一の物質がその引き金になっているみたい」
「……ショタコニンX……」

愛美の呻くような呟きに、ゆかりは重々しいうなずきで答えた。
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