☆刀悟さんの呟き☆
第二章 酒飲めば ふと思い出す 出会いかな

……雨が、降っていた。
俺はその中に立ち尽くし、濡れるがままに任せていた。焼けつくような痛みを 消したいがために。

「……な、ぜ……」

弱々しい声は俺のすぐ傍で倒れている女のものだ。彼女の身体から溢れる血は地面を赤く染め、そして雨に消えていく。
同時に、その命も消えつつあった。

「ど……どうし、て……とう……」
「俺は主の剣だ。そして俺の使命は主を護ること……」

自分でも嘘だと分かる言葉を、俺は呟いた。しかし女にはもう聞こえていないかもしれなかった。

「護る、か……」

護るべきものは、すでにない――分かっていても、俺はそう言い続ける。そうだ。俺は、剣なのだから……。
雨が、降っていた。
背後から駈けてくる足音に、俺はゆっくりと振り返った……。

「――刀悟! 起きんか!」
「……宴楽……」

顔を上げると、そこには見慣れた老人の顔があった。酒勾宴楽斎――酒に対する想いから生まれた妖酒老という妖怪だ。

「珍しいのう。お前さんが寝入るなど」
「少し、夢を見ていた……お清の夢を」
「刀悟……」

宴楽斎はかすかに顔をしかめ、俺の肩に乗せていた手に力を込める。だが数瞬で俺から手を離した。

「気に病むな……あれは仕方のない出来事じゃった……」

――なぜ、殺した!
――儂さえ……儂さえ、お清を……

過去と現在の言葉が重なり合い、混じり合う。忘れようとしていた痛みを目覚めさせながら。
それはきっと宴楽斎も同じはずだ。彼もあの娘――お清を護ろうとし、果たせなかったのだから……。

「……あの頃は夢にも似ておったな……人を知らずに、人を護ろうとしておった。今にして思えば随分と無茶なことだったが……」
「今でも俺には分からない……人の心か」
「だから言うておるじゃろ。少しは外に出て、儂の店にでもくれば……」
「遠慮する。堕落したくはないからな」
「ほっほ♪ だいぶ普段通りのお前さんになってきたな。やはり、そうでないとのう」

好々爺の笑みを見せた宴楽斎は俺の隣に座り、いそいそと腰に下げている瓢箪を手に取った。それを頬擦りしたまま、俺に目を向ける。

「――刀悟」
「……なんだ?」
「気が利かん奴じゃのう。杯じゃよ、杯!」

すでに酔ったような目つきと口調に、俺はため息をついた。つかみ所の無さでは、影宮でもその筆頭に挙げられるだろう。
もっとも、酒を飲むことには異論がなかった。酔い程度で晴らせる思い出ではないが、今日は語り合える者がいる。

「そうだな……」

俺は立ち上がり、社の戸を開ける。

「それもいいかもしれん……お清も酒が好きだったからな」

俺には見えていた。剣の化身である俺は周囲で起こるすべてを察知できる。
だから、見えた――宴楽斎の目から流れた、涙が。

……どれほどの時が流れても、過去は消えない。それが悲しみに包まれたものなら、尚更……。

俺たちはそれを糧にできたのだろうか? 今でもまだ人間たちの心の不思議さには戸惑うことが多い。限りなく脆く醜いようでいて、反面、信じられないほどの強さや美しさを見せる。

ただ、仲間たちとの出会いは無駄ではなかったはずだ。彼らがいなかったら、俺は何の目的すら見出せずに、人を護ろうとしていただろうから……。

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