「ねぇ、結局の所、何で呼び出されたのよ?」

食欲もなく昼食をつつく大獅に、隣でいつも通りの健啖さを発揮している相棒、矢賀原紋乃(やがはら・あやの)が尋ねてくる。
時刻は正午を10分程まわったばかり、外勤の警官達も署に戻って来る為、熱田署内が最も混雑する時間帯に、最も混雑しているであろう場所、食堂の片隅に彼等はいた。

「……別に。大した事じゃない。」

素っ気ない返事を返す大獅を、更に紋乃が問いつめる。

「『別に』ってことはないでしょ。それに、あの『応接室』に呼び出されておいて、大した事じゃないなんて、信じられると思うの?」
「仕事の事でどうこう言われた訳じゃない。だから、お前には関係の無いことだ。」
「あ、そういうこと言うんだ! 酷ーい!」

自分の心配を余所に誠意の無い返答をする大獅に、憤慨した紋乃が詰め寄った。

「仮にも私は貴方の相棒よ! 仕事のことじゃないから関係無いだなんて、あんまりにも他人行儀じゃない。ちょっとおかしいわよ、大獅君。私たちの仲ってそんなものだったの? それに、一体全体あの部屋で何があったっていうのよ!」

噛みつかんばかりの紋乃の剣幕に、思わず後ずさりかける大獅。
だが、普段からの彼女の性格からして、逃げた所で何の解決にもならないことは判りきっている。
なんとか誤魔化そうと彼女の方に向き直った大獅は、目前の光景に思わず顔を引きつらせた。

それは、紋乃が顔をすぐ側に近づけていたこともあったが、主な理由は彼女の後ろ、テーブルの上に並んだ皿の山にあった。

大獅の見ていた限り、彼女はほぼ彼と一緒に食堂に入り、ほとんど同時に食事を摂り始めた筈だった。
だが、今や彼女の前には丼が4個、定食のトレーが3枚、更にカレー皿が3枚、空になって置かれていた。いくら食欲が無いとは言っても、大の男の大獅が定食一人前を片付けない間に。

しかも、それらの中身はおそらく、胃にもたれそうな生姜焼やフライ、天麩羅と言った物ばかりだっただろう。カロリーにしたら何万カロリーになることか。

世の女性の羨望と嫉妬を一身に集めかねない体質と言えよう。

物を言う気力を失ってため息をつく大獅に、紋乃が怪訝そうに尋ねる。

「ちょっと、いきなりどうしたのよ? ため息なんかついて。」

――こいつ、どうやって今の体型保ってんだ? ――

「……いや、なんでもない。」

内心の疑問を無理矢理押さえ込んで、その言葉だけを腹の底から絞り出す。
人外のものでも見るかの如く紋乃を眺めると、まだ半分近く残っている定食のトレーを持って、大獅は立ち上がった。

「待ちなさいよ! まだ話は済んでないわよ!」

積み上げられた自分の食器を急いで抱え上げると、紋乃が抗議の声を上げながら追いすがってくる。
食器を片付け、出入口に向かう最中も彼女の追求は止まなかった。

「さっきからの大獅君、絶対に変よ。本当に何があったのよ?」
「何でもないと言っている。」
「嘘ばっかり。大獅君って考えてる事がすぐ顔に出るんだもの。とにかく、さっさと白状しなさいよ!!」
「だから!! お前には関係な」
「教えてくれないと教えてくれるまで毎日、大獅君のツケでお昼食べちゃうから!!」
「お前なぁ……。」

食堂の出入口付近に立ち止まって言い争っている二人の周りには、いつの間にか、かなりの野次馬が集まっていたが、当人達は全く気付いていない。

いい加減しらを切り続けるのに疲れた大獅が、紋乃を振り切って食堂を出ようとしたその時、

「皆さぁん! ビィッグニュ−スですよーッ! "あの"大獅の旦那がお見合いするそうですぜ!! いやぁ、旦那にもやっと春が来るんでヤンスかねぇ……。」

出来得る限り他人、特に紋乃には知られてはならない事を、無責任なまでに大声で叫びながら、一人の男が食堂に入ってきた。今の大獅にとって悪魔の使いに等しいその男は、名を住田涼刑事−通称ヤンス−という、同じ刑事課に属する刑事だった。

普通にいる時には変哲のない人物に見えて、実はトラブルメーカー、という人間が稀にいる。
彼、住田涼もそんな稀な人間の一人である。
彼自身は悪い男ではないし、その発言にも特に悪意は感じられない。どちらかと言うと好人物と言っていいだろう。
しかし、当人の全く自覚のない所でその言動が要らざる騒ぎを起こしたり、騒ぎに油を注ぐ結果になる事は、熱田署内では周知の事実であった。

要するに、間の悪い男なのだ。

今回も大方の例に漏れず、案の定、食堂内の空気が一瞬にして凍りつく。

「あれ、皆さん黙りこくっちゃって、一体どうしたんでヤンス?」

状況を理解していないのは彼だけだったが、その場にいるもの達は、もはや誰も彼のことを気にしてはいない。
ただ、かたずをのんで事態の推移を眺めているだけだった。

――あんの馬鹿野郎が!! 余計なことを!! ――

心の中で悪態をつく大獅。
その脳裏には、先程の応接室での出来事が甦っている。

大獅が昼前に応接室に呼び出された用事、それはこの『見合い話』についてであった。
そして、その中身を見た大獅が凍りつく羽目になった厚紙には当然、振り袖を着てにこやかに微笑んでいる女性の写真、俗に言う『お見合い写真』が挟まっていた。

