第4章 死への歩み
静音たちが去ってからしばらくしてのこと。生徒会地下本部には、それまで信吾についての情報を集めていた生徒会役員たちが、続々と戻ってきていた。

「江島と天草は、まだ来ていないのか……」

佑苑とともに本部のドアを開いた宗祇が、フロアを見回して言った。

「愛美ちゃんと龍之介くん、何か心当たりがあったみたいだけど……。それで遅くなってるのかしら?」

ゆかりはそう言うと、少し不安げな顔をしながら、紅茶のカップに口を付けた。

「あっ、宗祇くんと佑苑先輩にも、お茶、煎れますねっ」

パタパタと給湯室に入っていく有子。

「ここ、すごーくいいダージリンがあるんです。はぁ、会長が羨ましいなぁ」
「だけどさ、いくらお茶の葉が高級でも、相当の腕がなきゃこの味は出ないよ。さすがだね、有ちゃん」

紀家に続いて、紅茶を一気に飲み干したべるなが、満足そうに言った。

「おいしいですぅ〜。六臓八腑に染みわたるですぅ〜」

宗祇が聞きとがめる。

「それを言うなら五臓六腑だろう、倉橋?」
「さあ、どうでしょう……フフフ」

一瞬、空気が凍り付く地下本部。この事態に対して生徒会役員たちは……何も聞かなかったことにした。

「さ、さて、鬼堂くんについての情報だけど……」

紀家が口火を切ったが、若干、動揺を振り払えないようだった。
大きなお盆を持って給湯室から出てきた有子が、何も聞いていなかったためか、冷静に答える。

「こっちは、大したことは分からなかったんです。君島くんに当たってみたんですけど、土曜日の午後までは一緒にいたってことが確認できただけで……。ん〜、他には……あ、そうだ」

ぽんと手をたたく有子。

「やっぱり天草先輩って、女の子にすごい人気なんですね。私、友達に『天草先輩のファンクラブに入らないか』って誘われちゃいました。そこのファンクラブ、『どらぐーん♪』って言うんですよ。他にもいくつかあるみたいですね。……はい、お茶です。クッキー、このテーブルに置いときますね」

少々脈絡の無いことを口にした有子に対し、佑苑は、ファンクラブのことについては何も触れずに自分たちの情報を公開した。

「そちらも、その程度ですか。こちらは男子寮を回ってみたのですが、日曜の午後に外出したのを最後に、足取りが途絶えていることしか分かりませんでした。……あ、このクッキー、少し甘すぎますね」

相変わらず、佑苑は一言多い。

「霞くん、そちらは何か掴めたのかしら?」
「こちらも、ほとんど成果なしだよ。……ま、しいて言えば、これくらいかな。直接の関係は無いだろうけど」

紀家は服のポケットをゴソゴソと探り、四つに折り畳まれた紙を取り出した。それを手早く開くと、皆の目が紙面に集中する。

「これは、報道委員会の掲示用新聞ですね……」
「こっ、この記事って!」

その紙面には、今朝、信吾少年が龍之介の額に木刀の一撃を見舞った、その瞬間を捉えた写真が大きく載っていた。しかも記事の見出しは、『鬼堂信吾風紀委員長、幼児化か!? 突如現れた謎の少年!』である。
これには皆、さすがに冷静ではいられなかった。

「き、記事になっちゃってるんですねー」
「鬼堂くんのことは、機密事項として扱われていたんじゃなかったんですか?」
「もう、みんなにバレちゃってるってことなのかしら?」
「すっごくいいアングルで撮れてますぅ〜」
「紀家。これはどういうことだ?」

詰め寄る役員たちに、紀家は苦笑しながらポケットの中に手を入れた。

「まあまあ、落ち着いて。実は、それだけじゃないんだよ」

ポケットの中から、もう二枚の掲示用新聞を取り出した紀家は、皆の目の前でそれらを広げてみせた。

「こいつは……」

その二枚は、写真こそ先のものと同じだったが、見出しが全く異なっていた。

「なになに……『鬼堂信吾風紀委員長に隠し子発覚!? 彼こそ不純異性交遊の生ける象徴なのか!?』だと?」
「こっちは……『鬼堂信吾風紀委員長の戦闘用クローン、二十五体配備完了! 幼児型試験体、天草龍之介清美委員長を撃破!』ですって」
「あの、わたし、これを誰が書いたか、分かったような気がします……」
「永沢の予想、たぶん当たっているはずだ。これ、三つとも『文責・九重千鶴』とある……」
「……」

九重千鶴。(ここのえちづる)高等部報道委員会新聞部に所属する一年生である。報道に対する情熱と行動力は、委員長である紀家でさえ一目置いていたが、報道委員としては致命的な欠点を持っていた。彼女、虚言癖のケがあるのだ。

佑苑が、深いため息をついた。

「しかし、堂々と自分の名前を出してるあたり、いっそ潔いとも言えますね……」

紀家が苦笑する。

「委員長としては、とても誉められたものじゃないんだけどね……」
「千鶴ちゃんが委員長になっちゃえば、問題ナシじゃないですぅ?」
「恐ろしいこと言わないでくれ! べるなちゃんっ!」

この時紀家は、近い将来、彼女に委員長の座を脅かされることを、予想だにしていなかった。
紀家が、こめかみを流れる嫌な冷たさの汗を拭った時、ノアの硬質な声が響いた。

『江島選挙管理委員長と他一名、入室します』
「他一名?」

皆が不審に思った時、自動ドアが静かに開いた。

「ほおー、ここが噂の秘密基地か!」

まず最初に入ってきたのは、白衣に身を固めた奇妙な男だった。そのすぐ後から、彼を追って愛美が飛び込んでくる。

「勝手に入らないでよ! みんなに事情を話してから……」
「ふっ! ここまで連れてきておいて、『入るな』はあるまい! 心配するな。これから私が触れるものは、すべて我が見聞の糧となる! 無駄にはせぬから安心しろ!」
「誰が、いつそんな心配をしたぁっ!」

 すぱーん!

