第3章 眠り――陰謀へといざなう夢
声が飛んできたのは、その直後だった。

「ケッ! 的場よぉ、自信満々で出てった割にゃあ、情けねえカッコしてんじゃねーか」

背後からの太い声に龍之介が振り向くと、そこには校舎の裏口から姿を現そうとしている大柄な男、武村の姿があった。ニタリと歯茎を剥き出して笑う。それを見た龍之介は、生理的な嫌悪感に表情を曇らせた。武村はそれに気付いた様子はなく、嘲りの目で的場を見た。

「説得はうまくいったのか? ま、その様子じゃあ、どーせ失敗したんだろ。へっ、『自分一人で充分』だなんて大口叩きやがって、いいザマだな。ええ?」

的場は顔を紅潮させ、武村を指差して反論した。指先が、興奮のあまり小刻みに震えている。

「あ、あなたたちが加わったところで、成功するというわけじゃないでしょう! そんなことより、さっさとあなたの仕事にかかってください。僕にはとてもできない、野蛮な仕事ですからね」
「けっ、作戦考えたてめーが言える台詞かよ」

吐き捨てながら、武村は龍之介に向き直り、兎を追い詰めた獣のような凄味のある笑みを浮かべながら、にじり寄った。

「わりいな、天草。でもよ、てめえだけが女の子を独占してるってのは、やっぱ良くねえと思うんだわ。俺らにちょっと回してくれても、罰は当たらねーだろ?」

ニヤニヤと笑いながら接近してくる武村の異様な迫力にわずかに気圧されながらも、龍之介は真っすぐに武村の目を見据えて、はっきりと言い放った。

「女の子に相手にされないからって、人のおこぼれにすがろうなんて、見苦しいにも程があるぜ。ま、もともとそんなヤツがモテる訳ないけどな!」 

その毒舌に、武村の表情が憤怒に染まった。

「てっ、てめえなんかに、俺たちみたいなヤツの気持ちが分かるかよっ!」

しかし、その言葉は、さらに苛烈な反論を呼んだ。

「『俺たち』じゃねえだろ! てめえ自身に魅力がねえってこと、きっちり自覚しやがれ!」

辛辣な言葉の鞭が、外れかかっていた武村の理性のタガを一撃で吹き飛ばした。

「ふ、ふざ、ざけんなあっ! ぶっ殺してやる!」

武村の手がベルトに伸び、そこに差されていた小太刀の木刀を引き抜いた。血走った両眼には、いっそ殺意と言ってもいい光がぎらついている。

やばいな……。

不敵な視線を武村に向けたまま、龍之介は小さく舌打ちをした。強力な<生命力奪取>の能力を持っているとはいえ、格闘戦は龍之介の得意とするところではない。
上手くやれることと言ったら、彼の美貌と毒舌で、武村を挑発するくらいがせいぜいだ。ここは素直に……。
龍之介は、腕時計の文字盤を跳ね上げ、生徒会本部へこの緊急事態を伝えようとした。しかし、彼は武村の力を侮りすぎていた。

「えっ!?」

気付いた時、武村はすぐ眼前にまで迫っていた。鬼堂の踏み込みとは比べるべくもないが、武村の動きもまた、龍之介の反応速度を大きく凌駕していたのだ。小太刀は、真っすぐ彼の顔面を狙って落ちかかってくる。

 顔はダメだ!

それだけが稲妻のように脳裏を走りぬけ、龍之介は思わず、両腕で顔面をかばった。次の瞬間、彼の腕に重い衝撃と、痺れにも似た激痛と、硬質な音が弾けた。

 折れた……!?

ショックと激痛によろめきながら、涙をにじませた目で自分の腕を見る。その時、龍之介は目を見張った。
腕は、幸いにも折れてはいないようだった。その代わり、通信機を兼ねた腕時計が、無残に叩き潰されていた。
これでは、SOSを送ることができない。

「ち…くしょうっ」
「武村くん! 顔は狙わないようにと言ったはずでしょう!」
「知るかよっ! おらあっ! さっさと大人しくなっちまいな!」

武村の第二撃が襲いかかる。半ば観念した龍之介は、固く眼を閉じ、身を強ばらせた。今までの戦いでは、常に信吾や宗祇たちが前に立ち、龍之介らを守っていた。
しかし今、彼を守る壁は無い。誰一人として、守ってはくれないのだ。

 いや、もう一人……!

その存在に思い至った時、龍之介の口はその者の名を撃ちだしていた。

「<恋人たち>……!」

 がっ!

その音には、痛みも、衝撃も伴わなかった。その代わり、ほのかに甘い香りが彼の鼻をくすぐった。……この匂い! 龍之介は目を開けた。

「やっと、あたしを呼んでくれたね龍之介! 身体、大丈夫!?」
「<恋人たち>!」

龍之介の前に立ったのは、彼につき従う二十二の魔宝の一つ、<恋人たち>であった。しかも、今回は龍之介が切に願った、女性の姿である。その彼女が龍之介と武村の間に割り込み、小太刀をしっかりと受け止めていたのだ。

「やっと、やっと女の子になったんだな……」
「変な言い方しないでよっ! 今まで何度か会ってるでしょ。……ま、この頃はもう一人の方が多かったけど、あたしだって、ね……」
「<恋人たち>……」
「てめえら! 何ゴチャゴチャ言ってやがんだ! おら、どかねえか、このアマっ!」

