第3章 眠り――陰謀へといざなう夢
校舎裏に入った龍之介は、目を丸くしてキョロキョロと周りを見回した。彼に淡い想いを抱くいたいけな少女に、少なくとも良い夢を与えねばならない。自分の存在は、なるべく多くの女性を幸せに導くためにこそあるのだ。
しかし。

「何だよ。どこにもいないじゃん」

校舎裏には、純真な美少女どころか、メス猫一匹いなかった。恥ずかしさに耐えかねて逃げ出してしまったのか、それとも未紀が嘘をついたのか……。

「分かんないなぁ。あの先生……」

しかし気になるのは、彼女の表情だった。いつも笑みを絶やさない彼女が別れ際に見せたのは、暗く沈んだ、どこか痛々しい表情だったのだ。

「悩みがあるなら、相談してくれればいいのに。俺はいつでも女性の味方……って、何だありゃあ!?」

とんでもない声を上げ、龍之介は校舎添いの植え込みの方に走った。
龍之介は愕然とした。彼を始めとする清美委員たちが植え、時には苦心してきれいに刈り込んだ植え込みの一部に、まるで人間が植え込みの中に潜り込んだかのような大穴が空いていたのだ。しかも、その近くにはクシャクシャに丸められたノートの切れ端が打ち捨てられている。

「畜生! 誰がこんな……!」

その時、背後から声が飛んできた。

「そのようにいきり立つものではありませんよ。あなたに憧れている者たちの夢を壊してしまいます」
「誰だっ!」

驚いて振り向いた龍之介の背後に立っていたのは、どこから現れたのか、くるりとカールした前髪を愛しげにもてあそんでいる優男、的場響一だった。
彼は涼やかな微笑を浮かべながら、龍之介に優雅に一礼してみせる。

「お待ちしておりました。天草龍之介さん」
「野郎に待たれて喜ぶシュミはねーよ。それで……」

龍之介の目が剣呑な光を放つ。

「俺に何の用だ? 女の子紹介してくれるんじゃなきゃ、てめえに付き合う理由はねえ。……未紀先生に、いろいろ事情も聞きたいしな」
「……あんな女など、どうでもいいでしょうっ!」

的場は怒気をはらんだ声を上げたが、すぐに気を静めて龍之介に笑いかけた。

「天草さん。あなたは学園内の女性たちに大変な人気でいらっしゃる。朱凰克巳会長には及ばずとも、彼から数えて十指に入らぬことはないでしょう。いくつか噂される、あなたのファンクラブの存在が、その証明です」
「ベストテン入りがせいぜいってわけか」
「さらに上を狙いたいところでしょうが、難しいでしょうね。あなたの力だけでは……」
「何が言いたい?」
「前置きはこれくらいにしましょう。要するに、あなたに協力させていただきたいのです。あなたが、学園ナンバー1となるためのお手伝いをね……」
「ほう……」

龍之介の眼光が、さらに鋭くなる。

「で、具体的にどうするつもりなんだ? 生半可なことじゃ、克巳会長を出し抜くなんてできやしないぜ」

的場は、自信有りげに胸を張った。

「方法については、すでに考えてあります。と言っても簡単な話。……天草さん。あのKKK(克巳会長を敬愛する会)を始めとする幾つもの生徒会長のファンクラブが、規模において公認のファンクラブを超えられない理由、お分りですか?」
「知ったことかよ」

龍之介の態度はそっけない。的場は明らかに気分を害した様子だったが、そのまま言葉を続けた。

「その理由は、『非公認』。この三文字に尽きます。いくらKKKが過激な活動をしていたところで、公認ファンクラブの前では、井戸端会議ほどの意味も持ち得ません。非公認の弱小ファンクラブの多くが、極端とも言える独自のイデオロギーで互いの差別化を計っているのは、それに同調する一部の人間以外は公認ファンクラブの方に流れていってしまうためなのです。天草さん。ここまで言えば、僕の考え、察していただけますね?」
「まーな……」

龍之介は両手を頭の後で組んで言った。

「俺の公認ファンクラブを作ろうってんだろう? 俺の魅力と、『公認』のブランドで、女の子たちを集めようってわけだ」
「いったん人を集めて組織を組んでしまえば、その後は簡単です。広報部を置いて、大々的に勧誘活動を展開します。林立する他のファンクラブを併呑し、さらに新たなファンを発掘していけば、規模は爆発的に拡大するはず!」

