第5章:AWAKING!
〜進展・逆転・大失点〜
叫んだと同時に、龍之介は横っ飛びに離れた。その瞬間、信吾の眼前には『トランプの騎士』が迫っていた。
龍之介がギリギリまで引き寄せたのだ。『騎士』と、信吾を。
普通なら、たじろいでもおかしくはない状況だ。

しかし。
あいにくと信吾は普通ではなかった。

「邪魔だあっ!」

彼の剣は構わず振るわれ――先頭の『騎士』を薙ぎ倒した。『騎士』は、ぴくりとも動かない。金属製の鎧も、衝撃そのものを防ぐことはできなかったのだ。
その凄まじさに『騎士』たちの進軍が止まった。

「――言ったはずだ」

信吾が打って変わって落ち着いた口調で語る。

「お前たちのような雑兵、天草と同時に相手できると」

正確には後半部分が「真っ二つにしてくれる」という台詞で、さらに『騎士』たちに向かって言ったものでもないのだが。
それでも、『トランプの騎士』たちに警戒心を抱かせるのには十分な一撃と一言だったらしい。
彼らの進軍が、ここで止まった。

「な……」

『女王』は驚きに目を見開く。

「なんと……これほどの使い手とは……」
「――今だ!」

龍之介は信吾の後ろに回り込み、叫んだ。

「鬼堂!」

同時に残りわずかな体力を振り絞り、走り始める。
振り返った信吾は突進してくる龍之介に一瞬驚きの表情を見せたものの、すぐに笑顔を見せた。龍之介の意図に気づいたのだ。
だが、敵も甘くはない。背中を向けている信吾へ向けて、剣を振り上げる!

「間に合えっ!」

龍之介の加速が、さらに増した。

「来い!」

横に低く構えられた木刀へ、龍之介は右足を乗せた。体重が右足一点に集中し、信吾の身体がぐっと沈み込んだ。

「折れる――!」

『女王』が半ば悲鳴に近い声を上げ、木刀もまたミシミシッと嫌な音を響かせる。彼女でなくても、顔色を変えるだろう。

しかし、彼らは違った。
ほんの一瞬、再び目を合わせた時に2人は笑っていた。

「――意外と気が利くじゃん、鬼堂も」
「口を閉じていろ。舌を噛むぞ」

ダンッッ!!

思いきりのいい踏み切りに合わせ、信吾は木刀を持ち上げる。
龍之介が跳躍した!
信吾はそのまま右足を一歩下げ、身体を思い切り右に捻った。結果的に、信吾は背後に迫る『騎士』と向き合っていた。

強引としか思えない身のこなしだ。実際、信吾の全身の筋肉は激しい悲鳴を上げるが、その痛みさえも信吾は飲み込む。

――この程度で、鬼堂信吾が怯むものか!!!!

そして、高々と差し上げられていた木刀が『騎士』たちの剣より早く振り降ろされる!

「鬼神一刀流・迅雷!」

一閃!

『騎士』の1人が、あっけないほど簡単に倒れた。
彼の家に伝わる鬼神一刀流は、剛剣で知られる一刀流の分派――その危険さゆえに歴史上には決して姿を現さなかった流派だ。
信吾は、その数少ない後継者の1人。生身の戦闘能力だけならば生徒会執行部にも引けを取らないと、生徒会長が手放しで言うほどなのである。

