第2章:FALLDOWN
〜2人は揃って、ため息をついた〜
さて、風紀委員長と清美委員長が漫才を繰り広げていた頃。
蒼明学園の各所で異変が起こっていた。
具体的に何が起こっているかを説明するには、視点を変えなくてはならない。

というわけで。
場面は高等部生徒会の本部へと移る。
決してあの2人の漫才に呆れたわけではない。念のため。

高等部生徒会は朱凰財閥の御曹司、朱凰克巳を生徒会長に据え、彼の下で活動している。その活躍ぶりは他の生徒会より一歩抜きんでていると言っていい。
無論、それだけ高等部では事件が起こりやすいという事実の裏返しでもあるわけだが。

「面白いから、いいんじゃないかな」

というお気楽な生徒会長の影響によるものか、事件は解決するが事件そのものを抑制するような方策が取られたことは一度としてない。
おかげで理事会からの注目度は最も高い生徒会になっている。

「信じられない」

いや、本当なんだって。

「学園のすべての時計が乱れるなんて」

……そう。

高等部生徒会の悪評――ではなく評判について説明している間にも、異常事態は刻一刻と進みつつあったのだ。
ちなみにフォローを入れたのは、少し長めの髪を縛っている飄々とした雰囲気の少年。
彼の名は、紀家霞。高等部生徒会メンバーの1人で、報道委員長をしている。
目の前のパソコンと格闘しながら、彼は少し大きな声で尋ねた。

「"ノア"、君は大丈夫なのかい?」
「――20分32秒前に何者かの介入を受けましたが、国際時を用いて修正しました。現在は問題ありません」

無機的な声がその場に響く。「彼」は高等部生徒会が誇るスーパー・コンピュータ"ノア"だ。執行部メンバーの1人、会計の白河静音が造り上げた「彼」は生徒会の活動を様々な面でサポートする。
地下7階に設置された生徒会本部のシステム制御も、"ノア"の役目だ。

「それにしても、どうしてこんなことが……」

霞は正面モニターに映し出された各所の光景を、困惑に彩られた瞳で見つめた。
どこの時計も狂いを生じている。
アナログの針は亀が兎へ変身したかのようにスピードを上げ、デジタルは止まらないストップウォッチと化していた。
周囲にいる生徒たちの時計もおかしくなっているらしく、混乱した様子が分かる。

「被害は?」
「直接的なものはまだ起きていません。ですが、リニアの運行はすでに一時停止しています――マスターからの指示が送られた模様」
「静音ちゃんの? さすがに早いね」

学園内を縦横に走り続けるリニアは、学園関係者たちにとって重要な移動手段である。それが停止したのだから、さらに混乱が広がる可能性はあった。もっとも、このまま運行していたら間違いなく事故になる。
白河静音の判断は、正しいはずだ(やや強権を振るってしまったが)。

だが。
リニアの設計も担当した彼女は、自分の作成した機械に対して過剰なまでの愛着をもっている。この素早い対応も、可愛いリニアを傷つけられたくないからだろう。
思わず、苦笑いを浮かべる。

その時だった。

ピッという電子音と共に自動ドアが開き、2人の男子生徒が現れた。
前を歩くのは朱凰克巳。容姿端麗、頭脳明晰の高等部生徒会長である。欠点といえば、学園の地下に秘密基地同然の生徒会室を作ったりするなどの趣味に走った茶目っ気と、事件をついつい楽しんでしまうトラブル好きな点だけだろうか。
既にそれだけで生徒会メンバーを引きずり回しているのだけれど。

彼の後ろには、副会長の氏家武斗が控えている。優秀かつ問題児な会長のお目付け役だが、おそらく1番振り回されている少年だ。「神社の跡取り息子だけど、疫病神だけは追い払えないみたいだな」とは龍之介のコメントである。

「どうだい、様子は?」

尋ねてくる生徒会長に、霞は振り返りながら肩をすくめた。

「原因はさっぱり分からないよ。只事じゃないのは確かだけど」
「場所が広範囲すぎる――もっと早く手を打てなかったのか?」
「無理だよ」

副会長にそっけない返事をして、キーボードに指を走らせる。すると、右側のモニター映像が切り替わった。
蒼明学園の全景図だ。

「時計が乱れ始めたのは今から30分前……くらいかな」
「正確には31分54秒前です」

"ノア"の冷静――まあ、コンピュータだから当然だが――な指摘に、霞は一瞬むくれた表情を見せる。が、すぐに立ち直ったらしく"ノア"に告げた。

「始めてくれよ、優秀な箱船さん」

立ち直ったが、怒りは消えていないようだ。克巳と武斗が顔を見合わせて、忍び笑いを洩らす。
しかし、その笑みも"ノア"が示したものによって驚きに変わってしまった。
最初は赤い小さな光点が1つ2つ地図に表示されていただけだった。それが信じられないスピードで広がり、関連性のない場所であちこちと増え始めたのだ。これはまさに。

