第4章:LABYRINTH
〜シリアスと漫才の狭間に〜
紀家霞は困っていた。

あの江島愛美を、あの選挙管理委員長の江島愛美を、あの朱凰生徒会長すら時には逃げを打つ選挙管理委員長の江島愛美さんを怒らせてしまったのである。

「参ったなあ」

口調からは判断しにくいが、本当に困っている。

「このままだと、何されるか分からないし……」

さらに間の悪いことに、もうすぐ花見の席が待ち構えている。下手をすると、宴会の肴にされてしまう。

「そういうのは芸達者な会長に任せたいよ」
「――私の計算によると、紀家委員長がそのような事態に陥る確率は56.38%と出ています」

意外に悪くない数字だ。ほとんど半々で逃れられ――。

「"ノア"。残り43.62%は?」
「……43.619999999%は、より残酷かつ冷酷、そして非道極まりない手段を用いられる可能性です」

……絶望的な数字である。

"ノア"も少なからず同情している(ようだ)。

「じゃ、じゃあ……残り0.000000001%は?」

藁にもすがる思いで霞が尋ねた。
答えは。

「…………言語表記不可能な事態が起こりうる危険性です」
「あはははは……」

僕も失踪しようかな、と霞は虚ろな笑みを発しながら思った。

「――紀家委員長、江島委員長から連絡です」
「うひゃああああああああっ、堪忍してぇぇぇぇぇ!!!」

デスクの下に身を潜ませ、泣き叫ぶ霞。

「紀家委員長」
「風※兄さん……由※姉さんでもいいから、助けて〜〜〜〜!!!」

これこれ、伏せ字になってないぞ。

「紀家委員長、『早く通信を開かないと、本当に怒る』だそうです」
「わ、分かった……」

多少怯えつつ、霞は自分の腕時計型通信機を作動させた。
液晶画面に愛美の顔が映る。

「遅いわよ」
「……ご、ごめん」
「悪いけど、誰かと連絡取って。私の腕時計、"ノア"への非常回線しか繋がらないのよ」
「通常回線が故障したのかな?」
「たぶん。空間移動を連続してやった影響か、『ジャバウォック』のせいね」
「『ジャバウォック』?『鏡の国のアリス』の?」

ほんの少し、愛美の反応が遅れた。

「――知ってるの?」
「まあ、子供の頃に読んだから。でも、どういうこと?」
「詳しい話は後で。とにかく人手がほしいわ」
「了解。ちょうど鬼堂くんと天草くんが江島さんを探しているところなんだ」

そう言ってから、霞は2人のことを忘れかけていたことに気づいた。

――これは口外しない方がいいな。

「"ノア"、2人は?」
「現在、小グラウンドを移動中ですが……動きが不規則です。特定方向を目指しているようには思えないのですが?」

報告と同時に、正面モニターが発信機の様子を映し出す。さらに画面は、2人の発信機がある地域に拡大された。
赤い光点の動きは早い。明らかに、走っている。それもでたらめに。

「まさか追い駈けっこしてるんじゃないだろうなあ」

あの2人のことだ。十分あり得る。

「2人と連絡取れる?」
「――回線に多少の障害がありますが……繋がりました」
「さっすが♪」

頼りになるスーパー・コンピュータの見事な手際に、霞は下手な口笛で誉め讃えた。すると案の定、

「紀家委員長、呼吸器に何か異常でも?」
「うるさいっ」

……こうなった。

「こちら、紀家。天草くん、鬼堂くん、応答してくれ」
「何だよっ、霞っ、俺たちはっ、今っ、忙しいっ、んだぞっ」

息も絶え絶えに、龍之介が返答した。

「? どうかしたの?」
「こ、これをっ、見ればっ……分かるっ!」

説明するのも苦しく、腕を後ろへ伸ばし、液晶画面を『騎士』たちの方へ向ける。

十数秒後。

龍之介は腕時計を顔に近づけた。画面がかなり乱れており、霞の顔も見えにくい。それでも、困惑した表情は何となく分かる。

「どう、だっ。分かった、かっ」
「……漫研のコスプレ……じゃないよね?」
「当たりっ、前だ〜っ! ……げほっ、ごほっ」

叫びすぎてむせている龍之介に代わり、信吾が通信を開いた。彼はまだ余裕があった。足腰を鍛えている甲斐もあったというものだろう。

「用件は何だ、紀家」
「江島さんから連絡があった」
「何だって!?」

龍之介が驚き、ペースが遅くなった。律儀なリアクションである。

「俺たちの苦労って一体……」
「それで、彼女は何と?」
「何だか向こうもトラブってるみたい。いつものことだけど。で、人手がほしいって言うんだ」

信吾も軽い目眩に襲われそうになった。この上まだ騒動を背負い込まなくてはいけないのか。しかも、愛美の関わっている騒動を。

「江島くんはなぜ直接連絡をよこさない?」
「通常回線が故障したらしいよ。機能を詰め込んだ分、壊れやすいからね」

それでも、並みの時計より頑丈なのだが。

「どうすればいい?」
「ちょっと待って。聞いてみる」

通信が一時的に切れる。

「……変わった玩具じゃな」

『女王』が口を挟む。3人の中で、彼女が一番元気だ。走る必要がないのだから、まあ当然といえる。

「しかし、ひどい絵じゃ。化け物かと思ったぞ、今の男」
「俺の通信機もおかしくなっているな……お前たちが現れたせいか?」
「『帽子屋』のせいじゃ」

羽扇が軽く信吾の頭を叩く。

「彼奴は『白兎』を脅し、無理矢理に結界を創ったのじゃ」
「結界?」
「うむ。『白兎』は"時間律"に干渉する力を持っておる。それを使ってこの土地の時計を狂わせ、空間のもつ時間感覚を歪ませたのじゃ」
「空間がっ、時間っ、感覚なんてっ、もつっ、わけないっ、じゃんっ」
「苦しいなら話すな、天草」