武村は<恋人たち>の腕をつかみ、乱暴に振り飛ばそうとしたが、彼女は逆に武村の腕にしがみついた。

「やらせないぃっ! 龍之介っ、今のうちに逃げて! ほら早くっ!」

振り回されながらも、必死でしがみつき、逃げるように促す<恋人たち>。しかし、龍之介は逃げなかった。いや、逆に武村に向かって突進し、肩から思い切りぶつかっていったのだ。予想外の逆撃に、武村の巨体がバランスを失って転倒する。その拍子に、<恋人たち>は振り飛ばされて地面に転がった。龍之介が彼女のもとに慌てて駆け付け、抱き起こす。

「大丈夫か! 怪我してないか?」
「バカ! さっさと逃げなさいって言ったじゃない! 何考えてるのよ!」
「男がさ、女の子一人残して逃げ出せるわけないだろ」

さも当然とばかりに言う龍之介に、<恋人たち>は驚いたように眼を見張り、

「……バカっ!」

うつむいて表情を読まれないようにしながら、彼の額を拳で小突いた。叩かれながらも、龍之介は笑顔を浮かべる。

「さっ、こんな所さっさと抜け出して、どっか遊びに行こう。つまらねえヤツら相手にしてて、いい加減、滅入って……」

 どさっ。

最後まで言わないうちに、龍之介は抱き起こしかけていた<恋人たち>に覆い被さるように倒れこんだ。
頬に朱を走らせ、慌てふためく<恋人たち>。

「やっ、やだっ。こんな所で……」

彼女は打ち鳴らされる自分の鼓動をすぐ近くに聞きながら、龍之介を押し退けようとした。しかし、間近にある彼の顔を見た瞬間、<恋人たち>は眼を丸くした。
龍之介は眼を閉じ、静かな寝息を立てていたのだ。
「こんな時に……」と呆れた彼女が、龍之介の首筋から漂ってくる香りに気付いたのは、その直後だった。

 甘い香り……。何だろう……眠くなって……。

「えっ」

 何この匂い! 催眠ガス? でも、龍之介はともかく、魔宝のあたしにまで効くなんて、どういう……?

 <恋人たち>を襲った眠気は、浮かんだ疑問を一瞬にして噛み裂き、怒涛のごとき勢いで彼女の思考を蹂躙していった。彼女の強靭な精神力をもってしても抵抗しきれないほどの睡魔が、手足を拘束し、視界に黒い霧を振り撒く。

「くそっ……りゅうの……」

自分の言葉を遠く、霧の向こうに聞きながら、彼女の意識は闇に沈んでいった。
眠りに落ちた二人に、的場はゆっくりと歩み寄った。

「……何とかなりましたか」
「こ、これで良かったんだよね。ねっ?」

格闘中の隙を見て、龍之介の背後に回り込んでいた沖田が、声を怯えに震わせながら言った。彼の手には、小さなスプレー缶のようなものが握られていた。これから噴射された液体が、二人を眠りの淵に放りこんだのだ。

「まあ、いいでしょう。本当なら、こんな無茶な使い方はしたくなかったのですが……。さ、沖田くん。それを返してください」
「う、うん」

的場は、沖田から缶を受け取ると、耳元で軽く振ってみた。

「……まだ、少し余裕がありますか。騙し騙し使えば、なんとか……」
「ま、的場くんっ!」

泣きそうな眼で見つめてくる沖田に、的場は面倒臭げに顔を向けた。

「何なんですか」
「こっ、これで、僕、大丈夫なんだよねっ? これでもう、子供扱いなんかされないんだよねっ!?」

そこに、武村が加わった。

「俺たちにも、彼女ができるようにしてくれるって話、今になって嘘だなんて言わせねえぞ!」
「……」

彼らの眼は必死であり、視線は、念が凝り固まった鋭い矢となって的場を刺した。しかし、それは的場の気を圧することはできず、ただ、心底うんざりとした表情を作らせただけだった。
ただ一言、「好きにしてください」と答えた的場は、龍之介が付けている校章や腕時計を外しはじめた。不思議そうな顔で、沖田が覗き込む。

「何…してるの……?」
「生徒会の役員は、発信機を持っているという噂がありますからね。念のため、怪しそうなものを外しているんです」

生徒会役員の活動は、一般生徒には秘密とされている部分が多く、それ故に無責任な噂が掃いて捨てるほどに氾濫している。中には、『学園の地下にはスーパーコンピューターに統御された生徒会の基地があり、そこにはメンバー全員分の戦闘メカが隠されている(も ちろん合体する)』『生徒会執行部や役員は超能力を持っており、闇の国際諜報組織と暗闘を繰り返している』などという荒唐無稽なものまで含まれており、的場としては呆れる他ない。
生徒会役員のバッジを投げ捨てた的場は、ふと、龍之介の耳に輝くものに目を止めた。

ピアス。

的場は、わずかに逡巡したあと、龍之介の耳に手を伸ばした。

「まさかとは思いますが、これも外しておきますか」

ピアスを外し、植え込みの中に放り捨てた的場は、一つ息をついて立ち上がった。

「さあ、早く運びだしましょう。僕らの目的達成まで、もう一息です」

的場の表情は、喜びを表していた。しかし、その目に宿っているのは、目的の達成を無邪気に喜ぶ武村と沖田への嘲り。
そして、その場にいない何者かへの、暗い憎悪の渦だった。
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