「病原菌も顔負けだな」

武斗くん、人の説明を取らないでよ。

「対策がないなら、原因を排除するしかない……」
「少なくとも単なる故障じゃないことは明らかだね。僕らと同類なんじゃないの?」
「あっさり言うなよ」

予想されうる最悪のケースを至極当然のように言う霞に、武斗は顔をしかめた。彼も事件が起こるのを本心から嫌っているのではない。危険の中で味わうスリルや事件を解決した時の喜びは、そうそう味わえないものだ。
ただ、時期が悪すぎる。

「それに、たとえそうだとしても、時計を狂わせて何の得が――」

そう言いかけて、武斗は気づいた。隣にいる生徒会長が黙ったままであることに。

ぞくぞくっ。

悪霊と対峙した時以上の悪寒が走る。嫌な予感、などという可愛いものではない。副会長になってから、どれだけこの感覚に馴れ親しんだことか。

「……おい――」
「愛美ちゃんは、いないのかな?」
「ん?」
「和泉くんのことをどうするか、話し合いたかったんだけど」

何だ、気のせいか――心の底から安堵し、武斗は大きなため息をついた。彼も失踪した図書委員長を心配している……一瞬だけ忘れていたけれど。
何より人探しは簡単だが、動きだした生徒会長を止めるのは不可能に近い。

「愛美ちゃんの現在位置を教えてくれないか」

そんな武斗の様子に気づいていないのか、克巳は"ノア"に指示を出した。

「会長?」

不審げに尋ねてくる霞を手で制する。普段なかなか見せることのない、怜悧と呼ぶに相応しい眼差し――朱凰克巳の隠された一面だ。

「どうした、"ノア"」

本来なら数秒で返ってくるはずの答えがない。その沈黙は何かを処理している時とは別のもの――人間で言うところの「困惑」。
"ノア"が、戸惑っている。

「――江島委員長は、消失しました」
「消失?!」

武斗と霞の声が重なった。

「はい――ご覧ください」

正面モニターが、委員会室の映像を映し出した。そこでは愛美や選挙管理委員たちが会話をしている。

「今から42分08秒前の映像です」

説明が入った後、少し早送りされる。委員たちが出ていった後も、彼女は書類に目を通している。
あの情報だな、霞は心の中で呟く。

「問題の部分がこれです――10、9、8、7――」

3人は黙ってカウントダウンを待った。

そして。

「4、3、2、1――ゼロ。消失開始」

"ノア"の言葉と同時に、愛美の姿が消えた。彼女にだけ修正液を使ったかのように、一瞬で消えていた。
まさに――。

「消失だね……信じられないけど」

……今度は霞か。

「以後、江島委員長の行方はつかめておりません」
「発信機は?」

生徒会メンバーは全員、役員バッジを身に着けている。これは発信機の役割を果たしており、"ノア"は常に彼らの居場所を探知しているのだ。

「正常に作動しています。しかし」

さらに映像が替わり、今度は蒼明学園のCGによる全景図が現れた。その中を赤い光点が1つ、蚤か兎のようにぴょんぴょん跳ね回っている。

「まさか、これが……?」
「江島委員長の信号に間違いありません」
「自分勝手に動き回るのは、彼女らしい――おっと」

武斗は自分の失言に頭を掻いた。

「とにかく、時計騒ぎも2人の捜索もしないとな」
「そうだね。このままじゃあ、愛美ちゃんに武斗の一言を伝えられないし」
「あのな」

小突こうとした武斗の手を避け、克巳はにっこりと微笑んだ。

「紀家くん。風紀、清美の両委員長を江島委員長の捜索に向かわせてほしい」
「了解」
「さあ、武斗。僕らは時計騒ぎの方を鎮めよう――今度もなかなか楽しめそうだ」

ぞくぞくぞくっっ。

出入口へ向かう生徒会長には、どことなく遊び場へ行く子供と似た雰囲気があった。

「……やっぱり当たったか」

がっくりと肩を落としながら、苦労性の副会長は後を追って走りだした。

生徒会の法則その1。
悪い予感は当たるものだ――特に事件が起こっている時なら、なおさら。
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