〜 エピローグ 〜

君島正は1人、剣道場にいた。

ひゅんっ!

竹刀の、空気を切り裂く音だけが響く。何度も、何度も振り続ける。

「――頑張っているな、君島」
「先輩……」

静寂の場を汚すことなく現れたのは、鬼堂信吾だった。彼も既に道着に着替え、竹刀を手にしている。
さすがだな、と正は内心舌を巻いた。集中していたとはいえ、まるで気配に気がつかなかった。

「……調子はどうだ?」
「大丈夫です。ご心配をおかけして、本当にすいません」
「し、心配なんてしておらんぞ」

照れ臭そうな表情で鬼堂が言い訳めいた台詞を口にする。

「お前が……そう簡単に参るわけがないからな」
「あ、あのっ、先輩!」
「何だ?」
「もう1度……もう1度、僕と勝負してくれませんか?」

しーん……。
道場内が、奇妙なほど静まり返った。

「あ、あのぅ……」

急にむっつりと黙り込んだ信吾を見て、正は恐る恐る尋ねた。風紀委員会でも剣道部でも、彼が怒った時の恐ろしさは身に染みて分かっているから、条件反射的に怖がってしまう。
ところが、正の予期していた道場を震わすかのような大音声は、いつまでたっても発せられなかった。逆に、ため息を1つ。

「君島……俺にこの格好で何をしろという気だ?」
「あ……はいっ!!」

互いに礼をした後、2人は共に正眼の構えに入る。

「それに――」

信吾が少し苦笑しながら呟いた。

「正直、俺もお前と仕合いたいと思っていた」
「……“聖戦士”の僕とですか?」
「大馬鹿者っ」

ぱあんっ!!

一喝と共に、鋭い一撃が正の脳天を襲った。
くらくらとする視界を押さえながら、正は信吾の方を見た。

「確かに超常的な作用に関しては、奴らの助力があったはず……だが、あの剣の腕はお前のものだ。直接戦った俺がそう感じたのだから、間違いない」
「先輩……」

この人は、僕のことをどう思ったのだろう?裏切るような行為をしてしまった僕を。
結局、お咎めなしということにはなったけれど……。
正は罰が怖いわけではない。しかし信吾に軽蔑されることの方が、もっとつらい。

「先輩は……怒ってないんですか?」
「怒っているに決まっておるだろうがっ!!!」
「うひいいいっっ」

いきなり不機嫌になった信吾から逃げるように頭を抱え、しゃがみ込む。

「まったく……その気の弱さはどうにかならんのか」

こんな風になるのは先輩を相手にした時だけです――とは、さすがに言えない。それが言えたら、“聖戦士”にもなっていなかったと思うのは気のせいだろうか。

「しかし、まあ……」

信吾はそこまで言って、ぷいと横を向く。

「これだけは忘れるな――お前は俺が鍛えた、自慢の後輩だ」
「…………!!」

胸に熱いものが込み上げてきて、正はその場に立ち尽くしていた。同時に、乗り越えるのは大変そうだなあ、とも。
そう。彼はまだ諦めていない。
1度は間違えてしまったけれど、今度は――。

「何をしている! さっさと構えろ!」
「はいっっ!!!」

そして、正は尊敬する者の元へと駆け寄っていった。

「――"裏生徒会"の狙いが変わった」

魔術師が普段と変わらぬ冷めた口調で、そう切り出した。英国風の椅子に座り、口元の前で両手を組み合わせている。
その彼の正面に立っているのが、魔術師の執事役を務める老人、影浦。いつもなら穏やかな笑みが浮かんでいる彫りの深い顔も、今は厳しさに包まれている。

「生徒会メンバーに対象を絞り、彼らの関係者を"改新"に巻き込もうとしている。今までの3件とは明らかに違うな」
「"改新"を行うと同時に、妨害者である彼らを始末しようということですか……」
「たいしたことではない。むしろ問題なのはその先だ」