珍しく龍之介を気遣う信吾。

「だが、奴の疑問ももっともだな。どういう意味だ?」
「妾も頭で理解しておるわけではないから、説明しにくいのじゃが……世界は"空間律"と"時間律"によって成り立っておる。結界とはどのようなものであれ、どちらか、或いは両方に干渉……手を加えねばならんのじゃ。“白兎”の場合、それを現実の時計を媒介にして行なった、はずじゃ」

『女王』の蘊蓄は最後の方で自信が消えてしまい、やや説得力を失っている。

「う〜む」

分かったような、分からないような。

「江島くんならば、『訳分からないけど、とりあえずそうなるんだって納得すればいいのよ』とか言うのだろうが……」
「女っ、言葉っ、気持ち悪いぞっ」
「黙っていろ」

信吾は考える――龍之介はともかく、自分なら鎧騎士相手でも戦える自信がある。ただ問題なのは、その数。いくら何でも多すぎる。

――奴らを分断さえできればな。

しかし、『騎士』たちは群れを成して襲いかかってきている。『女王』や『帽子屋』とは違い、何か人形めいた雰囲気すらあった。

「『女王』、奴らに意志はあるのか?」
「ない。『騎士』は妾などより劣る存在じゃ。その分、数で勝負する」

台詞がないのがその証拠である。

「多数決のっ、弊害だーっ!」

龍之介が無理矢理ペースを上げて、鬼堂の横に並んだ。

「どうっ、するんだっ……よっ」
「……もう一つ質問だ。結界を破るにはどうすればいい?」

そうだ。
残る方法はそれしかない。奴らの土俵で戦う義理は、こちらにはないのだ。





<……結界を破る方法!?>

愛美の左肩にしがみついた『チェシャ猫』が、彼女の問いを繰り返した。

「そう。鬼堂くんたちを助けて、私たちがイニシアティブを取るにはそれしかないわ」

<確かに、そうだにゃ……>

対する『チェシャ猫』の声は重い。彼らの用いる<力>の法則を教えられた、もとい、教えさせた愛美もわずかに罪悪感を覚えた。

「あなたに教えてもらった通りなら、蒼明学園中の時計を元に戻せば結界は解ける――そうよね?」

<うん。でもそれは不可能にゃ>

「なんで?」

本来ならもっと詰問口調になるはずだが、愛美はそうしなかった。
結界が解ければ、『騎士』たちと同じ存在である『チェシャ猫』も消える。自殺を強要するようなものだ。

できれば、やりたくない――強い者にはとことん強気に出るが、弱い者には甘くなるのが愛美の長所とも短所とも言える部分だ(ちなみに強い弱いの判断は一般的常識に従わず、彼女自身が決める)。

<いくら一つや二つの時計を元に戻しても、『白兎』の力でまた狂っちゃうにゃ。時計は自力で時間を合わせられないから>

『チェシャ猫』は冷静に答えた。
沈黙や嘘を使ってもよかったのに、と彼も愛美も思う。

「じゃあ、その『白兎』を捕まえて力を使わせないようにすれば?」

<今から探すのかにゃ?>

「………………」

八方塞がりか。
だが、愛美は考える。彼女の辞書に「諦める」という言葉は生まれた時からない。母親のお腹に残ってしまったそれは、愛美を普通の子に育てるという道を放棄するのに一役買ったのかもしれない。
あくまで予想にすぎないが。

「――1つ質問があるんだけど、いいかな?」
「いいわよ」

やや控えめな口調で問い掛けてきた霞に、愛美は思考を一時中断した。

「で、何かしら?」
「さっきから江島さんと話してるのって、その猫?」

いらいらいらっ。

確かに状況説明をしてなかったのだから、聞きたくなるのも無理はない。

しかし。
愛美は自分のペースを狂わされるのが大嫌いなのだ。

「……この変なのは『チェシャ猫』。空間移動と猫を被るのが得意技よ」

<猫が猫被るなんて、ある訳ないにゃ>

「共食いしたんじゃないの」

声が冷たい。八つ当りだが、彼女は相手によって態度を変えたりしないのだ。今はそれがマイナスに働いているけれど。

「と、ともかくっ」

霞の声が嬉しそうに弾む。実は恐くて震えているのだが、まあいい。

「校内の時計なら時間は掛かるけど、何とかできるかもしれない……会長たちも飛び回っているみたいだし」

愛美の足が止まった。

「紀家くん!」
「えっ!?あ、なに?」
「今、なんて言ったの!?」

突然愛美が怒りを解いたので、霞は戸惑っていた。

「えっと……会長たちも飛び回ってるって」
「違う!その前!」
「え?……校内の時計なら――」
「そうよ!その手があったわ!!!」

思い切り扇子を掌に打ちつけ、小気味いい音を響かせる。『チェシャ猫』も、そしてモニター越しにいる霞も呆然としていた。

「紀家くん、これから言うことを鬼堂くんたちに伝えて」
「了解」
「それから、あなたにもやってもらうことができたわ」
「僕に?」

怪訝そうな顔の霞に、愛美は100%の自信をもって秘策を告げる。
それを聞いた途端、1人と1匹が声を揃えて叫んだ。

「何だって(にゃ)――!?」
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