宴にて
瀬戸内海沖ポートアイランド上に築かれた学園都市「蒼明学園」。
その広大な敷地は大きく東西南北の四つの地区に分けられる。
そのうちの、主に東地区で騒ぎは起きていた。

ここには、幼等部を始めとして初等部、中等部、高等部、大学部の建物が一同に会している。
その全ての敷地内で日々の賑わいに輪をかけた大騒動がそこここで勃発しているのだった。
それらは確実に混乱を巻き起こしてはいたが、悲しみや怒りといったマイナスの感情とはまったく無縁の騒ぎだ。

それもその筈。

今日は蒼明学園全学部全学科をあげて行われる学園祭「蒼明祭」の初日なのである。

本祭は一週間だが、前夜祭、前前夜祭など興が乗りさえすれば一ヶ月はぶっ通しで行われるこの「蒼明最大のフェスタ」は、行事の宝庫であるこの学園で最も盛り上がる行事(の一つ)だ。
広大な敷地内のあちこちで行われる催し物の全てを期間中にまわりきることはとてもではないが不可能である。

統計によれば、蒼明祭の期間中人口百万弱のこの学園都市の人口は5倍に膨れ上がるそうだ。
その経済波及効果も莫大な額にのぼると言われており、その収益は全て学園運営資金に使われている。
だが、そういった事を気にするのはテレビ画面の前でしたり顔で駄弁を振るう経済評論家くらいのものだ。

何せ期間中、もちろん東地区に限らずどこに顔を出しても遜色ないほどハイレベルなイベント、パレードが目白押しなのだ。
実際に足を運んでこの雰囲気を味わったものならば、そんな陳腐な計算など何の意味も無いことに気付く事だろう。

蒼明学園に通う生徒は希有な才能に恵まれたものが少なくない。
と、言うよりそういった生徒が集いやすい環境を提供することも、この学園の方針の一つなのだ。

そして、この時期それらの生徒が自らの才能の全てをエンターテイメントに費やすのである。

そこには普通の学校の学園祭に時折見かける役目済まし的なモノなど存在する余地すらない。
その全てが一流と呼べるパフォーマンスを備えており、芸術性においても娯楽性においても下手なアミューズメントパークより余程レベルが高いとの評判だった。

中でも、高等部は生徒会長の派手な外見と性格があいまって一般の来客に最も人気が高い。

その高等部はと言えば、ご他聞に漏れず一番の賑わいを見せているようである。

それは運営を取り仕切る生徒会役員の苦労の賜物なのだが、皮肉にもこの時期が彼らにもたらすのは観客の賛美の嬌声や拍手と双生児の関係にあるらしい、殺人的な忙しさなのであった。



「まったく、そろいも揃って軟弱な格好をしおって」

学園祭の浮かれた雰囲気に一人取り残されたように不機嫌な表情の青年が

「蒼明祭高等部警備詰め所」

と書かれたテントの下で椅子に腰掛けていた。

短く刈り込まれた黒髪と精悍な顔付きが印象的な青年である。

彼の視線は、眼前を通り過ぎる一般客に注がれていた。
その表情がピアスや茶髪を目にするたびに険しいものになっていく。

高等部風紀委員長、鬼堂信吾は苛々と手にした木刀を握り締めた。

できれば怒鳴りちらしたい所だが、一般客相手にそういうわけにもいかない。

もしかしたら風紀委員長=警備の責任者という短絡な思考でこの役を決めた副会長あたりに腹を立てているのかもしれない。

「あの、鬼堂さん・・・・・・」

と、不意にか細い声がかけられた。

声のした方を向いた風紀委員長は、みるみる赤くなる自分の顔色を意識できたかどうか。

そこには、彼の最愛の女性が立っていた。

ある事件で知り合ったその女性は、鬼堂の励ましもあって患っていた病気から奇跡的に回復し、それ以来付合いが続いている。

彼の真っ赤になった顔を見て、周囲の風紀委員たちがくすくす忍び笑いを漏らす。

「何がおかしい!!」

そう怒鳴りつけて鬼堂は不機嫌そうに席を蹴った。

びくっと反応する委員たちにさりげなく(と、彼は思っている口調で)