出来る限り秘密裡に片をつけようという大獅の思惑は脆くも崩れさったようだ。

鉛よりも重く、深海の底よりも静まりかえった空気を押し退けるように、大獅がなんとか口を開く。

「いや、矢賀原、これは……。」
「ねぇ……今の話、本当なの?」

しかし、紋乃は大獅などその場にいないかの如く無視して、住田刑事に問い掛けた。先程までの大獅に対する詰問口調とはうって変わった猫なで声だが、その目は全く笑っていない。俗に言う、「肉食獣の笑み」という代物だった。

だが、そんな紋乃の変化には全く気付く様子もなく、住田刑事は相も変わらぬお気楽な口調で答えた。

「もちろんでヤンスよ。ネタの仕入れ先は言えませんがね。確かな情報でヤンスよ。おや、大獅の旦那、ここに居たんでヤンスか。いかがです? お見合い相手は。美人でゲスか?」

もはや、誰も住田刑事の問いなど聞いてはいなかった。食堂中の人間の視線が矢賀原紋乃ただ一人に集中する。

誰もが彼女の激発する光景を脳裏で思い描いた。

しかし、周囲の予想に反して、紋乃は一言も発せぬまま食堂を出ていった。

その歩調は早いものであり、白く、繊細と言える手の平は固く握りしめられていたが、結局、廊下を曲がって食堂からは彼女が見えなくなるまで、彼女は一度たりとも大獅の方を振り向きはしなかった。

静まり返った食堂には、唖然とした表情で紋乃の消えた廊下を眺める野次馬達と、未だに自分のしたことをよく理解していない住田刑事、そして、その中央に呆然と立ちすくむ紋乃の相棒だけがとり残されていた。




「どういうことです! 課長!」

刑事課に戻るなり、紋乃は高宮課長に詰め寄った。
出来る限り口調は抑えたつもりだったが、内心から込み上げる怒りは抑え難く、その声はかなり上擦ったものになっていた。

「何が?」

彼女とは対照的に、いつもと変わらぬ口調で聞き返す課長に、更に怒りをぶつけるかの如く畳みかける。

「大獅君のお見合いのことです! 相棒の私に一言の断りも無く!」
「あぁ、その事ね。別に貴女に断らなきゃいけない事ではないでしょう? 大獅君のプライベートに関する事なんだし。それとも相棒とはいえ、彼がお見合いをするのに一々同僚の許可が必要なのかしら?」
「一言位あってもいいじゃないですか! いざと言う時、組む相手がいなくて困るのは私なんですから。」
「ここの所、刑事課は大きな事件は抱えていないし、大獅君も最近あまり休んでいない様だったから、休暇を取るいい口実になるかと思って勧めたのよ。もっとも、お見合いの方を勧めたのは私じゃなくて、防犯課の沖間課長だけれど。」

言外に、話を持ってきたのは自分ではないと主張する課長。だが、今の紋乃にはそんなことに考えを巡らせる余裕は無かった。

「そんな!? 直属の上司でもないのに……。」
「この署内で彼よりキャリアの長い人物はいないわ。同時に発言力の大きさでもね。署長でさえも彼の発言は無視できない。そんな人の勧めをあの大獅君が断れると思って?」
「理不尽じゃないですか!」
「そうかしら?」
「そうですよ!」

その冷静さを"鉄壁"とさえ例えられる課長に、噛みつかんばかりに抗議を続ける紋乃。
だが、当の"鉄壁"には小揺るぎする様子さえない。

「ことはただ単に、『他の部署の上司が別の部署の妙齢の者に見合い話を持ってきた』と言うだけよ。これのどこが理不尽なのかしら?」
「そっ、それは……。」
「それに、大獅君も少しは女性との付き合い方を学んだ方がいいと思っていたし、別段、無理に結婚しろと言ってる訳じゃなし。」
「当たり前です!」
「なら別に、貴方がこんな風に目くじらを立てる理由は無いんじゃない?」
「で、ですが!」

形勢の不利を感じつつも、更に言い募る。
しかし、余裕の無くなった紋乃は、もはや課長の掌で弄ばれているようなものだった。

「何なら、あなたにも持って来て貰う? お見合い話。」
「け、結構です!!」
「そう、それは残念ね。ま、いずれにせよ、これは決定事項よ。変更はきかないわ。」
「納得出来ません!」
「別に貴方が納得する必要はないでしょ? これは元々大獅君の問題なのだから。大獅君本人が了承した時点で、これはもう他の者がどうこう言えることではないのじゃなくて?」

なおも食い下がろうとする紋乃に、姐御は冷厳に告げる。

「さ、この話は終わりよ。矢賀原刑事、職務に戻りなさい。」
「……はい。」

しぶしぶと引き下がったものの、紋乃に納得するつもりなど、更々無かった。
しかも、いくら上司からの命令だからといって、大獅が話を受けたという事実が、更に彼女の怒りをかき立ててゆく。

――何考えてるのよ、大獅君! ――

戻って来次第、彼を問い詰めてやろうと心に誓いつつ職務に戻る紋乃だったが、彼女は知らなかった。当然に予測されうる彼女の追求から逃れる為、大獅がその日の午後一杯を格技場で過ごそうと決意していたことを。

そして、大獅にお見合いを引き受けさせる代わりに、沖間課長が高宮課長自身に持ってきた見合い話を御破算にする旨の約束が取り交わされていたことを。

――全く。あの二人も、この位の事がないと全然進展しないんだから、困ったものよねぇ――

自分自身のことを遙か成層圏の彼方の棚に放りこんでおいて、高宮清香35歳(独身)は心中でそっと呟いた。

昼下がりの熱田署にはいつもと変わらぬ平和な空気が流れていた。まだこの時は……。
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