第1章 華麗(?)なる変身
登校途中、高等部生徒会一のプレイボーイと名高い、清美委員長、天草龍之介は悩んでいた。
今日は週明けの月曜日。
今日もまた、あの悪名高き風紀委員長、鬼堂信吾は校門近くに陣取り、登校する女生徒たちを監視していることだろう。自分の個性をファッションという形で表現しようといういたいけな乙女心を、その凶悪な木刀で脅しつけ、震えあがらせようというのだ。
龍之介は、そんな哀れな女生徒たちを救うべく、日夜努力を怠らない。
……男子生徒? 何それ?

「うーむ、今日はどうやっておちょくってやろっかな?」

馬鹿げた管理強化に力を注いでいる信吾の前に遅刻寸前に姿を現し、自分の高貴さを妬む怒声を嘲笑いつつ校舎へ飛び込むのが、龍之介の日課だった。颯爽としたその姿は、個性を尊ぶ女性たちを熱狂させてやまない。
信用できる筋の情報によると、いくつかのファンクラブも存在しているという。
道すがら、彼に熱い視線を注いでいる女生徒たちに輝くような笑顔を向けると、彼女らは黄色い声を上げてはしゃぎ回った。

「ふっ、また彼女らを惑わせてしまった。罪だな、俺も……ん?」

龍之介の目が、一人の女性の後ろ姿を捉えた。薄い桜色のスーツを着ており、髪型はセミロング。
限定されたジャンルの情報量ならばノアをも凌ぐ龍之介の脳が、その女性のデータを一瞬にして弾きだした。

菅原未紀(すがわら みき)。高等部の国語教師である。
年齢は四十二歳とやや高いが、その美しい容貌と機敏な動作は若々しさを感じさせ、強弁すれば二十代と言っても通用するだろう。性格は明るくサッパリとしており、また情に厚いこともあって生徒からの人気は高い。離婚の経験があるらしいが、子供についての噂は聞かなかった。

「珍しいな。あの先生、こんな遅くに出勤かよ……」

心なしか、彼女の後ろ姿に元気が感じられない。声を掛けようかと思った時、後方での騒ぎに気づいたか、彼女の方が先に振り向いた。龍之介と目が合う。
龍之介はニッコリと笑いかけたが、未紀は表情を凍り付かせ、すぐに顔を伏せてしまった。
予想外の反応に、少々戸惑う龍之介。

「どうしたんだ? いったい……」
「りゅーのすけさまー!」

その時、コロコロとした可愛らしい声が彼の後から飛んできた。しかし、それを耳にした龍之介は、露骨に迷惑そうな顔をした。足音が近付いてくるのに、振り返りもしない。

「お早ようございます! 龍之介さま!」
「<恋人たち>……。非常時以外は、あんまし俺の前に出てくんなって言っただろ?」
「えっ……」

ブレザーにネクタイといういでたちの少年、二十二の魔宝の一つ<恋人たち>は、切なげな目で龍之介の憮然とした顔を見つめた。

「どうしてですか? 龍之介さまをお守りするのが、ボクの役目なんです。できる限り、龍之介さまと一緒に……」
「分かってない! さっぱり分かってないよお前!」

龍之介は、不機嫌そうな顔のまま、<恋人たち>の胸元に人差し指を突き付けた。

「お前さ、どうして俺がお前を避けてるか、考えたことあるか?」
「それは……愛ゆえの……」
「ぜんっぜん違ーうっ! よーし、この際だからハッキリ言ってやる。俺はな、男に付きまとわれるのが大っ嫌いなんだよ! ふん、相手してほしけりゃ、最初の頃みたいに女の子になって出てくるんだな。男のお前なんざ、願い下げだぜ!」

冷たく突き放すと、<恋人たち>はとたんに瞳を潤ませ、両手を口に当てて二、三歩後ずさった。

「そんな、ひどい……。龍之介さまの……龍之介さまのバカー!」

泣きながら走り去る<恋人たち>。その後ろ姿を見送り、

「ちょっと可哀相だったかな?」

と龍之介は思ったが、周囲を歩く生徒たちの好奇の視線に気付くと、すぐにその考えを打ち消した。

そんなことをしているうちに、校門が見えてきた。
まあいい。鬼堂をおちょくって、この嫌な気分を変えるとしよう。龍之介は、勢いよく校門に飛び込んでいった。
校門の蔭から姿を現した龍之介は、優雅に髪をかきあげ、誇らしげに言い放った。