「少々、辺りをパトロールしてくる」

と言い置いて、彼は足早にテントを後にした。

その後を、慌てて少女―――名前を紫典美咲と言う―――が追いかける。
委員長の後ろ姿を見送る委員たちの表情は、大部分の微笑ましさと少しの羨望に包まれていた。



「次、舞台中央スポットね!」

横合いから鋭い声がかかる。

「へいへい」

応える声はお世辞にも真剣とは言えないものだ。

茶髪にピアス、ロザリオのチョーカーというおよそ裏方に似つかわしくない格好をした青年は面白くも無さそうに指示にしたがった。

「次、ライト落として!」
「へいへい」

変わらず無気力に答えて彼、高等部生徒会整美委員長天草龍之介はライトを操る。

高等部演劇部による舞台はそろそろクライマックスを迎えようとしていた。
観客たちも固唾を飲んでステージを見守っている。

「あーぁ、この場面にぴったりのメタリックな曲があるのに」

ちなみに舞台は歌劇「アイーダ」であり、ヘヴィメタリックな曲がぴったりあいそうな雰囲気はこれっぽっちもない。

演劇部に所属し音響担当の彼が照明係にまわされているわけが、ここにあった。

蒼明祭のステージにはプロのスカウトやオペラ歌手もたくさん押しかけてくる。
他の部員にしてみれば、この舞台だけは龍之介の好みで舞台の雰囲気を壊させるわけにはいかないのだ。
当然、龍之介にしてみれば面白くない。

「タッチ、交代」

手招きして呼び寄せた一年生に照明を任せ、彼は熱くて暗いステージ裏を後にした。

スタッフオンリーの楽屋裏を抜けてオペラハウスの外に出たあたりで観客の熱狂的な拍手と歓声が聞こえてくる。
どうやら、今年も舞台は大成功だったらしい。

それを確認して、自他共に認めるプレイボーイである彼は人の集まる校舎目指して歩き出した。

ちなみに、個人的に「仲良く」なった一般客の女性と肩を組んで歩いているところを、紫典美咲嬢を送ってきた帰りの風紀委員長に見つかって追いかけ回されることになるのは、これから30分後のことである。



「はいはいはい、ちょっと待っててね〜。あれ〜、消毒液はどこだったっけ、ゆかりちゃーん?」
「その棚の三番目ですよ」
「あ、そうだったわね〜。あ、あ、あ〜・・・・・・」