言葉を切り、魔術師は目を閉じる。

「“帝”は己の"改新"のための時間を稼ぐつもりだろう……小賢しい手だが」
「坊ちゃまは、秀一様の"改新"の内容をご存知なのですか?」

"裏生徒会"の首領・“帝”。その正体は、御門秀一という少年だ。彼は驚異的なカリスマ性で中等部のみならず、高等部にまで影響を与えている。
だが魔術師と影浦にとっては、それ以上の絆を持つ人物なのだ。

「あいつが何を企もうとも、私には関係ない。叩き潰すだけのことだ」
「それは――秀一様を止めるということですな?」

影浦の問いに魔術師は答えない。

「坊ちゃま……」

言いようのない不安を覚え、影浦は眉をひそめた。魔宝とはいえ、様々な役目をこなさなければならないために、彼の感情回路は他の魔宝より発達している。他人の微妙な感情の綾も読み取れるのだ。
その時だった。
がちゃりと扉が開き、1人の女性が入ってきた。長い黒髪を束ね、この部屋の内装にそぐわない道着を着ている。凛とした雰囲気が、彼女の内なる強さを感じさせた。

「……<正義>か。鬼堂信吾の元を離れていいのか?」
「信吾様は君島正さんのところへ向かわれました。おそらく、励ましに行ったものかと」

女――22の魔宝の1つ、<正義>はそう言うと、口元に笑みを浮かべた。

「優しい方です……厳信様に似て」
「ご老体は優しいだけの人物ではなかったがな」

珍しく魔術師が、揚げ足を取るような物言いをする。影浦は思わず苦笑してしまうが、彼の笑みは口髭に隠れて見えない。
しかし、魔術師はその忍び笑いに鋭敏に気づき、じろりと影浦を睨んだ。

「……まあ、いい。その様子なら、鬼堂信吾とは高い同調率を示しそうだ」
「ええ。信吾様なら、私を<覚醒>させられるでしょう」

<正義>は常に冷静沈着、よほどの確証がない限りいい加減な物言いを避ける女性だ。その彼女をして、ここまで言わせるとは――魔術師は満足そうに頷く。

「いいだろう。ならば、鬼堂信吾はお前に任せる。せいぜいこき使え」
「……あなたはいつもそうなのですね、魔術師」

わずかに瞳の輝きを鋭くし、<正義>が言った。
「だから、あなたには<覚醒>を起こせなかった――違いますか?」
「<正義>、失礼ですぞ」

影浦がたしなめるが、<正義>の挑みかかるような視線は消えなかった。彼女は戦闘用の魔宝だ。好戦的というわけではないが、常に戦いに身を置く者としての性質が色濃く現れているのだ。
しかし。

「――続けろ」

魔術師はその視線を真正面から受け止めてみせた。

「では、言わせてもらいます。私との同調率では、あなたより厳信様の方が明らかに上です。そうなると最悪の場合……」
「お前は私を裏切るというのか」
「……はい」

唇を強く噛みしめる<正義>。その事実に最も深く傷ついているのは、実は彼女だ。本当の主である魔術師を裏切る――魔宝にとって、あってはならない禁忌なのだから。

「おそらく、信吾様とも……私は……」
「構わん。好きにしろ」

ひどくそっけなく、魔術師は告げた。

「確かに私には<覚醒>は起こせない。世界から外れた者が、世界に強い影響を与えるような行動はできんからな。しかし、だからこそ生徒会メンバーが役に立つ」
「彼らにご自分の代理をさせるわけですか……<覚醒>を起こすには多くの経験が必要となりますからな」
「そういうことだ。それに、“聖戦士”との戦闘中における鬼堂信吾のデータを取っていて分かったことがある」

魔術師の背後にある窓が外の風景ではなく様々な数値の羅列を映し出すと、影浦と<正義>は大きく息を呑んだ。

「これは……!」
「魔宝との接触が潜在能力を引き出している――22年前からの実験と同じ傾向だ」

凄みのある笑みを漂わせた魔術師が、肩をすくめてみせる。

「歴史は繰り返す、というわけだ……私が諦めない限り、永遠に」

もっとも、それが幸福とは言えないがな――皮肉げな想いを抱きつつ、魔術師は1人の少女の面影を脳裏に浮かべていた。

――さて、お前はどうする……江島愛美。

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