第5章:AWAKING!
〜進展・逆転・大失点〜
「――チェック・メイトだね……諸君」

慇懃無礼な台詞が空間を揺らめかせ、和泉達也――いや、『帽子屋』が姿を現した。彼の顔には勝利を確信した笑みがちらついている。
皆が身構えるなか、愛美が1歩前へ進み出た。

がちゃりっ。

「私1人が動いたくらいで、びくびくしないことね。見苦しいわよ!」

一喝。

『騎士』たちだけでなく、仲間たちさえたじろいだ。言葉そのものが荒っぽいわけでもないのに、誰もが愛美の迫力に呑まれていた。

「……さすがだね、江島さん」
「親しげに呼ばないでほしいわね、偽者のくせに」
「君たちはその偽者と1年間付き合ってきた。封じられていた本当の和泉達也の存在にも気づかずに、ね」

ねばり、としか表現できない笑い声が全員の背筋を走る。

 <よく言うにゃ。マナミたちに気づかれないように化けるくらい、お前ならできるはずにゃ! それを……!>

「……だが、見抜けなかったのは事実。そうだろう、生徒会メンバーの諸君?」
「ぬぅ……」
「はっ、だから何なんだよ。変装自慢なら、余所でやれっての」

押し黙る信吾とは逆に、龍之介は鼻先で笑い飛ばした。そのまま、髪を掻き上げてポーズを決める。

「ま、美しさ自慢なら俺様が一番だろーけど」

びしっ、ばしっ。

「……いってぇ〜〜〜〜」

愛美と『女王』による華麗な二連撃が龍之介の頭を前後に揺さぶった。恐ろしいほどに息が合っている。

「やるわね、『女王』」
「お主もな、江島愛美」

話題が逸れてるけど、まあいいか――霞は内心そう呟いた。今回だけは、時間稼ぎが必要なのだ。
もっとも、これまででどれだけ時間が稼げたのか分からないというのは、正直かなりのプレッシャーだ。それを表に出さないでいるのは、自分にはできないなと霞は思った。

――でも、あと少し。あと少しのはずだ……。

「――後半はともかく、前半は私も天草くんと同意見よ。あなたは優位に立っているかもしれない。でも、勝ったわけではないわ」
「自分たちの状況が分かっているのかい?さっきも言ったはずだ……チェック・メイトだと」
「チェック・メイトか……甘いな」

信吾がぼそりと呟く。

「もし本当にそう思っているなら――それが貴様の敗因だ」
「何だと!?」

一瞬だけ「和泉達也」の表情が剥がれ、『帽子屋』本来の顔が怒りの中に現れた。しかし信吾は一歩も引かず、あらん限りの大音声を放った。

「周りを取り囲んだ程度でいい気になるな! 手下を動かすだけの臆病者に、この鬼堂信吾が負けるものかっっ!!」
「ちっ、人間風情が!――やれっ、『騎士』どもよ!」

がちゃりっ!

『騎士』たちの武器が再び構え直され、信吾たちが身構えたその時。

非常灯の明かりが、激しく点滅する。そして正面左右、すべてのモニターに『緊急事態』の文字が表示される。当然だ。動力源を作動させたまま"ノア"を停止寸前に追い込んだのだから。

「――副動力源、緊急作動の承認を要請します。繰り返します――」

"ノア"が普段よりも冷静に告げる。それは自己のシステムを完全に停止させないために、あらかじめプログラムされたメッセージだからだろうか。

けれど、それは愛美たちにとっては勝利の女神の神託と同じ。

「紀家くん!」
「おっけーっ! "ノア"、主動力源及び全システム開放・承認!!!」
「了解」

ぶうぅぅぅぅぅんんんん…………。

本部内の停止していたシステムがすべて再起動を始める。警備システムも、各階の運営プログラムも。
そして、"ノア"が一時的に停止したことにより狂った動きをしていた時計も。
すべてが正常に作動する。

「現在、18時00分00秒――」
「馬鹿な!」

『帽子屋』の声から、完全に余裕が消え去った。
『白兎』が創った結界は時計を狂わせることで成立していた。どんな時計でも一度乱れてしまえば、元通りになる訳がない。時計に意志はないのだから。

しかし生徒会本部は違う。本部内の時計も"ノア"の管轄下にある。時間の異常は"ノア"が国際標準時を素早く参照し、直してしまうのだ。これがもし、時計部品そのものの異常や故障ならば、さすがのスーパー・コンピュータでも手出しはできなかった。

「チェック・メイトよ、『帽子屋』」

愛美の台詞は、まさに勝利の女神の一言のように響いた。

ぐおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ……!!!

生徒会メンバーを取り囲む『騎士』たちが、一斉に苦しみだした。今まで誤魔化していた時間のツケが、ここにきて彼らに苦痛となって返ってきたのだ。
無論、『帽子屋』や『チェシャ猫』、『女王』も例外ではない。

「くっ……まさか、彼らごと巻き添えにするとは……」
「巻き添え?失礼なことを言わないでほしいわね」

愛美が鼻で笑い飛ばした。
無謀な行動は取っても、仲間を犠牲になどしない。目的のために手段を選ばないなど、彼女の流儀ではない。
だから、対策も考えてある。

「『チェシャ猫』!」

 <分かってるにゃ……『女王』、ついてくるにゃ!>

言うと同時に、『チェシャ猫』が愛美の肩から『女王』の肩へ飛び移る。次の瞬間、1人と1匹の姿が揺らめき、消えていく。

『チェシャ猫』の能力、空間移動だ。結界の崩れたこの場では消耗が激しいだろうが、彼なら不可能ではない。

「くぅ……っ!」

がくりと、『帽子屋』の膝が折れた。彼にも空間移動の能力がある。しかし、計略を用いて暗躍してばかりいた彼は、<力>をかなり使っていた。ここで使えば、助かるどころか消滅してしまう。