「……さっすが」

龍之介はそう呟くしかなかった。

――これでもう少し冷静になれば、ほとんど無敵なんだろーに。

まあ、クールな信吾なんて見たくないから、今のままで十分だと龍之介は思う。

「……どうでもいいが、龍之介。お前はいつまで妾に抱きついておるつもりじゃ?」
「決まってるだろ――永遠に離さないぜ、ハニー」

あえて視覚的な状況説明はしないが、とにかく『女王』に捕まったままの龍之介が次第に渋い顔になっていく。

『騎士』たちが信吾を囲み始めているのだ。彼は動き回り、囲みを崩すことで互角以上の勝負をしているが――このままでは負けが見えている。

「やっぱり1対52は無茶か」
「早く助けなくては!」
「俺としてはもう少し楽しんでいたいところなんだけどなあ」

ぺしっ。

まるで蝿を相手にしたように、『女王』は龍之介を叩き落とした。

「ふっ……照れるところがまたかわ」

いい、と続くはずだった台詞は『騎士』たちに飲み込まれ、消える。

……結構高さあるぞ、おい。

「まったく、妾が動かねばならんとは……役に立たぬ男どもじゃ」

優雅に羽扇を動かす美しい手が、ぴたりと止まった。視線にも鋭い光が宿る。

「鬼堂!伏せておれ!」
「くっ――またか」

不満そうに呟きながら、信吾は言う通りに従った。この点、蝿扱いの龍之介とは違う。再び彼の背に向けて『騎士』の剣が振り上げられた瞬間。

「吹き飛べ!」

『女王』の一喝が、嵐となった。荒れ狂う風は『騎士』たちから自由を奪い、さらに転倒させた。鎧を着込んだ彼らが倒されたのだ。瞬間的な風速はどれだけのものだったか、信吾には想像できなかったし、その余裕もなかった。

そして……。

「――ぷはっ」
「そこにおったか、鬼堂」

『女王』が骸のように倒れ伏す一体の『騎士』の上に舞い降りると、その隣から信吾が起き上がった。

「これだけの力があるなら、なぜ今まで――『女王』!?」

不満をぶつけようとしていた信吾は、『女王』の姿を間近に見て驚いた。
まるで幻のように、体そのものが薄く揺らめいている。

「……それは……」
「気にするな。休めばすぐに元通りになる」

珍しく気弱な笑みを『女王』は覗かせた。

「妾たちを生み出した『ありす』が自らの<力>を忘れている今、派手に<力>を使うとこうなる……大丈夫じゃ、死にはしない」
「しかし――」
「――ふふふ、僕のことを忘れてもらっては困るね」
「!?」

突然の声に、2人は硬直した。

――まさか、『帽子屋』?

2人の視線が、声のした方向へ注がれ――ぴしっと固まった。
そこには。

銀杏の木の枝に必死にぶら下がる、龍之介がいた。

「あはは……吹っ飛ばされて、ここまで来ちゃった。てへっ(音符)」
「てへって言うなーっ!!!」

信吾と『女王』の叫びが、その場にこだました。


「――全回線の内、85%をカット。警備システム、各施設運営プログラムを停止。残る15%を任意にカットします――」

"ノア"の声が響き渡る。その内容は、本来ならば認められないものばかりだった。しかし今は、"ノア"自身の手で行なわれている。
そして、もう1人。

「よし。次はS−2とY−10を除く全通路の隔壁を閉鎖してくれ」
「了解しました」

霞の命令も生徒会長の承認が必要な代物だ。愛美の指示通り、すべては着々と進行している。

「まったく、愛美さんもすごいことを考えるよなあ……」

感心していいのか、呆れていいのか分からないといった様子で、霞は頭を振る。

「会長がいなくて逆に良かったかもね」
「マスターがいないことも幸いしました」
「あ、確かに」

"ノア"の機能をほぼ完全に停止させることを、製作者である白河静音が許すとは思えない。無論、後で報告はしなくてはならないが――。

「!」

この時、嫌な想像が霞の頭を駆け巡った。

――まさか、"ノア"の機能を停止させた役って……ここにいる僕になるわけ!?