呑気に伸ばされた語尾に重なるガラスの割れる音に、高等部保健委員長都筑ゆかりは思わずこめかみにほっそりとした人差し指を当てた。

きちんとした医師免許を持っているはずの優秀な校医が何故かしら仕事を増やしている気がするのは気のせいだろうか。

だが、そんな心中を口に出すこと無く、彼女は膝を擦り剥いた子供に消毒と手当てを済ませて優しくほほえみ、頭を撫ででやる。

「もう、慌てて転んだりしたら駄目だよ」
「うん!」

そう言って元気に保健室を出て行く少年の後ろ姿を見送って、ゆかりは軽く息を吐き出した。
それに伴って自慢の黒髪のポニーテイルが揺れる。

やはり、学園祭の間は一般客が増えるぶん仕事も増える。
だが、優しい彼女はそのこと自体は別に苦にした様子はない。

心配なのはむしろ、はしゃぎすぎることで怪我人が増える事なのだ。

プシュウ・・・・・・。

軽い音を立てて、ドアが開いた。
また、来客のようだ。
そこに、彼女はよく見知った相手を認めて少しだけ、驚いた顔を見せた。

「ゆかりせんぱ〜い、指を切っちゃいました〜」

大きな瞳に涙をいっぱい溜めて立っているのは、同じく高等部生徒会で一年生ながら図書委員長を務める、永沢有子だった。

「有ちゃん、そんなとこに立ってないで、こっち来てみせて」

ゆかりの声におかっぱ頭をした少女がとてとてと走り出して・・・・・・何も無いところで不意につまずく。

「あ、あ、あ、あ〜」

少しだけ、既視感。

ゆかりはついさっきも聞いたような悲鳴に、今度はしっかりと動いた。
転びそうになる有子を支えてやる。

「あ〜、ゆかりちゃんずるい、有ちゃんの時ばっかり」
「すみません、ゆかりセンパイ〜」

非難がましい先生の声を黙殺し、有子に優しく微笑むと、ゆかりは彼女の指をみた。
まるっこい指先に赤い血液の筋が浮いている。
だが、大騒ぎするほどの傷では無かった。

「どうしたの、この傷」

消毒を済ませ、包帯を巻いて応急処置をする間に尋ねたゆかりに、有子ははにかみながら口を開いた。

「あの、うちの部で来て下さった方に振舞うお料理を作ってるんですけど、かぼちゃがあんまり固くって、力を入れすぎちゃったんですぅ」

恥かしそうに話す有子の顔を見ながら、ゆかりはこれだけの傷ですんだのは幸いだと安堵の息を漏らした。

固いものを切る時のほうが力が入るぶん、怪我した時の症状は往々にしてひどくなる。

この、愛すべき後輩が大怪我をしなくて本当に良かったと心から思った。

「すみません、忙しいのにお騒がせしちゃって〜」
「良いのよ〜、有ちゃんみたいな可愛い子ならいつでも大歓迎だわ」

頭を下げる有子に、何故か校医―――生徒からはさちこ先生と呼ばれて結構人気は高い―――が得意げな顔で応える。
二人の会話のテンポは姉妹といっても通用するほどよく合っている。

「じゃ、お邪魔しました」
「あ、ゆかりちゃん、有ちゃんを送ってらっしゃいよ〜。ここは、私一人でも何とかなるから。せっかくの学園祭だもの、こんな所に閉じこもってちゃもったいないわ〜」
「でも・・・・・・」
「良いから良いから。それとも、そんなに私が信用できないの〜?」

はっきり言えばそうなのだが、元来心根の優しいゆかりは思わず口に出そうになった言葉を飲み込んだ。

「じゃ、お言葉に甘えて少しだけ行ってきます。いこっか、有ちゃん」
「あ、はい!行きましょう、センパイ!!」

見送る校医ののほほんとした顔を見て、ゆかりは内心ため息をついた。

(できるだけ、早く戻ってこようっと)



「ふぅ、やっと本祭までこぎつけたね〜」
「やっと、肩の荷が下りたよ」

校舎の地下に建設された生徒会本部。

二人の青年が椅子に座っていささか若さに欠ける会話を交わしている。
いや、一人はへたり込んでいると言った方が正しいかもしれない。
憔悴しきった表情で、眼鏡をかけた青年は机に突っ伏した。
高等部生徒会催事実行委員長、佑苑 若杜その人である。

蒼明学園において最も忙しい人物はもしかしたら彼かもしれない。

学園の催し物の計画から運営管理まで全てを取り仕切る催事実行委員会は、毎年蒼明祭が始まると同時に燃え尽き、祭りを楽しむ事のできない損な役回りである。

だが、責任感の強い彼は一言も文句を言わずに責務をまっとうしている。
彼らにとって、お祭りの準備こそがお祭りなのだ。

「やっと、寝れる」

ようやくそれだけを声に出して、若杜は安らかな寝息を立てはじめた。

そして、もう一人。

長髪を後ろで束ね、何ともつかみ所の無い雰囲気を漂わせた青年を紀家 霞という。

報道委員長の彼は校内放送や祭りの状況をレポートするよう委員に指示を出し、ここ生徒会本部でその統括を行っている。
もっとも、指示を出すまでもなく体当たりのレポートを送ってくる元気の良い委員もいる。
彼にしてみれば楽ではあるのだが、彼女の異常な人気ぶりは次回の生徒会選挙でどちらかというと影の薄い霞を追い抜いて報道委員長の座に就くのではないかと言われている。

彼には彼なりの苦労もあるのだ。

それはともかくとして、彼ら報道委員のなかで本部詰めの委員は送られてくる映像やリポートを編集して番組として作り上げ、学園内の巨大スクリーンやケーブルテレビにリアルタイム流す、といった作業に追われていた。

と、不意に驚きの声が上がり、霞の名が呼ばれた。

「どうした」

問う霞の声に、報道委員の中の一人が困惑したような声で応えた。

「それがその、電波ジャックです」
「電波ジャック?・・・・・・KKKか? その番組をこっちに回してくれ。テレビか?」
「それが・・・・・・ラジオです」
「ラジオ・・・・・・?」
「電波入りますっ」

緊張した委員の声に、霞も表情を少し固くした。
雑音の流れる微かな時間の後、場違いに明るい声が森閑とした本部内に響き渡る。

「えー、こちら高等部会計監査委員長でアマチュア無線部の倉橋べるなでぃーっす! これより、高等部第一棟屋上でUFO召喚の儀式を行っちゃいますっ♪ お暇な方はぜひぜひ見にきてくださー・・・・・・」

