〜エピローグ〜

「――ご苦労さまでした、坊ちゃま」
「ああ」

魔術師はテーブルに置かれたティーカップを手に取り軽く口をつけた。

「いい香りだな」
「ありがとうございます」

影浦――魔術師の執事を務める老人は、頭を深く垂れる。その半身は闇に隠れ、存在感を感じさせない。
まさに、影だった。

「それにしても<戦車>をお使いになるとは……あれは気性が激しいですから、少々肝を冷やしました」
「仕方あるまい。あれだけの人数を運べるのは<戦車>だけだからな」

そう言った後、彼は懐から野球のボールほどの大きさがある銀色の球を取り出した。複雑だが一定のパターンで紋様が刻まれ、一部にレンズがはめ込まれていた。

「それが、今回の<奇跡>を願った者ですな」
「そうだ。香具坂守里が"裏生徒会"の力を借りて創った幻影発生装置。投射した幻に注がれた感情を動力源とするようだな」
「まさか心を持ってしまうとは……」
「それだけ、香具坂守里の想いが強かったのかもしれん」

魔術師はしばらくその球を見つめていたが、不意に影浦に向かって放る。

「保管しておけ」
「承知いたしました」

老人は手を出さなかった。球は身体にぶつかり――そのまま落ちる事なく身体の中に埋没していく。

「オペラハウスの方は?」
「すでに手は加えておきました。地下施設も元通りに」
「そうか……」

再び紅茶を飲んだ後、魔術師は急に黙り込んだ。

「江島愛美――お前はどう見る?」
「<魔術師>を初めてであれだけ使いこなす力量は、大したものだと思います」
「……正直に言え」

影浦の表情に一瞬迷いが表れ、すぐに消える。彼は魔術師に逆らうことを許されない。魔術師の使う22の魔宝の一つだから。

「……驚くべき速度で魔宝との親和性を強めつつあります。柔軟な思考と強い向上心がそれを助長していると思われますが」

魔術師は静かに頷く。

「おそらく、うまくいけば江島愛美も魔宝を扱えるはずだ。私と同じように22の全ての魔宝をな」
「どうなさるおつもりです?」
「今はまだ何もするつもりはない」

断言しつつも、魔術師の口調はそれほど歯切れのいいものではなかった。

「……坊ちゃま、まさか……」
「生徒会役員たちを調べろ――徹底的にだ」

有無を言わせない口調に影浦はただ従うしかなかった。

彼が闇に消えると同時に部屋のドアが勢いよく開かれ、小さな影が走りこんできた。

「お帰りなさい、魔術師!」

それは魔術師に抱きつき、弾むような笑い声を上げた。

「ねえねえ聞いて! ここの子たちって変わってるの! 面白い夢ばかりなの!」
「……また勝手に力を使ったのか、月子」

苦笑しながら、魔術師はその人影――幼い少女を抱き上げた。彼女は白いドレスを着ていた。だが、肌はそれより遥かに白く。髪の色素も薄いせいか銀色に近い。赤い瞳が悪戯めいた光を放っており、病弱さはかけらも見えなかった。

「不用意に使うなと言って置いたはずだ」
「だってぇ……」

月子と呼ばれた少女は、不満そうに頬を膨らませる。

「つまんないんだもん。ずっとこの屋敷にいなきゃいけないなんて……」
「影浦がいるだろう? それに他の魔宝たちも」
「いや! あたしは魔術師と遊びたいの!」

子供らしい我が儘ぶりに、彼もさすがに手を付けられない様子だった。

「……あ〜あ、つまんないなぁ」

さんざん文句を言った後、月子は突然神妙な顔つきで魔術師を見つめた。

「ねえ、魔術師」
「どうした?」
「……声が聞こえるの……」

はっとして、魔術師は月子の両肩を掴む。

「<奇跡>を求める声か?」

だが、彼女は俯いたまま答えない。

「月子……私は魔術師だ。<奇跡>を起こさなくてはならない。分かるな?」
「うん……うん、分かる」
「ならば、教えてくれ。<奇跡>を求める者の名を……そして、私を導いてくれ」
「……はい」

先程までの元気さは影を潜め、少女は魔術師の袖を握り締めることで悲しみに耐えているようだった。

「でも、魔術師……あたし思うの。魔術師がいくら頑張っても、無理よ。みんなみんな困ってるもん。苦しんでるもん……<奇跡>をそんなに続ければ、魔術師は……」
「大丈夫だ」

涙を必死に堪える月子を優しく抱き締めながら、彼は力強く言った。

「幾千幾万の悲しみも、わたしが<奇跡>で癒やしてみせる……たとえそれが無謀な行為だと嘲りを受けようとも。魔術師は<奇跡>を起こすためにいる

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