「……やられた」

愛美の作戦が奇抜だったせいで、責任問題などということはすっかり忘れ去っていた。おそらく彼女はその辺りも計算していただろうが……。

「あ〜あ、新年度早々から始末書の山か」

霞がぼやく間にも、本部内の各システムが停止させられていった。やがて"ノア"の報告が途切れがちになる。処理速度そのものも低下させているためだ。

することもなくなり、腕時計に目をやる霞。だが、彼の時計もすでに“結界”の影響を受け、混乱するばかりだ。
ふと気がつくと、汗がじっとり額に浮かんでいた。

「……正確な時間が分からなくなるだけで、こうだもんな……人間の感覚があてにならないってのは、ホントだなあ」
「1人で何をブツブツ言ってるのよ?」

言葉と同時に、後頭部へ鋭い一撃が入った。頭をさすりながら、霞は恐る恐る――いや、できるだけそう思われないように――振り返った。
そこにいるのは扇子を片手に佇む、サングラスの少女・江島愛美。
そして、彼女の肩に乗る『チェシャ猫』。

「はは……お帰り、愛美さん」
「ただいま」

にこりともせず、愛美は言葉を返した。彼女の視線と関心は、すでに"ノア"へ移っている。

「どう、進み具合は?」
「順調だよ。ただ、発信機のモニタリングもできなくなったから、鬼堂くんたちがどこまで来ているか分からないけど……」
「あの2人のことだから馬鹿はやっていても、きちんとやるべきことをやるはずよ」

う〜ん、図星。
さすが生徒会メンバーのまとめ役として、委員長管理委員長と(陰でこっそり)囁かれる愛美さんである。

「……我ながら恨めしくなるわ。こういう役回りだから、面倒事は私に任されるのよ」
「まあ、そう言わないで。おかげで僕らが100%暴れられるんだからさ」
「私は暴れ馬の手綱じゃないの。少しは自制して頂戴」

ぴしゃりと扇子を手に叩きつける愛美だが、その時浮かんだ笑みを霞は見逃さなかった。口ではどうこう言っても、彼女も面白がっているのかもしれない。

……ま、そうでもなきゃ、やってられんよなあ。

「――全回線、カットします」

"ノア"の最後の報告と共に「ううぅぅぅんん……」という小さな駆動音が、室内に重く響き渡り、そして消えた。
同時に室内が暗闇に包まれるが、すぐに非常灯の赤い光が周囲をまばらに染める。

「……こーゆー雰囲気、苦手なんだよね」

 <ボクも、ちょっと>

「情けない男どもね」

ちなみに愛美はこの状況でもサングラスを取らない。謎である。

「――来たわよ」

 <にゃ?>

愛美曰く情けない男コンビが耳を澄ませると、奥の出入口の方から確かに足音が迫ってきている。
その数は……。

「2人だけじゃない。例の『騎士』もほとんど一緒に来てる」
 <通路の狭さに救われてるみたいだにゃ>
「……設計者には伝えられない台詞よ、それ」

そして。

ドアを打ち破るように、信吾と龍之介と『女王』、さらに『トランプの騎士』たちが走り込んできた。

「んなっ!?」

霞が一瞬で目を回した。乱れた映像と実物ではまったく違う。52人の鎧騎士はウィルスのように部屋中へ広がり、少年少女たち(一部例外あり)を包囲した。

「……や、やあ……愛美ちゃん。君に会うために馳せ参じたぜ」
「あら、プレゼントは玩具の騎士? 少しの間にセンスが化石になったのね」
「天草を木から引きずり降ろすのに手間取ったせいで、また追いつかれてしまった……すまんな」
「引きずり降ろすって……何をやってたの?」
「何じゃ、お主ともあろう者が『ありす』を間違えたのか、『チェシャ猫』?」
 <ふんっ。『女王』こそ男を『ありす』と間違えるなんて、失礼にも程があるにゃ>

あのねー。
君たちはすでに包囲されてるんだってば。お父さんやお母さんが泣いてるぞっ。
……違うか。

だが、しかし。
彼らが再会を感動する時間は、長くは続かなかった。
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© 1997 Member of Taisyado.