的場の口調に、熱が入る。

「やがて、その規模は会長のものに迫り、うまくすれば超えることも可能です! そうなれば、愚かな女どもは何よりもそのブランド意識に引きずられ、考え無しにファンクラブに飛び込むことでしょう。そして最後には、皆、こう思い込むのです。『学園一のファンクラブを抱える天草龍之介は、あの朱凰克巳会長をも上回る』とね! ……どうです、完璧でしょう?」
「ひでえ皮算用だな」
「皮算用ではありません。充分な自信と材料をもっての、信用に足るシミュレーションです。さあ、お答えを頂きましょうか。もちろん、イエスでしょう?」

天草は、面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。

「答を出す前に、聞きたいことがある。てめえ、どういうつもりで俺に協力しようなんて言いだしやがった? 何を狙ってやがる?」
「狙うだなんて。僕は純粋にあなたのために……」
「好きにほざいてろ。じゃーな」
「ま、待ってください!」

あっさりと踵を返した龍之介をあわてて引き止め、的場は引きつる唇を無理に笑いの形にねじ曲げて言った。

「あまりこのようなことは言いたくなかったのですが……。天草さん。僕に、あなたの公認ファンクラブ運営の実権を握らせてもらいたいのです。また、あと二人いる僕の協力者に、何人かの女をあてがってやることを許してほしいのですよ。もちろん、あなたを差し置いて勝手をやるつもりはありません。協力者に施してやる女も、あなたの眼鏡にかなわなかった残り物で充分です。……こちらの要求はこれだけ。ささやかなものですよ。さあ天草さん、イエスのお答え、頂けますね?」
「そーだな……」

龍之介はゆっくりと的場に歩み寄り、彼の肩にポンと手を置いた。その反応に、的場は満足そうに笑う。

「バカな女が飛び込んでくるって?」
「ええ」
「残り物をやれば、充分だって?」
「その通りです!」

勝ち誇った笑みが的場の秀麗な顔に満ちる。しかし、それはあまりに早すぎた。

「ふざけんじゃねえ!」

突然、龍之介は肩に置いた手で、的場の胸ぐらをつかみ上げた。龍之介の両眼が、怒りをたたえて的場を真正面から睨み付けている。

「俺はな、野郎に馬鹿にされるのが大嫌いなんだ。でもな、女の子を馬鹿にされんのは、もっと許せねえんだよ!」

怒りに任せて、龍之介は的場を校舎の壁に自分の体ごと叩きつけた。

「てめえのくだらねえ机上論で、女の子たちを踊らせられるとでも思ってんのか? ガキみてえな理屈こねてる暇があったら、女の子のまともな口説き方でも研究してやがれ!」

龍之介は的場を横に突き飛ばすと、驚きと屈辱に歪んだ顔に人差し指を突き付けて言い放った。

「二度と俺の前に顔出すんじゃねえぞ。今度つまんねえこと企みやがったら、干涸びるくらいじゃすまねえからな!」

決定的な言葉を叩きつけられた的場は、息を荒げ、半ば上ずった声で訴えた。

「ぐ……なぜ、この程度のことで目くじらを立てる必要があるんです? あなたは、僕に恩を感じるべきなんだ。あなたの宿敵、鬼堂信吾を無力な子供に戻したのは、この僕なのに!」
「何だって!?」

驚きの声を上げ、的場に向き直る龍之介。それを見て、的場は脈ありとばかりに誘いの言葉をばらまいた。

「鬼堂信吾の存在が、あなたの自由な行動を妨げていることは、誰もが知っています。それを取り払ってあげたんです。僕に協力してくれても、それは妥当な交換条件だと……」

 どんっ!

言葉の途中で、龍之介の手が的場の胸を突いた。

「……余計なことすんじゃねえよ」

龍之介の声は喉の奥で震えていたが、その表情はどこか照れているようでもあった。胸を押さえた的場が、瞳に怯えの色をにじませながら、震える声で言う。

「何を……。まさか、鬼堂信吾に友情を感じているとでも言うんですか?」
「気色の悪いことぬかすな! 鬼堂のヤツはな、たしかに邪魔ではあるけど……」

龍之介はニヤリと笑った。さっきから感じていたモヤモヤとした気分の正体に、やっと辿り着いたのだ。

「俺の大切なオモチャでもあるんだよ! ヤツほど、おちょくっておもしれえヤローはいねえからな。人のオモチャに勝手に手を出されちゃあ、女の子を侮辱された時の一億分の一くらいには、腹が立つんだ!」

的場は下唇を噛み締めて、悔しそうに龍之介を睨み付けた。自分を真っ向から否定されたのだ。これほどの屈辱は、彼の人生の中で一度しか経験したことがない。にじんでくる涙を、彼は自分の力だけでは抑えることができなかった。
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