「ったく、また無駄なことにエネルギーを費やしてんのかよ鬼堂! ふっ、とはいえ、下賎の者に、俺のように高貴な振る舞いは……って、あれ?」

天草は自分の目を疑った。いつもなら校門に一番近い場所で、偉そうにしかめっ面をしている信吾の姿が見当らないのだ。
キョロキョロと周りを見回している天草に、横から声が飛んできた。選挙管理委員長、江島愛美である。

「ね、おかしいでしょ? 人一倍時間に厳しい鬼堂くんが、今日に限ってどこにもいないのよ」
「あ、愛美ちゃん。来てたのか」

龍之介は愛美に向き直り、わずかに乱れた髪を優雅にかき上げて微笑などしてみたが、愛美がつまらなそうに扇子をパンと鳴らしたので、慌てて言葉を探した。

「えと、休みなんじゃない? ま、病気になるようなデリケートな奴とは思えないけど」
「病気で休み、ってのは無いわね。以前に彼、風邪で40度近い熱を出したことがあったけど、文字通り這って学校に来たもの。かなり、皆勤賞にこだわってるみたいだから」
「皆勤賞? くっだらねー! まるっきりガキじゃん! 小学生じゃないんだから……」
「ガキじゃないもん!」
「え?」

振り返った龍之介の目の前に、一人の少年が立っていた。
歳は六、七歳だろう。漆黒の瞳にあふれんばかりの生気をみなぎらせている。しかし、少年が着ている無理矢理寸を詰めたダブダブのジャージと、自分の身長ほどもある木刀を抱えている姿が、何とも不釣り合いで滑稽に見えた。

初めは困惑していた龍之介だが、すぐに小さく笑って少年の頭にポンと手を置いた。

「どうしたんだいボク? 初等部の校舎はこっちじゃないよ。あ、何ならお兄ちゃんが送ってってあげようか。今日は鬼堂のバカがいなくて、気分いいんだ♪」
「バカじゃないもん!」

 ごっ。

少年の木刀が、龍之介の額を突いた。

「いってーな! 何すんだこのガキ! 干涸びたいのか!?」
「待ってくださいっ!」

龍之介が、思わず少年の生気を吸い上げようとしたその時、一人の少女が二人の間に飛び込んできた。復学して間もない、紫典美咲である。
美咲は、龍之介にペコペコと何度も頭を下げた。

「ごめんなさい。本当に、ご迷惑をかけてしまって……。
 あの、おでこ、大丈夫ですか?」

心配そうにしている美咲に、龍之介はバックに
キラキラした光と薔薇を背負い、優しく微笑みかけた。

「大丈夫、平気さ。全然気にしてないから安心して。
 男の子ってのは、これくらい元気な方がいいからね」
「美咲お姉ちゃん。ボク、この人嫌い。ケーハクそうだもん」
「……美咲ちゃん、弟のしつけ、もう少し考えた方がいいかもね……」

龍之介の言葉に、美咲はちょっと困った顔をした。

「あの…この子、弟ってわけじゃ……。実は、そのことで生徒会の皆さんにお話が……。あ、愛美さん……!」

美咲が気づいた時には、愛美は少年の前にしゃがんでいた。サングラスを外し、少年と同じ目の高さで、彼女はにっこりと笑った。

「私ね、江島愛美っていうの。ねえ君、お名前、なんて言うの?」

しかし少年はそれに答えず、美咲のスカートの蔭に隠れてしまった。

「ふふ、照れ屋さんなのね」
「……美咲お姉ちゃん。あのお姉ちゃん、なんか怖い…」

ひきっ。

愛美は笑顔を崩さなかったが、その唇の端が引きつっていたのを、美咲は見逃さなかった。慌てて少年の背中を押し、答えを促す。

「ほら、お名前教えてあげて。ね?」

少年はスカートの蔭から顔だけを出して、もぐもぐと言った。

「……きどうしんご」

 ……沈黙。

やがて、龍之介が深々とため息をついた。

「……とんでもない奴と同姓同名なんだなぁ。あんな風に育たなきゃいいけど」

哀れみの目で少年を見下ろす龍之介。しかし、美咲はぷるぷると首を振った。

「そうじゃないんです天草さん。この子、本当に、すごくちっちゃいけど……鬼堂さん……みたいなんです……」

……再び沈黙。そして。

「「はあああああ!?」」

龍之介と愛美の声が、期せずしてぴったりと唱和した。
信吾少年は愛用の木刀を抱えたまま、キョトンとして二人を見つめていた。
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