パーティの喧騒を逃れて、笙が向かった先は鶴舞公園だった。

昭和区と中区の境という名古屋市のど真中にあり、図書館や公会堂等が隣接されているこの公園は日中であれば多くの人々で賑わっている場所だが、流石にクリスマスの、しかも夜半過ぎとあっては人っ子一人見当たらなかった。

そんな中を彼は、辺りの景色を楽しむかの如く悠然と歩いてゆく。

彼や彼の仲間のような存在にとって、夜の闇の中は身近で安心出来る場所だった。人ならぬ妖怪の身にとっては。

この世には、人を含む動物達のように母の体内から生まれる者の他に、様々な"想い"から生まれる存在がいる。それは一般に妖怪と呼ばれる者達であり、彼、宮志摩笙もそんな妖怪の内の一人であった。

青葉の笛――平家物語の中で語られる、平敦盛が所持していた笛――がその正体である彼は、この名古屋を根拠とする妖怪ネットワーク、熱田神宮『影宮』の構成員の一人でもあった。

普段は極普通の高校生として――彼自身の容貌や言動によって、全く平凡にとはいかなかったが――生活している彼だったが、その裏側で、彼を含む熱田神宮『影宮』の仲間達が係わった――妖怪や、この地に特有の『歪み』絡みの――事件は両手の指の数に余る程だった。

ここ暫くは平穏な日々が続いているが、それも何時崩れるか分からない。

このクリスマス・イブはそんな中での束の間の休息なのだった。

――こんなに冷たく冴え渡った夜には、笛の音もよく響きそうですね――

そんな事を思いながら澄みきった夜の空気を吸い込むと、体全体に心地良い冷気が染み渡る。

薄暗い街灯に照らされたベンチに腰を降ろすと、コートの内ポケットから一本の笛――彼にとっては命に等しい物――を取り出して口許に当て、ゆっくりと息を吸い込んだ。

「みゅーん。みゅーん。どこぉ。」

彼が夜風に音色をのせようとした丁度その時、遠くから子供のものとおぼしき声が聞こえてくる。
それは未だに静まらない街のざわめきよりは大きな声だったが、この凍てついた夜にはあまりにも心細く響く声だった。

最初は気にせず笛に専念しようとした笙だったが、じきにその声が涙まじりの呼び声になってきた様に感じると、

「何時からこんなお人好しになったのやら。銀河君にでも影響されましたか……」

自分自身に愚痴をこぼしながら立ち上がって、声のすると思われる方に向かって歩き出した。
探しまわる羽目になるかと思いきや、声の主はものの5分もしない内に見つかった。
それは、必至に何かを探しているらしい、もうすぐ小学校にあがる位の年頃の少女だった。

「どうしたんです? こんな夜中に子供がたった一人で歩き回るのは危険ですよ。何か捜し物をなさっている様ですが、ご両親は一緒じゃないんですか?」

その少女は突然かけられた声に驚いていたようだが、笙が微笑みかけると警戒心を解いた様に近づいてきた。

「お兄ちゃん。この辺りでみゅーん見なかった?」
「みゅーん?」
「うん。ひとみのうちでかってるワンちゃんなの。夕方ママとお散歩にきたときにはちゃんといたんだよ。でもさっきおうちに入れようとしたときにはいなかったの。きっと、どこかで迷子になってるんだよ。かわいそうなみゅーん……」

そこまで言うと、その少女――仁美は俯いて再びしゃくり始めてしまう。
当惑した面持ちでそれを聞いていた笙だったが、放っておく訳にもいかないと考え、少女の前にしゃがみこむと、

「ねえ、仁美さん。犬というのは頭のいい動物で、一回通った道は簡単には忘れないと聞いたことがあります。それに道が判らなくなったとしても、自分自身の匂いを辿ってちゃんと帰ることができるでしょう。送っていって差し上げますから一度家に帰られたら如何です。もしかしたら、もう家に戻っているかもしれませんよ。」

と、出来得る限り優しい口調で、家に帰ることを勧めてみた。
しかし、仁美にはそれを聞き入れる様子は全く無く、

「やだっ。ひとみはみゅーんを捜すんだもん! 見つかるまで帰んないもん。」

と宣言すると、スタスタと歩き始めてしまう。
笙は慌てて仁美に追いつくと、

「ですが、ご両親も心配なさっているでしょう? お子さんがこんな時間に一人で歩き回っては。」

と更に説き伏せようとするが、かえって少女はつむじを曲げてしまった。

「ひとみ、子供じゃないもん! 一人でもみゅ−んを探すんだもん! 」

半分泣き顔になって叫ぶと、更に足を早める。
情理を尽くした笙の言葉も、愛犬を探す少女の情熱には通じなかったようだ。
少女の頑固さに呆れ果てた笙だったが、子供一人を夜の公園に置いておく訳にもいかないと考え、

「仕方がないですね。私も手伝いますから一緒に捜しましょう。でも、この公園の中を捜してみていなかったら、ちゃんとお家に帰るんですよ。仁美さんの御両親が心配なさるでしょうから。」

途端に少女はニコッと笑顔を浮かべ、右手を差し出す。

「うんっ! よろしくね。お兄ちゃん。」

その手を握り返しながら笙も答える。

「こちらこそ。ところで、お嬢さんのお名前は?」
「ふじかわひとみって言うの。お兄ちゃんは?」
「私は宮志摩笙と言います。御見知り置きを。」

それぞれの自己紹介が済むと、仁美は笙の手を引いて公園内の歩道を歩き始めた。
飼い犬の為に必死になっていても、こんな歳の少女にとって夜の公園は普通に歩ける場所ではないだろう。きっと、今まで心細いのを我慢していたであろうことは容易に察っせられた。

――まあ、出来る限りは付き合ってあげますか――

小さな手で彼の手を握って、彼の前を歩いていく少女の背中を眺めながら、笙は心の中で呟いた。
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