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「そうかね、あ奴はそんな事を言っておったのか。」
「ええ。これからはこの公園も、今まで以上の憩いの場となることでしょう。」
静かな寝息を立てている仁美を眺めながら、笙は老人に事の顛末を話していた。
迷い家と別れた後、霧の晴れた公園を仁美を捜して歩いている内に、再び笙は老人のいたベンチに戻ってきてしまったのだ。しかも、そこには既に、老人の膝を枕にして眠っている仁美と、老人の足元にうずくまっている子犬がいたのだ。
老人の話す所によると、笙が霧の中に消えて一時間程すると霧が薄れ始めたので、辺りを見回してみると、少し離れた街灯の下に、仁美と子犬がうずくまるように眠っていたらしい。
冬の寒空の下にずっといたにも係わらず、一人と一匹の体は少しも冷えていなかったということだ。
――確かに、彼には人々を傷つけるつもりは全く無かったようですね――
笙は心の中で、改めて"迷い家"に礼を述べていた。
「あ奴はあ奴なりに人間のことを考えていたんじゃ。」
老人が呟くのを聞いて、笙も静かに頷く。
「妖怪というものには実に様々な者がおる。お前さんのように人と変わらぬ暮らしを営める者から、奴のように幻を通してしか人とつながりを持てぬ者もおる。しかし、それぞれがそれぞれの形で人間を理解しようとしておる。苦労もあろうが、それもまた生きる楽しみなのじゃろうて。」
笙は黙って老人の話を聞いていた。老人が答えなど欲していないのは判りきっていたから。
「う、うぅーん。ふぁーあ。」
静寂の訪れた公園に突然、あくびの声が響き渡る。どうやら眠っていた少女が目を醒ましたらしい。
「あれ、しょうおにいちゃん? ひとみどうしたの? みゅーんと遊んでたはずなのに。」
可愛らしく首をかしげるひとみに、笙と老人は顔を合わせて、思わず苦笑を浮かべる。
「疲れて眠ってしまっていたんですよ。それより下をご覧なさい。」
笙の声に合わせるかの様にベンチの下から、
「ウァン、ウァン。」
という甲高い鳴き声が巻き起こる。
「みゅーん!」
喜びの声を上げると、ひとみは子犬を抱き上げた。
「みゅーんってば、本当にどこいってたの? ひとみとっても心配したんだから。」
再会を果たした少女と子犬を眺めながら、笙は小さくため息を漏らした。
――とんだ息抜きになってしまいましたが、無事終わったということで良しとしますか――
時計を眺めると、既に11時近い。仁美の両親はさぞ心配していることだろう。
「さぁ、仁美さん。みゅーん君も見つかったことですし、夜も遅いですからそろそろ帰りませんと。」
と笙が促すと、
「うんっ。じゃあ、またねぇー、おじいちゃん。」
と、老人に別れを告げると、公園の出口に向かって子犬と共に走り出す。
慌てて追いかけようとした笙だったが、ふと気が付いたように立ち止まると、老人に向かって、
「色々とお世話になりましたね。お礼申し上げます。ところで、私はまだ貴方がどなたか伺っていなかったのですが……」
「儂かね? 儂はただの老人じゃよ。ただ、少しばかり子供好きで、お節介な、何処にでもいるような、な。もっとも、こんな寒い夜にはプレゼントを配りたがる、少し変わった趣味を持っておるがな。」
笙と老人の間にいつしか、白いものが舞い始めていた。
「これもその一つじゃよ。夕暮れ時に公園で会った娘が『ホワイトクリスマスになったら素敵ですよね』と言っておったのでのう。少しぼんやりした娘じゃったが、中々の別嬪じゃったぞ。」
「……………」
何となく、それを老人に語った者に心当たりのある笙だったが、あえて口には出さなかった。気にすることでもないだろう、降りしきる雪はこの上もなく美しいのだから。