「ふっ! 照れることなど無いのだぞ?」
「あんたの脳ズイ腐っとるんかぁっ!?」

 すぱーん! すぱーん!

その、一種壮絶なやりとりに、生徒会役員たちは半ば圧倒され、ただ茫然とする以外無かった。
やっとという感じで、有子が口を開いた。

「確か、あの人……。ドクトルK……?」
「あ、ああ、間違いない。しかし、あの江島が御しきれずにいるだと……?」
「恐ろしい男ですね……」

息を飲む生徒会役員たちを尻目に、愛美と八雲のドツキ漫才は、延々と続いたのだった。 「……というわけで、今回の事件には万能科学部とオカルト研究会が絡んでそうなのよ。だから……」
「この私が、情報提供者として協力することになったのだ。ふはははははは! 喜ぶがいい! 貴様らのような無能者に、私の深遠なる知恵を授けてやろうというのだからな!」

 すぱーん!

「人がせっかく、なるべく角が立たないようにってみんなに説明してあげてるのに、率先してぶち壊しにかかってどうすんのよっ!」
「ふっ。所詮、愚民どもは自分と同じレベルの存在しか受け入れられないということか……。天才とは孤独なものよ……」
「勝手をぬかすなあーっ!」

 すぱーん! すぱーん! すぱーん! ごちゅっ! 
……どさり……。

「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ……」

とりあえず八雲を沈黙させた愛美は、血塗られた扇子をしまいながら乱れた息を整え、役員たちに向き直った。

「と、とにかく、今回は彼の持ってる情報と知識が必要だと思うわ。だから私の独断で、ここに連れてきたのよ。……何か文句は?」

役員たちは、皆一様に、ちぎれるほどに首を振った。

「それはそうと……。鬼堂くんはどうしたの? 姿が見えないけど……?」

愛美の問いには、有子が答えた。

「鬼堂先輩……あ、今ならシンちゃんって言ってもいいのかな? ま、いいや。鬼堂先輩なら、仮眠室で休んでます。『眠いから寝る』って……」
「いつ頃?」
「ちょっと前です。私が、先輩たちとここに戻ってきた後、すぐに。……でしたよね? ゆかり先輩」
「ええ。私や、美咲ちゃんが付き添っていこうとしたんだけど、『一人で行けるからいい』って。ここに関する記憶、少しは残ってるみたいね」

それを聞いた愛美は、初めからわずかに緊張していた表情を、さらに固くした。

「そうなの……。何だか気になるわね。ちょっと、彼と話してみるわ」
「起こしちゃうんですか?」
「ええ。……起きなくなっちゃうよりは、いいと思うから」

生徒会地下本部の仮眠室は男子用、女子用の二部屋に分かれており、各部屋には十を超えるベッドが設置してある。
愛美は、その男子用仮眠室のドアを、何のためらいも無く開けて中に入った。一番手前のベッドの中央が、ぷっくりと膨らんでいるのが目に入る。

「鬼堂くん?」

答えない。

「鬼堂くん! 起きなさいっ!」

愛美は、一気に掛け布団をひっぺがした。そしてすかさず、丸くなって寝ている信吾を捕まえるべく手を伸ばす。しかし、その手は汗でしっとりと湿ったシーツを掴んだだけだった。信吾は、驚くほどの敏捷さで、隣のベッドに飛び移っていたのだ。
彼の衣服は、汗のために皮膚に張りついており、顔色はひどく悪かった。小さな身体は、木刀を握っている手の先まで、酷寒に耐えているかのように震えている。そして、燃え上がるほど激しい生気に満ちていたはずの信吾の目は、暗く、そして黄色に濁っていた。
愛美の表情が、不審から確信へと変わった。

「大人しくしなさい鬼堂くん! 早く検査を受けないと……!」
「やだっ!」

再び伸びた愛美の手を振り払い、信吾は彼女の脇を駆け抜けようと、ベッドを踏む足に力を込めた。だが、準備姿勢から跳躍へ移行しようとしたその瞬間、体を支える膝が仕事を放棄した。
突然の脱力感。制御を失った体が、前方に流れる。信吾は必死に姿勢を立てなおそうとしたが、全身を包む熱さは、彼の意識にまでその白濁した腕を伸ばし、一瞬にして包み込んだ。
そして。

「鬼堂くん!?」

信吾はベッドから力なくずり落ち、そのまま動かなくなった。最後の瞬間、彼は胃から熱いものが逆流する感覚を、知覚しえただろうか。
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