その『帽子屋』より<力>の劣る『騎士』たちは、すでに次々と消え去り始めている。少しずつ姿が薄くなりだし、最後は恨めしい声と共に消えていく。
……ちょっと怖いかもしれない。

「――所詮は人形か」

もっとも、信吾は何ら感銘を受けないらしく、『騎士』たちにとどめの一撃を加えることで消滅のスピードを速めている。

「あ、俺もやる。さっきは死ぬほど走らされたからなー」

おまけに、龍之介まで加わる始末。

げしっ。ぐおおお……。
べしっ。ぎゃあぁぁ……。
つんっ。ぬおおぉぉぉ……。

「お、おもしれ〜」

すっかり気に入ったようである……しくしく(涙)。
まあ、童心に帰っている龍之介は放っておくとして。
シリアスな場面に戻ろう。

愛美と『帽子屋』は、睨み合ったまま動こうとしない。緊迫した空気が漂い、周りの雑音はまったく耳に入っていないようだ。
ちなみに霞は、この空気に耐えきれず脱落し、"ノア"の復旧に手を貸している。

「長期戦なら私の勝ちよ。いつまでも持ちこたえられないんでしょ、結界の外じゃ」

片膝をついている『帽子屋』に鋭い視線を投げ掛ける。体勢的に見下ろす感じになっているが、愛美は油断していない。
むしろ、その逆。

「どうするの?この場で決着をつける?それとも……?」
「――コザカシイマネヲ」

不気味なひび割れた声に、愛美は眉をひそめた。すでに和泉達也の、若者らしい声ではない。空気そのものを毒に変えていくような、枯れ果てた音。

「それがあなた自身の肉声というわけね」
「コノコエデ……ハナスノハ、ヒサシブリダ。コノコゾウノクチヲカリテイタカラナ」
「つまり、今は<力>が使えないほど消耗している」

愛美の挑発にも『帽子屋』は皮肉めいた笑みを浮かべるだけだ。

――どういうつもり?逃げない?それとも……罠?

判断がつかない。心理戦に手慣れている彼女の実力をもってしても、だ。
迷う愛美に、信吾が声をかけた。

「江島くん。そいつとあまり話さない方がいい。口だけは天草に負けないほど達者だからな」
「人を引き合いに出すなっての」

口を尖らせ、龍之介がやってくる。『トランプの騎士』潰しにも飽きたらしい。残る数も少ないことだし。

「けどまあ、確かに口は達者だよ、こいつは。『帽子屋』のくせに」
「……『不思議の国のアリス』では、言葉でアリスを混乱させる人物だったけど」
「あ、そうなの?」
「モノガタリナドトイッショニスルナヨ!!」

『帽子屋』が叫び、飛び上がった。空中で一回転し、そのまま留まる。

「くっ……卑怯な奴め」

信吾は頭上を睨みながら歯噛みした。『帽子屋』は巧妙に木刀の間合いから外れているのだ。しかも空中では手が出せない。

「『ありす』ハ、オレノモノダ。ダレニモジャマハサセン!」
「邪魔してるんじゃないわ。叩き潰すつもりなのよ」

きっぱりと言い切る愛美に、『帽子屋』の表情は歪む。もはや和泉達也の顔は消えていた。そこにいるのは、邪悪な存在でしかない。

「オノレエエエエッッ!!」

どこか悲鳴にも似た叫びを上げると、彼はシルクハットを手に取り、投げつけた。攻撃というには、あまりに遅いものではあったが。
シルクハットは緩やかな曲線を描きながら、信吾へ向かっている。

「この程度なら……」

正眼に構え、待ち受ける信吾。命中しても大した効果はないだろうが、念には念を入れている。妙な仕掛けがある可能性も捨てきれない。

「……?」

不意に、眉間がちりちりする感覚に襲われる。信吾は今までにもそれを何度か経験したことがあった。

――危険……なのか。あの帽子が……?

信吾は予知能力をもっている。幼い頃は夢や白昼夢などの形で、未来を見てしまうことがあった。彼が有子のように振り回されなかったのは、祖父であり剣の師でもある鬼堂厳信のお陰だろう。鬼神一刀流の厳しい修業が、信吾に強い意志を与えたのだ。
もっとも、逆に能力を封じてしまう形にもなり、あまり使いこなせていない。信吾自身、未来を盗み見するようなこの力を好んでいないせいもある。

だが、今はそれが役に立った――まあ、本人は剣士としての直感だと言うだろうが。

信吾は木刀で受けるのを止め、ぎりぎりのところで避ける。シルクハットに追尾能力はないらしく、彼の耳元の空気を凪いでいく。

ぶぅぅぅぅんっっ。

昆虫の羽音に似た音が信吾の耳を襲った。その瞬間に、彼は悟った。自分が感じた危険の正体に。

「いかん!!」

シルクハットは大きく旋回した後、次の標的を目指す。
すなわち、江島愛美の元へ。

「江島くん、避けろ!そいつは――」

信吾の叫びは届かない。いや、彼の声よりも速く、シルクハットが愛美を襲う。
愛美は――待ち構えている。扇子で叩き落とすつもりだ。彼女らしいと、こんな時でなかったら言えたかもしれない。

「駄目だ――!!」

ざしゅっっっっっ!!!!

「きゃあああああっっっ!!」

愛美の絶叫が、本部に悲しく響き渡る。
そして……どさりと身体の倒れる音が1つ、こだました。
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