第2章 魔窟に入らずんば変人を得ず(いらん! いらん!)
昼休み。多くの生徒が詰め掛け、さながら戦場の様相を呈している学生食堂の一角で、三人の男が向かい合っていた。

「鬼堂のヤツが生徒会に渡った、って、どーすんだよ、的場! まじいんじゃねえのか!?」

大柄な武村誠治(たけむらせいじ)が、カツ丼をかき込みながら言った。

「そ、そうだよ。もし、ボクたちの仕業ってバレちゃったら……ど、どうしよう!」

武村の隣に座っている沖田聡(おきたさとし)は――少年のように見える彼だったが、実は武村や的場と同じ高等部の二年生である――、不安に怯えるあまり、ハンバーグにナイフを入れたまま、皿をカタカタと震わせている。
二人の向かいに座っている的場響一(まとばきょういち)は、そんな沖田を無力無能な赤子を見るように一瞥した。

「もう少し、小さな声で話してください。こんなところで話し掛けてくるなんて、あなたがたの常識を疑います」

的場は小さなサラダボウルからレタスを一欠けら、口の中に運んだ。

「まったく、これだから肉を食らう輩というのは……。まあ、予想外のことではありましたが、計画遂行に支障は無いでしょう。予定通り、今日、始めます。……さあ、お二人とも、僕の前から消えてください。思索の邪魔です」

 がっ!

武村がカツ丼の丼に乱暴に箸を置き、勢いよく立ち上がった。

「そうかよっ! けっ、考え事なら、こんなとこですんじゃねーってんだ。沖田、行くぞ!」
「え? でも、ボクまだ……」
「んなものぁ立って食え! 行くぞ!」

引きずられていく沖田。その途中、幾人かの女生徒が沖田に目を向けた。

「あっ、沖田くんだぁ」
「やっぱカワイイよね〜。小学生みたいだもん」

それを聞いて、泣きそうな顔をする沖田。

「武村くん、あんなこと言ってるよぉ」
「そんなもん気にすんな!」

それに構わず、女生徒の声は続く。

「沖田くんと一緒にいる、でかいヤツって何?」
「あんなヤツ、沖田くんに触れてほしくないよね〜」
「何だとコラぁ! もいっぺん言ってみろっ!」
「たっ、武村くん! ダメだよ暴力はあっ!」

的場は、大騒ぎしている二人を軽蔑の視線で眺めやると、一人、目を閉じ思案に沈んだ。

……鬼堂が生徒会の手に渡ったのは意外だった。
計画では、無関係な人間に発見させ、身元不明人としてそのまま警察の手に委ねてしまうつもりだったのだが。
まあ、鬼堂を放り出した自分たちを見た者はいないはずだから、直接嗅ぎ付けられはしないだろう。
それよりも、意識を計画の第二段階に向けねばならない。
これこそ、全計画中の要。失敗は許されない。大まかなことは、武村、沖田の二人にも伝えてあるが、うまく行かなかった場合のフォローも考えておかねば……。

的場は目を開き、騒がしい周りを見回して苦々しげに舌打ちをした。

「確かに、ここは考え事には向きませんね」

的場はそう呟くと、隣のテーブルで新しい恋人の話で盛り上がっている数人の女生徒を睨み付けた。
その視線は、先に沖田に向けたものよりも、はるかに鋭く冷たいものだった。

「き、鬼堂先輩、行方不明なんですかっ!?」

風紀委員会副委員長、君島正は目を丸くした。
地下生徒会本部の大騒ぎは、愛美の電光石火の扇子攻撃によって、案外簡単に片が付いた。

彼らはその後、授業後に鬼堂に関する情報を集めることを決定し――鬼堂の幼児化の原因を探るためである――、それぞれの授業に戻っていった。
そして授業後、有子、ゆかり、べるなの三人が、部活に向かう途中の君島を捕まえたのである。

「いったい、どうして? 土曜日の部活の帰りまでは一緒にいて……じゃあ、その後ですか? 何があったっていうんですか、鬼堂先輩に!」

取り乱す君島を、ゆかりが静かに諭した。

「大丈夫よ正くん。信吾くんのことなら心配いらないわ。彼が、そう簡単にどうにかなっちゃう訳ないもの。ね?」

ゆかりの心遣いに、思わずジワリと涙ぐむ君島。想いに任せて、ゆかりの胸に飛び込んだ。

「つ、都筑先輩っ!」

 ざくっ。

「はぁうっ!」

額に無数の穴を空け、君島はのけぞった。彼が顔を埋めようとしたゆかりの胸には、べるなが差し出した剣山が乗っかっていた。
なぜそんなものを持っているのか、彼女に聞いてはならない。

