第2章 魔窟に入らずんば変人を得ず(いらん! いらん!)
校舎とは別棟に建てられた、巨大な建造物、高等部用クラブハウス。学園より正式に認可されたクラブ、およびサークルの部室が多数収められている建物である。
主に、文科系のクラブ、サークルが使用している。
ごくり。
愛美は、扉の前で思わず息を飲んだ。何事にも動じぬ超合金Z製の心臓を持つ彼女としては、極めて珍しいことである。
しかし、愛美は意を決し、「万能科学部」の扉を一気に開いた。
どっかーん!
愛美の目の前で、いきなり爆発が起きた。
あまりのことに茫然とする愛美。
「状況しらせぃっ!」
「第二炉心融解!」
「隔壁、作動しません!」
「メインタンクブロー!」
「六番魚雷発射管、注水!」
何人もの部員が大騒ぎした末、何とか爆発は治まった。
「あ、相変わらず無茶苦茶ね。ドクトルK」
「うぬ!? き、貴様は!」
ドクトルKこと八雲和郎は愛美に気付くや、黒ぶちの片眼鏡を輝かせ、白衣の裾をぶわさっ!とひるがえした。
「選挙管理委員長、江島愛美! そうか! 貴様もやっと私の偉大さに気付き、軍門に下るべく……」
すぱーん!
迅雷の速さで打ち込まれる扇子の一撃。
「下るかぁっ! ったく、恥を忍んで尋ねてみれば、いきなり爆発に巻き込まれるし。何なのよあれは!?」
八雲は、誇らしげに答えた。
「うむ、あれか。あれは私が苦心の末作り上げた、最新型全自動食器洗い機、ディザスターVIIIだ! 不幸な事故により、爆発してしまったがな」
「食器洗い機に炉心とか、隔壁とか……。しかも、途中で全然関係ないこと言ってなかった? 魚雷って何よ?」
「気にするな! 現に爆発は止まったのだ! これも我が偉大なる頭脳があればこそ! ぬぁーっははははははは!」
愛美は完全に呆れ返り、額を押さえた。
愛美に、鬼堂の幼児化現象をまとめたレポートを渡された八雲は、軽く目を通して深くうなずいた。
「なるほど。確かにこれは、私が数ヵ月前に開発した『生物幼化剤ショタコニンX』のもたらす効果に他ならない」
「そうなの……」
愛美の目が、すぅっと細められた。次の瞬間。
すぱーん!
電光石火の扇子攻撃が、八雲の額を容赦なく打ちすえた。
「やっぱりあんたの仕業だったのね! 鬼堂くんをどうするつもりなの!」
「ま、待て! 私ではない! そもそも、私には動機が……あ、いっぱいある……」
すぱーん!
「待て! 今のは冗談だ!」
「聞く耳持たないっ!」
万能科学部の部員たちが、怯えた目をしながら遠巻きに二人のやりとりを眺めていた。
愛美は、乱れた息を整えながら扇子をしまい、八雲を睨み付けた。
「それじゃ、あくまであなたじゃないって言うの?」
「む、無論だ。ショタコニンXが保管庫から消えていたのを今朝、私が発見したのだからな。おそらく土曜か日曜日に、何者かが持ち出したのだろう。まったく、あんな失敗作を持ち出すなど、犯人の正気を疑う」
「あんたに正気疑われちゃ、犯人もかなわない……ちょっと待って!今、『失敗作』って言った?」
八雲は一瞬、「うぬぁあ! しまったあああああ!」という表情をしたが、やがて開き直ったか、偉そうに語りはじめた。
「いかにも。あの薬品は調整にミスがあって、急激に体細胞を縮小させた際、行き場を失った水分などは血中になだれ込む。そうなれば、心臓を始めとする様々な臓器に大変な負担が掛かり、下手をすれば大量の血液が血管を破裂させるぞ。たとえそれを免れたとしても、身体の代謝機能がすみやかに水分を排出できねば、血中の酸素濃度が薄まって、やはり致命的な結果を生む。鬼堂が今まで生き長らえたのは、まさに奇跡だな」
一時は顔色を失っていた愛美は安堵の息をつき、小さく笑った。
「まったく、呆れちゃうわね。鬼堂くんったら、どこまでタフなんだか……」
「安心するのはまだ早いぞ、江島」
「えっ……?」
「水分の排出に成功したとしても、それによって臓器にかかるストレスは想像を絶するものがある。それに、マウスを使った簡単な動物実験しかしていないために、ショタコニンXが人体に与える影響にはまだ不明な点が多い。下手をすれば、猛毒にもなりうるのだ。……実用に耐えぬ失敗作だったのだよ。あの薬品はな」
「……その、マウスはどうなったの?」
「写真が残っているが、見たいのか? 水分の排出が追い付かず、膨れあがったマウスの死体を」
愛美は、再び顔色を無くし、口元を押さえて絶句した。
「そんな……それじゃ、鬼堂くんは……」
「死ぬな。このままでは」
「そんな……」
愛美の体は力を失い、背後の壁に体を預けた。
その様子に、八雲はニヤリと笑った。今なら、こいつに対してアドバンテージを取れる!
