〜 エピローグ 〜

夜。
蒼明学園の主役である子供たちが眠りにつき、静寂がこの学園都市を覆った頃。
中条務は夜道を歩いていた。
目的も無く、ただ黙々と歩き続ける。そんな彼の脳裏に浮かぶのは、一人の女性の面影。

「わかってたわ。先輩は、いつも頼りになる存在だった。でも、それはコピ研に頼りになるものが自分しかいないということ」

彼女の声が響く。どこまでも強く、澄んだ瞳を思い出す。

「先輩だって、誰かに頼りたかった。だから……」

頼りたかったのだろうか。
出るはずのない問いをまた繰り返す。同じことの繰り返し。務は一度、間違えたことをまた繰り返しそうになる。

寂しかったのは、君じゃないのか?

そう問い掛けてしまいそうになる。馬鹿だ、と自分自身を嘲笑した。
最初からいらなかったのだ。自分の助けなど。あの時、海辺で会った時と同じように、彼女は一人きりで──そして一人で進んでいける。
少なくとも生徒会メンバーがいる以上、務に相応しい場所などない。

「先輩は、私を、わたしを……」

今でも悔しさは晴れない。
何故、こんなにも無力なのか……務はそれだけが許せなかった。
他のことを全て犠牲にしてでも、手に入れたかった想いがあった。結局、最も望んだ結末は得られず、務の周囲は何も変わらない。
何一つ、変わっていない。

「愛してる、つもりに、なってた」

残酷なことを言う人だ、と務は思う。
愛情は所詮、幻のようなものだと務は知っている。幼い頃から。
互いの想いが通じていると、そう錯覚できるからこそ生まれる幸福な夢を、務はほとんど見ることが出来なかった。
だから、求めていた。想いを寄せ合える、たった一人を。

しかし彼女は、それさえも幻想だと告げた。
どこまでも強く、澄んだ瞳のままで。

「…………」

風が、吹いた。
その中に懐かしい匂いを感じ取り、務はいつの間にか俯き加減になっていた顔を上げた。

「……海、か」

空の闇を吸いつくしたような海が、務の眼前に広がっていた。
思い出の中の海とはまるで違う姿に、何ともいえない寂しさを感じてしまう。
違っていて当然なのに。

波が、ざわめきながら砂浜を滑っていく。

「……何の用かな?」

務は振り向きもせず、背後へと声を掛けた。
気配が、すっと動く。

「用がないなら、話しかけないでくれ。僕は邪魔されるのが嫌いなんだ」
「邪魔といっても……何もしていないようだが?」
「考えてるんだ」

そう言いながら、務は思わず心の中で苦笑していた。

(まったく、下手なやり方だよ……)

「何をだ?」
「これからのことを」

そして務はようやく振り返って、気配の主を見つめた。
魔術師を。

「……なんで知ってる?」
「記憶操作した際に、お前の今回の"改新"に至る経緯を調べた」

何でもないことのように、魔術師は話す。

「中条務、お前が望むものは決して手に入らない。たとえ“世界律”を"改新"しようとしても不可能だ」
「……"裏生徒会"にまんまと騙された、ってことか」
「違う。お前は求めるものを間違っていた」

漆黒のマントが翻り、裏地の真紅が務の視覚を──そして心のどこかを刺激する。

「……何が言いたいんだ?」
「知りたいか?」
「……正直、もうどうでもいいような気もしていたんだ」

その時だけ、務の表情はひどく幼く、弱々しい陰りを覗かせていた。
だがすぐに普段通りの表情に戻ると、苦笑いを浮かべた。

「でも、駄目なんだ。僕は彼女が好きで……それだけは誤魔化せない」

例え想いが届かないとしても。
それでも、胸の内に宿る気持ちを消すことは出来なかった。

「だから僕は……」

務は真っ直ぐに魔術師を見つめ、はっきりと言った。

「僕は<奇跡>を起こして……彼女を助けたい」

直接手を差し伸べられなくても、言葉で励ますことができなくてもいい。
務は、一歩を踏み出したいのだ。
幼い頃には近づけなかった、ほんの数歩の距離を縮めるために。

「よかろう」

魔術師は微かに口元を吊り上げる。

「だが、お前が果たすのは<奇跡>ではない」
「……?」
「戦いだ──"裏生徒会"とのな」

そう告げる魔術師の背後に、この闇でも消えることのない白い霧が発生する。
二十二の<魔宝>の一つ、<塔>への門。
非現実への入り口。

「さあ、来るといい。お前に相応しい<魔宝>を託そう」

務は決然とした面持ちで頷くと、ゆっくりと一歩を踏み出した。

(きっと君は、また怒るかもしれないな……)

そして。
霧が消え去った頃には、もはや誰の姿も無かった。

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