第6章:IT'S DREAM?
〜サヨナラは、言わない〜
「何なのよ、これは!」
「……ま、まるで蚤みたいだなー」

怒りに燃える愛美と、どこか感心したような龍之介の声が重なり合った。理不尽な状況に対する、2人の対処法である。
愛美は感情をストレートに表し、龍之介はいつでも茶目っ気を忘れない。対照的ではあるが、そうすることで自分のペースを保つタイプなのだ。この2人は。
ちなみに、信吾は『女王』に遊ばれていて、答える余裕はない。

「さあ、妾を抱いてたもれ〜」
「ええいっ、止めんかぁ!」
 <……『女王』も趣味が悪いにゃあ>

やれやれ……。
3人は既に生徒会本部を出て、『チェシャ猫』と『女王』と合流していた。ついでに補足しておくと、霞は本部にあるメディカル・ルームへ直行している。幸運なことに保健委員長の都筑ゆかりがやってきたので、彼女に任せたのだ。

で、本題。なぜ2人が大声を上げたかというと。
有子の居場所を探るために生徒会7つ道具の1つ、生徒手帳型コンピュータ(作成者は言うまでもなく、白河静音嬢)を使い、愛美の発信機の現在位置を追ったのだが――。

「何で、こうもピョンピョンと飛び回ってるわけ?」
「その有子ちゃんって、俺らと同じ能力者なのかい? 佑苑でも、こんなにテレポートできるかどうか」

龍之介は催事実行委員長の名前を上げる。佑苑若杜は龍之介の言葉通り、瞬間移動を得意としている。もっとも、生徒会長が次々と打ち立てる学園行事をこなすために大抵はデスクワークに従事し、あまり動くことはないが。

今もおそらく、時計の混乱をものともせずに働いているはずである。
こーゆー時まで真面目に仕事するな、と龍之介は内心で悪態をつく。

「それにしても、これじゃあ捕まえられないぞ」
「やっぱり『ジャバウォック』の仕業なのかしら――って、鬼堂くん、遊ぶのを止めなさいっ!」
「す、すまん……」

遊んでなどいない、という反論は既にない。信吾は『女王』と『チェシャ猫』をくっつけたまま、2人の元へやってくる。

「鬼堂、お前ってホント変なのに好かれるよなぁ」
「うるさい!――で、どうなんだ?」

言葉の前半と後半で口調どころか顔つきまで異なる信吾。

「駄目ね、これじゃあ」

愛美は唇を軽く噛み、悔しさを押し殺した。そうしながらも、彼女の頭は目まぐるしく次の対策を練っている。
だが、意外なところで救いの手は現れた。

 <これ……『ありす』は<不思議の国>にいるにゃ。間違いなく>

「本当なの、『チェシャ猫』!?」
「妾が説明してやろう!」

妙に嬉しそうに言う『女王』に対し、他の3人と1匹はうんざりとした表情だ。

「つまりこれは<不思議の国>が空間軸の束縛から離れ、安定しておらぬ事を――」
「あー、もういい。何となく分かったから」

龍之介が投げやりな口調で止める。

「法則はいいから、どうすればそこへ行けるか教えてくれよ」
「むぅ……それは、じゃな……」

途端に『女王』の勢いが消える。どうやら彼女、基礎問題はできても応用問題がこなせないタイプであるらしい。
愛美と龍之介はその辺りを見切っていたらしく、視線は早くも『チェシャ猫』に向けられていた。
冷たい連中である。まあ、正しい判断だけれど。

2人の視線を受け、『チェシャ猫』がおもむろに口を開く。

 <ボクの出番だよ。ボクなら、みんなを運べるにゃ>
「でも……大丈夫なの?」

愛美の言葉に含まれた不安の色に、信吾と龍之介は少し驚いた。彼女がそんな口調になるのは、よほど相手を気に入った時だけだと知っているから。

「さっきのダメージがまだ抜けてないはず――」
 <もう、そんなことを言ってられないにゃ、マナミ>

『チェシャ猫』の声には、愛美がそれまで聞いていた明るさはなかった。いや、ほんの少しはあったけれど、それよりも真摯さが勝った。そして、愛美たちにはその真剣さの方が強く伝わったのだ。

 <ボクは『ありす』を助けるためにこっちへ来た。力が回復するのを待っていたら、ボクは絶対に後悔するにゃ>
「――それは妾も同じじゃ」

『女王』もまた、普段の彼女には似合わない表情を浮かべる。

見たことのある表情ね――愛美はそう思い、すぐに気がついた。あの表情は、幼い頃の自分に似ているのだ。帰ってこない父をずっと待っていた、あの頃に。
親を愛し、愛されたいと願う、子供のような顔。

