彼は悩んでいた。

――私は何故、ここにいるのでしょうね?――

時は12月24日の夜、世に言うクリスマス・イブである。
家族は団欒を囲い、恋人達は甘い時を過ごし、子供達は靴下に入りきらない程のプレゼントに胸を踊らせる――平穏な日々を送る人々にとっては、そんな幸せな夜である筈だ。

しかし、彼にとってこの夜は、その様な和やかさとは無縁の時のようだ。
と言っても、別に彼はクリスマスが嫌いな訳ではなかった。
今日も、本来なら友人の一人が開いている店のパーティに行く予定だったのだから。
余り騒がしいことは好きではなかったが、気の合う仲間達と時を過ごすのは悪くないと彼は思っていた。

――みなさんは今頃どうしているのでしょうね――

ふと気が付くと、幾人かの仲間達の顔を思い浮かべていた。

奥座敷をステージ代わりにアニメの歌を絶唱しているであろう顔、その後ろで自分の番を今か今かと待ち構えているであろう顔、仲間達、特に女性を中心に酒を注ぎまわっているであろう顔、それらを苦々しく見ながら、自らも杯を重ねているであろう顔。
思わず口許が綻びをみせる。

――私の飲む分も取っておいてくださいよ――

だが、現実には彼は仲間達の中にはおらず、派手な照明と意味不明な喧騒の中にいた。

「やっほー! 飲んでるー?」

突然、目の前に真っ赤に染まった顔が飛び込んでくる。クラスメートの一人だ。その顔色とろれつの怪しさは、慣れないアルコールを羽目を外して飲んだからか。
そのうちに悪酔いをして潰れるかもしれない。

「ご機嫌ですね、奥村さん。でも飲み過ぎは体に毒ですよ。」
「なぁに言ってるのよ。こんな時に飲まなかったら何時飲むって言うのよ? 今夜はイブよ、クリスマス・イブ! 救急車呼ばれるまで飲んだって、誰も文句なんか言わないわよ!」

――普通、御両親は心配するものでしょうに――

心の中で反論しながらも、口では相槌を打つだけに留めておく。酔った者に対して道理を説いても無駄である事を、彼は経験上良く知っていたから。

「ねぇ、聞いてるの? ちょっとぉ。そんな顔しているようじゃあ、まだまだ飲みが足りないみたいねぇ? ふふふふふ……」

大分ろれつの怪しくなった口調で不気味な笑い声を発しながら、クラスメートの少女、奥村千恵は彼のグラスに日本酒を注ぎ込む。
パーティが始まったときは一応、ノンアルコールということだった筈なのに、いつの間にか店内には、封を切られたアルコールの瓶が並び、鼻を付くアルコール臭が漂っている。

「おぉーい、奥村ぁ。そろそろカラオケ始めるぞぉ!」

千恵は、彼がグラスを空けるのを興味津々といった顔で見ていたが、店の奥から声がかかると、

「おっけぇい! じゃあ、ちゃぁんと潰れるまで飲むのよぉ。」

と言い残すと、調子外れのクリスマスソングを歌いながら離れていった。

「ふう。」

やっと離れていった千恵の背を眺めつつ、ため息をついて周りを見回す。
そこは鶴舞駅近くにある、高校の教室程の広さを持つ喫茶兼スナックといった感じの店だった。

店内では高校生達が唄を歌ったり(彼の感覚からすれば聞けた代物ではなかったが)、グラスを片手に馬鹿笑いしたり、飲み慣れないビールを一気飲みをしたりと、乱痴気騒ぎを繰り広げている。
ここは、彼の高校のクラスメート達が集まった、クリスマスパーティの会場だった。
店内で騒いでいる者達の内、何人かは隣のクラスの者も混じっていたが、その中に彼の知っている者はいなかった。

本来であれば、そこは彼がいる理由はない場所だった。
しかし、彼は面白くなさそうにしながらも、そこにい続けた。それは……





「さて、後は晶さんに頼まれたお酒を受け取りに行くだけですね。」

一人、呟くような言葉をもらしながら、彼は名古屋駅近くの通りを歩いていた。

12月24日の昼前という時間、クリスマス一色に染め上げられた街は足早に歩く人々でごった返しており、「ジングルベル」や歳末商戦の呼び声が絶え間なく響いていた。

彼の両手は既にパーティグッズの詰まった大きな紙袋が抱えられており、この上に更に物を持てば、前も見えない有り様になりそうだ。
すれ違う中には荷物の脇から垣間見える、彼の美貌に目を止める者もいたが、彼自身はそんな事を気にする様子もなく、荷物に気を使いながら歩みを進めていた。

彼は今、注文した洋酒――口の肥えた友人が頼んだ物で、一本十数万もする代物らしい――を輸入代理店に受け取りに行く最中だった。
本来であれば、頼んだ本人が受け取りに行くのが筋なのだろうが、その友人の主張によれば、

「なんで私がそんな面倒な事しなくちゃいけないのよ。折角おいしいお酒を飲ませてあげるんだから、その位したってばちは当たらない筈よ。」

と言うことになるらしい。

――実際には、私の口には大して入らないのですけれど――

心中に判然としないものを感じながらも、とにかく彼は黙々と歩みを進めていた。

そんな彼の耳に突然、彼の名を呼ぶ声が飛び込んできた。
それほど大きな声ではなく、よもすると周囲の喧騒に紛れてしまいそうなものであったが、彼の研ぎ澄まされた聴覚はそんな声でもしっかりと捕らえていた。

声のした方向――通りの前方――を眺めると、少し先に見知った顔が二人、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。