皆まで聞かず、霞は音声をOFFにして何事もなかったかのように冷めたコーヒーを一口すすった。

まさか同じ生徒会役員の仕業だとは彼も思わなかったに違いない。

が、表面上は少しも動じた様子も無く、彼は軽く手を叩いた。

「さぁ、仕事に戻ろう」

誰も深く突っ込む事のできないまま、また報道委員たちはそれぞれの仕事に戻っていく。
それを見て満足そうな表情で、霞は小さく欠伸を漏らした。

ちなみに、レポートに出ていた報道委員の多くが、この日蒼明学園上空を飛んでいる未確認飛行物体をカメラに捉えたことが、蒼明学園高等部に保管されている事件ファイルに記されているが、これは余談である。



「・・・・・・」

吹奏楽部のステージ上で、フルートを吹いている宝生院 宗祇は静かな怒りを燃やしていた。

演奏中にもかかわらず、観客席からは黄色い嬌声が飛び交い、騒々しいことこの上ない。
真剣に演奏に耳を傾けている観客はけして少なくなかったが、ある一角がその雰囲気をぶち壊しにしている。
そういった光景は、しばしばクラシック等の演奏会で見られる事ではある。

だから、彼は不機嫌な表情ながら演奏を投げ出す事はなかった。

だが、一流の柔術家たるかれが怒ると周囲に与えるプレッシャーは並外れたものがある。

宗祇の怒りのオーラに圧された周囲の部員から段々に演奏がずれはじめた。

悪いのは彼ではない。

だが、騒いだのは観客であり、お客様は神様である。
第一、騒ぎのもとなど後になっては知りようが無い。

閉演の後、彼が無言の非難にさらされたとしても、それは仕方の無いことだったかもしれない。

その、騒動の原因は、実は高等部生活委員長宝生院 宗祇の身近にあった。

騒ぎの中心となった女生徒は、宗祇とはなんの関係も無いが、その原因となった人物が購買委員長の叶 圭一郎である。

一見して病的な印象を受ける彼は、高等部生徒会長や書記程ではないにしろ女生徒に人気がある。
病弱のためかあまり学校に顔を見せないのもあるのだろうが、彼が時折学校に姿を現すと結構な騒ぎが起こってしまうのである。

そしてそこに、演劇部のステージを放り出してきた天草清美委員長まで入ってきたのだから歓声が膨らまないはずが無い。

かくして、吹奏楽部の公演は彼らの能力のせいではなく最低の出来に終ってしまったのだった。

それからしばらくして、事の原因が二人にあったことを知った宗祇の態度が、輪をかけて不遜なものに変ったとしても、それは天草、叶両委員長の自業自得というものだ。



「今年も大盛況みたいね」

第二棟の屋上で眼下に広がる壮大な景色と人の群れを見下ろし、蒼明学園高等部生徒会選挙管理委員長、江島愛美はひとりごちた。

さすがに屋上は風が強く、ショートカットの彼女の髪も風に弄られて揺れている。
11月の風はさすがに冷たさを帯びているが、微かな潮の香りが心地良い。
愛用のサングラスをずらして、彼女は眩しそうに眼を細めた。

蒼明祭も今年で二度目だが、幸いなことにまだ雨に祟られたことはない。
来年も、再来年も、それからずっと先も、そうあってもらいたいものだ。

「愛美ちゃん、こんなとこで何してるの?」

不意に声がかけられた。

慌てて振り返ると、そこには美貌の生徒会長が「あの」と委員長内で形容される微笑みを浮かべて立っている。

「はい、烏龍茶。大丈夫だったよね?」

そう言って小さなペットボトルを手渡しながら、愛美の横に並んで手すりに身を預ける。

「ありがとうございます」

礼を言う愛美に優しく微笑んで、克巳は下を見下ろした。

「今年も、すごい人手だね」
「それだけ、蒼明学園が注目されていると言う事ではないでしょうか」

どこと無く事務的な感じの愛美の答えに再び笑顔を見せると、克巳は小さく息を吐いた。

「そう、だね。でも、それは愛美ちゃん達委員長や執行部、そして委員のみんなを犠牲にしてるんじゃないかって、僕は最近考えるようになった」

思いもかけない会長の言葉に、愛美は少なからずショックを受けた。
克巳が弱音を見せることなど、これまで一度たりとも無かったからだ。

突然のことに、言う言葉が見付からず、愛美はようやく一言だけ口にする事ができた。

「来年は、もっと人が集まって、楽しんでもらえればいいですね、克巳会長」

その彼女の言葉に微笑んだ克巳の表情は、これまで彼が見せたどの微笑みよりも嬉しそうにみえた。
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