「龍之介、信吾――」
 <そして、マナミ……これからの『ありす』を、守ってあげて>

だから、ピンときた。彼らの言葉に隠された決意に。

「『チェシャ猫』!?」
「何をするつもりだ!」
「おい、変なこと考えるなよ!」

だが、ほんのわずかに遅かった。それとも、『チェシャ猫』たちが素早かったのか。

ぶぅぅぅぅんんんん…………。

奇妙な音と共に3人の身体が、ゆっくりと浮き上がっていく。動こうとする彼らを抑え込んだのは、激しい旋風。

「『女王』!」
「さらばじゃ、信吾……龍之介」

艶っぽい笑みと扇で表情を隠しつつ、『女王』は言った。その声は明るく、悲しみのかけらすらない。

「お前たちと会えて楽しかったぞ。妾も思う存分、暴れられた」
「ふざけるな!」

信吾が一喝する。

「生徒たちを巻き込んだ罪、償いもせずに……!」
「そうそう。おかげで、今日のデートはみんなおじゃんになっちまった」
「妾と出会えたのじゃ。お釣りがくるではないか」

『女王』は胸を張り、さも当然と高笑いを上げる。しかし、その笑いも長くは続かなかった。信吾と龍之介の瞳が、そうさせた。

「……そんな目で見るな。妾は……泣くのは後免じゃ」

その間にも、『女王』の身体は消えかかっている。持てる力のすべてを『チェシャ猫』へ注いでいるのだ。

「心配するな。別に死ぬわけではない……力を使い果すだけじゃから、『ありす』が望めばまた姿を取り戻す……」
「そういう問題ではない! 人を散々からかっておいて……勝手なことを!」

信吾の声は、風に邪魔されることなく辺りに響いた。震えて聞こえたのは、その風のせいだろうか。

「いいか! 今度現れた時は容赦せんから、そのつもりで来い!」
「素直じゃない奴……。おい、『女王』! 今度は俺と付き合おうぜ!」

木刀を向ける信吾とウインクする龍之介を見つめ、『女王』は少女のような笑顔を浮かべた。涙は、決して見せない。
彼女は、『女王』だから。

「……『ありす』。ようやく、お主の元に帰れるのじゃな……」

その言葉と同時に、『女王』の姿は風に溶けた。かすかな煌めきが2人の少年の周囲を漂い、やがて静かに消えていった。

「またな……」

龍之介は、顔を背けたまま動かない信吾の肩を軽く叩いた。

――その一方で。

「やめなさい、『チェシャ猫』! どうなるか分かってるんでしょうね!」

『女王』の力を受け取り、全身を淡い輝きで包んだ『チェシャ猫』に向かって、愛美は叫んでいた。
もう、声は嗄れかけている。

 <マナミは怖いにゃ……そこが好きでもあるんだけど>
「……この、大馬鹿!!」

黒猫が、その美しい黄金の瞳を細めた。愛美にはそれが笑っているようにも、泣いているようにも見えた。そして、そんな風に見えてしまう自分が許せなかった。

「こんなやり方、認めないわよ! 『ありす』を助けたいのなら、自分たちの手で助けなさい!」

 <……マナミ。僕らは『ありす』の願望が形になったものなんだ。ボク、『チェシャ猫』はどこか遠くへ行きたいという願い……『女王』は誰かに支えられたいという願いから……>

『チェシャ猫』は一旦俯いた後、真っすぐに愛美を見た。

 <でもね、ボクは思うんだ。『ありす』がボクに望んだ力は、友達になってくれる誰かの元へ行くためのものじゃないかにゃって……だとしたら>

今度こそ愛美は、はっきりと見た。
『チェシャ猫』の涙を。その涙を消してしまうほどの、優しい笑顔を。

 <今が、その時なんだ。『ありす』のためにしてあげられる、今この時にしかできないボクの役目……違うかにゃ?>

「大外れよ……見当違いもいいとこだわ……それで消えたら、意味……ないじゃない」

愛美の声は低く、擦れて……消えた。

しかし、次の瞬間。

ぱあんっっっ!!!

愛美の扇子がこれまでにないほど爽快な音を立てた。それまでの重い空気が、その一閃で打ち払われる。

「――分かったわ。『ありす』は……彼女は私たちが助けてみせる」

愛美の声は力強く、はっきりと……響いた。
その場にいる者たちの心に。

「蒼明学園高等部生徒会の名に賭けて、必ず」

 <信じてるよ、マナミ>

すべてが光に包まれ、愛美たちは浮遊感が更に強まるのを覚えた。
黒猫の姿は、もう見えない。

「……光のせいよ」

そう呟きながら、愛美はサングラスを外し……そっと目尻を拭った。
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