一人――先程の声の主――は彼に向かって手を振りながら、もう一人は周囲の人にぶつからない様に注意しながら、共にかなり大きな紙袋を抱えながら近づいてくる。

「おはようー。クリスマスのお買い物? 」

声をかけてきた少女、本村 文香が尋ねてくる。

「ええ、そんな所です。御二人も? 」

そう返事をした所で、彼は先程から黙りこくっているもう一人の少女――田嶋紗里――の方を見た。
元々口数の多い少女ではないが、今日は何か考え込んでいるかの如く沈黙している。

考えてみれば変わった取り合わせの二人だった。
つい先日まで所謂いじめられっ子だった田嶋紗里と、文芸部の部長であり、クラスでも活動的な少女として知られている本村文香が連れ立って買い物をしているのだから。

「そっ。話は聞いてるでしょう。今夜、うちのクラスと隣のクラスとでクリスマス・パーティ開くの。で、私たちはその準備中っていう訳。」
「それは御苦労様です。楽しいパーティになるといいですね。」
「あっ、あの、今日来ませんか? パーティに。」

それまで黙りこくっていた紗里が突然口を開いて、問いかけてきた。

「私がですか? いや、すみませんが今夜は……」

誘いを断ろうとした彼の言葉を遮るように、紗里が一気に言い募る。

「今日、銀河君は別のパーティが入ってるそうで来られないんだそうです。それに学校も違いますし。葦原さんも来ないって言うし、私一人だと心細くて……」

元々言葉が少なく、引っ込み思案な紗里の言葉は、尻すぼみになって消えてしまう。
だが、それを脇で見ていた文香が、タイミングを見計らったかの様に彼を非難する。

「ああーっ。また女の子泣かそうとしてるわね。橋本先生に言っちゃおうかな? 」
「なんですか、その『また』っていうのは! しかもどさくさに紛れて何をいってるんです! 」

文香の非難に声を荒らげかけた彼だったが、『女の子を泣かせる』という言葉は想像以上に重く、彼にのしかかっていた。

「ええーっ!? だって、みんな言ってるわよ、先生の見る『眼』が熱いって……」
「デマです! それに私は紗里さんを泣かせるつもりなど……」

紗里に目を向けつつ、文香に反論を続けていた彼だったが、紗里の瞳から溢れそうな大粒の輝きが目に入った途端、その言葉は何処へともなく消えていってしまう。
何とか言葉をまとめようとするが、その努力は全く実りをみせない。

「……ふぅっ、判りましたよ。私の方にも予定がありますから、あまり長くはいられませんが、それでよろしければ。」

結局、根負けして参加を了承してしまう。

「はい!」

涙を拭いながら喜びに頬を上気させている紗里を見て、彼は心の中で苦笑を浮かべていた。

――面をどんなに取り繕っても、女性の涙と笑顔に弱いのは変えられないものですね――

彼(と彼の持ってくる酒)を待ちわびている仲間達への言い訳を考えながら……




「昼間は紗里ちゃん、ご苦労様 」
「いえ、そんな、私、別に……」

騒ぎの中心から少し離れた場所にあるテーブルに、二人の少女――田嶋紗里と本村文香――が陣取って話し込んでいる。

「謙遜しない! 全部紗里ちゃんのお手柄なんだから。」
「そうでしょうか?」
「そ−よ! 第一今ここに来てる女の子達だって。」

言葉を切って店の中を見回す文香。店内にはかなりの人数の高校生がいる。男女比はほぼ半々といったところだろうか。

「半分は今日の午後になって来るって言った子達なんだから。ま、誰がお目当てなのかは言うまでもないだろうけどね。」
「そうなんですかぁ。」
「そうなのよ! まったく、みんなすぐ見た目に騙されるんだから。」

言いつつ、ちらりと視線を走らせる文香。
その先には件の"彼"がいるが、店内の喧騒のせいか、彼女の視線に気づいた様子はない。

「まぁ、あれじゃあ無理ないかもしれないわね。もう五年もしたら、結婚詐欺で充分食べていけそうな顔してるもの。『私の瞳には、もう、貴女しか映らない』とかいって。」

思わず赤面して下を向いてしまった紗里にも、日頃の言動からは想像し難い程過激な自身の言葉にも全く気づかずに、本村文香は喋り続けていた。
顔色は普段と全く変わっていないが、どうやら彼女もかなり酔いが回っているようだ。
そして、それを証明するかの如く十数分後に酔い潰れた彼女は、紗里に付き添われてタクシーで家まで送られることになるのだが、彼女に"填められた"少年がそんな彼女の様子に気づくことはとうとうなかった。


「ふうっ。」

この日何度目になるか判らないため息を吐く。

――いつまでこの騒ぎは続くのでしょうね――

グラスの冷酒を一口、口に含みながら辺りを見回す。いつの間にか時刻は9時を回っているが、宴はたけなわ、収まる兆しも見られない。

――このままいると、ろくに飲んでもいないのに雰囲気に当てられそうですね。少し醒ましてきますか――

そう心の中で呟いて、辺りを見回してみた。既に本村文香と田嶋紗里の姿は見当たらない。充分な判断力を残している内に、この修羅場から退散したらしい(と彼には思えた)。

――では、もう義理は果たし終えたようですね――

そう判断すると、彼は席から腰を上げて店の出入口に向かう。扉を開けると、暖房の効いた店内に寒風が吹き込んでくるが、今の彼には心地良い冷たさだった。
背後から聞こえるくしゃみの連発を黙殺すると、彼、宮志摩笙は厳寒の、そして最も清き夜の街へと歩き出していった……
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