「しょうおにいちゃーん、はやくはやくぅ。」
随分先に行ってしまった仁美が、笙を呼んでいる。
「お前さんにも、何かプレゼントをやらねばのう。頑張ってあの娘を助け出したご苦労賃じゃ。」
老人が、笙にもプレゼントの望みを尋ねて来たが、笙は笑顔で首を横に振った。
「お気持ちは嬉しいのですが、もう既に十分過ぎる程のプレゼントを頂きましたので。」
笙の返答を聞いて、老人も静かに微笑む。
「そうか。あ奴の結界の中で何か良いことでもあったようじゃの。」
「ええ、そんなところです。それに……」
少し皮肉のきいたような笑顔を浮かべて笙は続けた。
「あの霧の中で聞こえてきた『ジングルベル』は、貴方が流したものなのでしょう?」
笙の言葉に老人は含み笑いをしつつ答えた。
「お前さんの帰りがあんまり遅いのでのう。邪魔じゃったかの?」
「一番いい所を邪魔されましたよ。まぁ、お蔭で"迷い家"に辿り着くことが出来た訳ですが。」
「そうか……」
「ええ。まぁ、色々あった晩でしたが、楽しい時間だったと思いますよ。では、御老人。良いクリスマスを。」
最後に軽く目礼をして、笙はひとみの声のする方へと歩き始めた。静かに微笑む老人に見送られながら……
「さて、もう出て来ても構わんのではないか?」
一人残った老人が、誰もいない辺りにむかって声をかけた。
そう、辺りには誰もいない。ただ、たくさんの木々が真冬の寒さに、そして雪の冷たさにじっと堪えているばかりだ。
しかし、老人の問いかけから暫くすると、彼の座っているベンチに程近い一本の樹が不思議な光を放ち始める。
樹から放たれる光はみるみる強さを増し、一瞬大きくまたたいた後に消えてしまった。
そして、その光が消えた後には、そこにあった樹はどこにも見当たらず、代わりにしなやかな肢体と、見る者を引き込むような、それでいてどこか安心感を与えるような、成熟した美貌をそなえた、一人の女が立っていた。
「立派に成長したようね、あの子は。少なくとも、自分の考えで他人を説き伏せられる位には。」
「満足したかね?」
「ええ。」
老人と言葉をかわしつつも、その女の視線は笙の去った方に向けられていた。
「私の願いは叶ったわ。礼を言わなければね、サンタ・クロ−ス。」
「そう呼ばれるのは、今夜だけじゃがな。」
礼に答える老人の顔は、満面の笑みにいろどられていたが、その表情はすぐに曇ってしまう。
「本来であれば、数百人、数千人もの願いだとて叶えてやれるのじゃがな、儂は。」
「でも、今の子供達は、貴方を動かすほどの純粋な願いも、強い願いも持ち合わせていない。」
「全くじゃ。今宵、儂が叶えてやった願いがいくつだと思う? 昼間の娘。子犬の飼い主の少女。そしてあの若者。それだけじゃ。お前さんをいれてもたった四人じゃぞ。子供の部屋に忍び込んで、泥棒と間違えられた頃が懐かしいわい。」
愚痴めいてきた老人の言葉に暫くは付き合っていた女だったが、雪が本格的に降り出したのを見てとると、
「じゃあ、そろそろ失礼するわ。私にはこの寒さは堪えるし、ここにきた目的はあの子の観察だけじゃないのだから。今のうちにしておかなければならないこともあるし。」
「……血が流れるのか?」
「わからないわ。でも、『あれ』を手に入れるのに必要なのならば……貴方もこの地を去ることをお勧めするわ。」
「わかっとるわい。どのみち、儂は一所には留まらん。戦いに巻き込まれるのも御免じゃしな……じゃが、あの若者は悲しむのではないか?」
「それでも……しなくてはならないのよ……」
「因果なことじゃな、和華よ。」
その女――和華は、老人の言葉に、ただ悲しみの込もった微笑みだけで答えると、その場から立ち去った。
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