「いけないコですぅ。そーゆーことは恋人さんと、人気のない路地裏でするものですよぅ?」
「ごっ、ごめんなさいぃ!」

鬼堂がいなくても、痛みの絶えぬ君島だった。

「ふふ、みんな、相変わらず元気ね〜」

君島の背後から掛けられた声に、その場の全員が振り向いた。

「未紀先生!」

軽く手を振りながら笑顔で立っていたのは、高等部の国語教師、菅原未紀だった。未紀は、いたずらっぽい表情で君島に近付き、彼の額をコツンと叩いた。

「君島くん。今日、あたしの授業で居眠りしてたでしょ? いけないな〜、そういうの」
「はあ、ごめんなさい……」
「気をつけたほうがいいわよぉ。今度居眠りしてたら、寝てるうちに眉毛剃り落として、おしろい塗って、おでこに丸く眉描いたげるから」
「あっ、平安美人ですね!」
「お歯黒! お歯黒ありまーっす!」

重ねて言うが、べるなの持ち物について疑問を持ってはならない。

未紀が笑う。

「あははははっ。ま、君島くん苛めててもキリが無いわね。ところで有ちゃんたち、生徒会役員が三人も集まって何してるの?」

その言葉に、三人は顔を見合わせた。
まさか、 「ちっちゃくなっちゃった鬼堂くんについての聞き込みです」などとは言えない。

「ちっちゃく……」
「わーっ! 待って有ちゃん!」

キョトンとする未紀。

「……何だかよく分からないけど、いろいろ大変みたいね。ただでさえ、それぞれの委員会やクラブで忙しいのに……」

有子が目を輝かせた。

「あっ、私、料理部に入ってるんですよ。お料理大好きなんです。……未紀先生って、どこかのクラブに入ってないんですか? あ、じゃないや。えと、顧問とか……」

それを聞いた時、未紀の眉根がキュッと寄せられた。
視線が、有子たちから外される。

「……どうしたんですか? 先生」

不思議そうな有子の顔に気付いた未紀は、慌てて首を振った。

「ん、ううん! 何でもないの! ……あ、あたし、ちょっと急ぐから……」
「おやおや、もう行ってしまうんですか? 残念ですねぇ」

蜘蛛の糸のようにねとついた調子のその声は、驚くほど未紀たちの近くから発せられた。背筋にぞくりとしたものを感じて彼女らが振り向くと、そこには金縁の眼鏡をかけ、頭髪が半ばまで禿げあがった細身の男が立っていた。

「津山先生……」

未紀にそう呼ばれた男は、気取った様子で眼鏡の位置を直し、にぃっと笑った。

彼の名は津山秀司(つやましゅうじ)、五十三歳。
高等部において数学の教鞭を執っている。経験豊かなベテラン教師だが、生徒からの人気は、絶望的なまでに低かった。彼は、その長い教師生活ゆえにか、教頭率いる保守派に属し、『生徒は教師に従属すべきであり、その上下関係無くしては、学園の秩序は近い将来崩壊する』という態度を崩さなかったのだ。

しかし、彼の不人気の原因は、これが主なものではない。

「いや、菅原先生。今日も若々しくていらっしゃる。いやいや、羨ましいことです」

津山はそう言いながら、顔の造りとは不釣り合いに大きな目で、未紀の全身を舐め回すかのように見た。

その視線は、露骨に未紀を欲望の対象として捉えている。
津山が生徒から、特に女生徒たちから嫌悪とまで言ってよい感情を抱かれているのは、この視線のためだった。

津山の目が、今度はゆかりたちに向けられる。はっと身を固くする三人。

「ほうほうほう、生徒会の綺麗どころまで集まってるじゃないか。どうだ? お前たちも色気がでてきて、男どもが放っておかんのじゃないか? ん?」

見えない舌でも付いているのではないかと疑いたくなるような視線が、ゆかりを、べるなを、有子を順番に舐めあげていく。その視線にさらされるたびに、彼女らは背中を蛇が這いずり回るかのような悪寒に襲われるのだった。

「最近の子は進んでるからなぁ。案外もう男を……」

ぬらぬらとした口調で紡ぎだされる津山の声を途中で遮ったのは、未紀だった。

「津山先生! あの、私、急ぎの用がありますので、これで失礼いたします。ほら、あなたたちも、道草しないで帰るのよ」

ゆかりたちは一瞬で未紀の意図を了解した。未紀の機転に感謝しつつ、すぐに弾かれたように、

「はぁい! それじゃ、失礼しますっ!」

と声を張り上げ、未紀とともにそそくさとその場を立ち去ってしまう。津山が制止する隙など与えなかった。

一人、廊下に取り残された津山。彼はフンと一つ鼻を鳴らすと、その大きな目で、去っていくゆかりたちの後ろ姿を睨み付けた。唇の端が、ぴくぴくと震えている。

「ふっ、ふふ……。まあいい。私を舐めていられるのも今のうちだけだ。もうじき、お前らは私の物になるんだからな。……たっぷりと可愛がってやるから楽しみにしてろ……」

その呟きは口の中でだけ響き、すぐに噛み潰されてしまった。しかし、呟きがはらむドロリとした欲望は、咀嚼されるたびにその粘りを増していくのだった。
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