「……鬼堂の奴を元に戻すための薬が、無いわけではない……」
「本当!?」
目を輝かす愛美を見て、八雲の笑みがさらに大きくなる。
片眼鏡をギラリと輝かせ、白衣の裾を、ぶわさっ!と派手にひるがえす。
「しかぁし! タぁダで渡すわけにはいかんなぁ。選挙管理委員長、江島愛美よ! これより我が軍門に下り、世界征服のための先兵となれ! 働き次第では、我が右腕と認めてやってもかまわんぞ! ぬぁーっははははははははははは! ……は?」
「さっさと出さんかぁっ!!」
すぱーん!
渾身の扇子攻撃が、八雲の後頭部を張りとばした。
愛美と八雲は、「オカルト研究会」の部室前に立っていた。
おどろおどろしいデザインのハリボテがくっつけられた扉を見て、愛美はゲンナリした様子で八雲を見た。
「ここに、鬼堂くんを元に戻せる薬があるの?」
「うむ。江島よ。強情なお前も、我が魔術の偉大さを目にすれば、膝を屈せずにはいられまい! ぬぁーっはははははは!」
ごっ。
「馬鹿言ってるんじゃないの。早く出しなさい」
「うむむむ……扇子の根元で殴りおったな。神をも恐れぬ小娘め」
毒づきながらも、素直に扉を開ける八雲。
室内には暗幕が垂らされていた。その闇の中で、漆黒のローブを着込んだ数人の男女が魔法陣を囲み、悪魔でも呼び出そうというのか奇妙な呪文を唱えていた。
「ベントラ、ベントラ〜……」
何か違う気がする。
部室に入った八雲と愛美に、奥から声が飛んできた。
「あら、部長じゃないですか」
声の主は、奥の机で厚い本をめくっていた女性だった。
名を、阿久津澄香(あくつすみか)という。艶やかな黒髪を肩で切り揃えた、知的な感じのする美人である。
丸い眼鏡が、鋭い印象を和らげていた。
「どうなさったんですか? 今日は万能科学部の方にいらっしゃったはずでは……。あら、そちらの方は……?」
八雲はニヤリと笑い、マントの裾をぶわっさあっ!とひるがえして言い放った。
「聞きたまえ阿久津くん! こやつは選挙管理委員長、江島愛美! ふっ、自分たちでは手におえぬ事件を抱え込んでな、私にすがりついてきたというわけだ! ぬぁーっははははははははは!」
「好き勝手なこと言って……って何よ、その格好……?」
八雲の服装は、いつのまにか、漆黒のローブにマントというものになっていた。ついさっきまで実験用の白衣だったのだが。
「どうした江島? 何も不思議がることはないだろう。TPOに応じて服を着替えることは常識だ」
「いや、TPOとかの問題じゃなくて」
その時、阿久津が愛美に声をかけた。
「気にしないでください江島さん。この程度のことをいちいち気にしてたら、神経が保ちませんよ」
「そ、そうなの?」
「ええ。適当に無視してください。……ところで部長。何かご用だったのでは?」
ちょっぴり寂しげだった八雲の表情が、キュッと引き締められた。
「うむ。阿久津くん。この間、私が作った秘薬を出してもらいたいのだ。ほら、成長促進薬があったろう」
「ああ、『育ちすぎα』ですね?」
「……そのネーミング、何とかならないの?」
「すばらしいセンスに感動したか?」
「……さっさと出して」
鍵を持った阿久津は、壁ぎわに置かれたステンレス製の棚を開け、中にあったいくつものケースのうち一つを取り出した。ケースを開けると、整然と並べられた薬品の小瓶が顔を出す。
「ええと、『育ちすぎα』は……」
初めはどことなくウキウキとした様子だった阿久津の表情が焦りと恐怖に歪んだのは、その直後だった。
「あ、ありません! 『育ちすぎα』が……。確かに、この十二番ケースに入れておいたのに……!」
「うそぉ!」
悲鳴に近い声をあげる愛美。それとは対照的に、八雲は黙って鬼堂の幼児化現象のレポートを見なおした。その中の一項に目を留める。
「……『精神年齢の低下』か。……奴め……」
苦々しげなその呟きは、誰の耳にも届かなかった。
© 1997 Member of Taisyado.